エカティを出て七日ほど馬車に揺られ、マディバの王宮に着いたとき、太陽は傾いていた。
一目見て、マディバの王宮はエカティのそれとは、比べ物のならないほど大きなものだとジュデは分かった。
これが、国の力――――そう思うと、自分がつぶされていくように感じる。
単一民族国家であるエカティとは違い、マディバは複数の民族が集まる帝国だった。それぞれの小さな部族が作る都市にはその土地を治める長がいて、広大な国 には、肌も瞳の色も違う人々が共に暮らしているという。
自分の知りえない世界がこの国にある。

王宮の回廊をテリウスを先頭に、歩いていた。行き違う人の数もエカティの比ではない。
ジュデは周りからの視線を感じていた。マディバの主要民族と、自分の容姿がそれほど変わるわけではない。
けれど、感じるものがあるのだろう。
現に、テリウスとパリスをエカティの人間だとは思わない。同じ肌の色、瞳の色を持っていても、何か違うものを感じていた。国の境など人間が決めたものであ るのに、大地に境などないのに、確かに、国は違いを持っている。
国境を越え馬車から初めて降りた時、空気に匂いを感じた。それは、ジュデが今まで感じたことのない感覚だった。
街と森では匂いが違うことは分かる。それとは違う、今まで知らなかった匂いだった。
きっと、エカティにも匂いはあるのだろう――――それを、もう、きっと知ることはできない。

ひとつの部屋に入り、無人の玉座の前で、ジュデはテリウスとパリスに挟まれ跪いた。
初めて見る巨大な力を持つ国王、そして自分を望んだという皇女に会わなければいけない。
落ち着けと思うのに、自分の呼吸と心臓の鼓動が身体の中で反響している。
マディバの皇女はなぜ自分を選んだのか、候補と呼ばれるものは何人いるのか。
それについて、使者からの答えは無かった。
『それが、来ていただけるか否に関わるのですか?』
そう訊かれると、答えに困る。もともと、断られることなど考えていないのだろう。

部屋の脇にあるドアが開き、数人の側近を連れた国王と皇女が姿を現す。
玉座の前に国王が立った気配に、ジュデは更に頭を下げた。
「顔を上げるが良い」
玉座に腰を下ろした王がはっきりとした低い声で告げた。
テリウスとパリスが顔をあげる事を感じながら一息遅れて、ジュデも顔を上げた。
巨大な力を持つ王、その姿は想像していたものと少し違っていた。
銀色の長い髪を肩でひとつに束ねている。上等の品だろうと思える衣服に、装飾はあまり施されていなかった。
胸に黄金の首飾りが光っている。互いの鎖をつなぐ三連の首飾りは、質素でありながらも、気品を感じた。ジュデは自国で黄金の装飾品を持ってはいなかった。 この地で黄金はほとんど取れない。広く貿易を営んでいることを、その首飾りは現していた。
歳は自分の父とほとんど変わらないはずであるのに、父より若く見える国王の穏やかな青い眼差しはなぜか、懐かしく思えた。力で圧倒するのではなく、懐深く 受け入れてくれるように見えた。
視界の端に、皇女であろうユキナ姫の姿が映る。思わず惹かれて視線を向けるとジュデの胸はつくんと痛んだ。
ディンと同じ髪の色と瞳の色をユキナは持っていた。複数民族を持つマディバ。ユキナの母は亡くなっていると聞いているが、ユキナは母親の血筋を受け 継いでいるのだろう。
ディンと同じ色、もしかすると、ユキナの母とディンの母は同じ民族であるかもしれない。色だけではない、優しい顔立ちも似ているような気がした―――― ディンの母親のことが分かるかもしれない。
そんなことをジュデは思った。
「そなたが、ジュデか」
「初めてお目にかかります。ジュデ・フォンダインと申します。国王さまにお会いできて光栄でございます」
「噂どうりだな」
国王の言葉にジュデは言葉を返せず、頭を下げた。
自分がどう言われているのかなど、知りはしない。
「本当に、きれいな方ですね」
席から立ち上がったユキナがゆっくりとジュデの方に近づいてきた。あと一歩、そう思えるところでユキナは立ち止まった。
「始めまして、ユキナと申します」
膝を少し折り、ドレスの裾を広げてユキナが挨拶をする。
ユキナに答えるために、ジュデは顔をゆっくりあげるとユキナの胸で光るペンダントが目に飛び込んできた。
――――え?
その驚きを鎮めることができずに、ジュデがそのままユキナを見上げると、ユキナは眉をひそめた。
「――――私を見て驚かれる方は少なからずいますけれど、そこまで露骨に驚かれたのは初めてよ」
「あ、いえ、あまりにお綺麗なので、びっくりしてしまって、申し訳ありません」
ジュデは言いながら、頭を下げた。心臓がせわしく鼓動する。
「まあ――――社交辞令だとしても、誉めていただいたことに怒ることはできませんね。知能犯だわ」

ジュデは何も返せずに、頭をさげているしかできなかった。
「ユキナ様、ジュデさまは長旅で疲れておいでです。あまり、苛められてはお可哀想ですよ」
「テリウス――――別に、苛めようなんて」
ユキナの声音が甘えるように変わった。
「陛下、ジュデさまはお疲れになっておられます。今日はこのまま、お部屋へお連れしてよろしいでしょうか」
テリウスが進言する。
「そうだな、では今宵はゆるりと休むが良い」
「あ、ありがとうございます」
顔を伏せたまま、ジュデは答えた。
「テリウスとパリスもご苦労だった。そなたらも、もう下がってよい」
国王の言葉に、テリウスとパリスが同時に答える。

国王は席を立つと、ユキナを残し側近達と共に部屋を出て行った。
テリウスが脇で小さいため息を漏らす。
「申し訳ありません」
ジュデは謝罪の言葉を口にしていた。
確かに、疲れていたのかもしれない。あまりに素直に感情を表に出してしまった。
けれど、ディンと同じペンダントをこの場で見ることなど、思いもよらないことだった。少し時間をおいた今でさえ、胸の鼓動はいつもより早い。高 価なものだと、どこででも手に入れられるものではないと聞いていた。大人の親指ほどの大きさを持つ石は、それだけで大きな価値があると言う。職人が自分 の意思だけで作れるものではない、依頼人がいて初めて作れる代物だと聞いた。同じものを目にする事さえ思いもしないことだった。
「ユキナさま、余計な事を申し上げてしまったかもしれません。ご容赦ください」
テリウスがジュデの前に佇むユキナに声をかけた。ジュデが顔を少し上げると、ユキナのペンダントが目に入る。彫られている絵は確かにディンと同じものだっ た。何度も見ているディンの大切なものを見間違えたりはしない。
ただひとつ違っているのは、宝石の色だった。ユキナの胸にあるものは、透明感のある薄いピンク色に輝いている。
「テリウス――――後で私の部屋へ来るように、パリスもご苦労さまでした。ジュデさま」
名前を呼ばれたことで、ジュデは顔を上げた。
「はい」
見上げた先には、ディンと同じ優しい瞳の色があった。
「今日はお疲れとの事なので、ご挨拶は明日に致します。ゆっくり休まれてください」
「――――お気遣い、ありがとうございます」
「では」
口元を緩め、ユキナは身体を翻した。
裾が広がったドレスが揺らめき、遠ざかる足音を残す。
「では、参りましょうか。ジュデさま」
テリウスがジュデに立ち上がるように促した。
「俺は、もういいのか?」
パリスがテリウスに向かって訊く。
「ああ、ご苦労だった」
「ああ、残念だったよ」
パリスは口惜しそうに言い捨てると、部屋を出て行った。
パリスの後に続いて、テリウスに促されジュデも部屋を出る。
初めての王宮は、まるで迷路のように思えた。どこまで続くのだろうと思える回廊を抜け、兵士が守る門をくぐる。
「簡単に説明しておきます」
テリウスが言った。
王宮は、社交場と居住区の分けられており、国王と謁見したのは社交場の一部屋であり、門をくぐったこちらは居住区であると言う。居住区は王族のものと来 客、臣下ものの大きく三つに分けられており、ジュデには来客用の一室を用意されていると言った。
「ジュデさまはまだ正式に紹介されておりません。お部屋から出られないようにお願いいたします」
テリウスは、そう結んだ。
たとえ、出られたとしても迷子になってしまうのが関の山だと、歩きながらジュデは思った。同じような景色が続く回廊。交差する場所でさえ、印になるような ものは見当たらない。

「こちらです」
そう言って、テリウスはドアを開けた。
部屋はエカティで自分が使っていたものと同じ位の広さを持っていた。天蓋付きのベッドとチェストに机。中央にはテーブルが置かれている。
ベッド脇のサイドテーブルに置いてあった鈴をテリウスが鳴らした。
透き通った鈴の音が部屋に反響するように響きわたる。
部屋の脇のドアが重い音をたてて開き、白いドレスに白いエプロンをつけた母よりも少し年上だろうと思われる女の人が現れた。その人はふくよかな体格に穏や かな面持 ちをしていた。
「マダム・チャウ、話は聞いているだろう。エカティ王国のジュデさまだ」
「お聞きしておりますよ。テリウスさま」
マダム・チャウは入り口で一度軽く頭を下げてから、ジュデの方へ近づいた。ジュデの前へ来ると、片膝を落とし、頭を下げる。
「お待ちしておりました。なんなりと御用をお申しつけください」
「――――あ、ありがとうございます」
周りは敵だと思わなければいけない、とジュデは思っていた。誰一人信じることなどできない、と思っていた。
けれど、無防備に頭をさげるマダム・チャウの姿に、少し気持ちが緩む。
「分からないことや必要なものがあれば、マダム・チャウに申しつけください」
テリウスがジュデに向かって言った。
テリウスへも、信頼の気持ちを感じ始めていた。
「分かりました」
「ジュデさま、お食事はどうなさいますか?」
マダム・チャウがジュデを見上げた。
「ありがとう、でも今は欲しくありません」
エカティを出てからジュデは食欲が無かった。出されたものを薬のように飲み込む。食べなければ、身体が持たないことは分かっていた。だから、無理やりにで も口にし た。けれど、それも限界に近い。昨日の晩は、無理やりに詰め込もうとしても出された量の半分しか口にすることはできなかった。朝も昼も、吐き気を覚えて、 ほとんど口にすることはできなかった。初めての長旅は、予想以上に身体にはきつかったらしい。
「お疲れでしょうから、軽いものをご用意いたしておきます。気が向かれましたら鈴をお鳴らしください」
「ありがとうございます。マダム・チャウ」
ジュデが答えると、マダム・チャウは優しい笑顔を見せ、一礼してドアの向こうへ消えた。
「それでは、私も下がります。必要だと思われるものは用意しておきましたので、部屋のものはご自由にお使いください」
テリウスが軽く頭を下げる。
「あの、テリウスさん――――」
どう呼んでよいのか分からなかった。
「テリウスで結構ですよ、ジュデさま」
「テリウス――――少しお訊きしてよいですか」
どうしても、気になることがある。
「色々とお聞きになりたいことはあるでしょうが、私はこれからユキナさまのところへ行かねばなりません。明日でよろしいですか?」
そう言われたら、無理にとは言えなかった。
疲れているのは同じはずだ。けれど、彼はまだ休むことを許されていない。
「あ、そうですね。ごめんなさい。明日にします」
答えは逃げるわけじゃない。少し自分の考えも整理しておいた方が良いだろう。
テリウスがふっと笑った。
「では、ひとつだけお答えしましょう」
――――ユキナさまのペンダントは、そう口にしようとしてジュデは言葉を飲み込んだ。
「やはり、明日にします。色々なことが頭に浮かぶだけで、言葉にできそうにありません。引き止めてすみませんでした。テリウス」
気にはなる、自分の身よりもディンの両親のことがわかるかもしれないということの方が、頭の大部分を占めている。けれど、容易に口に出してはいけないのか もしれないと思った。
「そうですか。では以前聞かれたことに答えておきましょう。候補はジュデさまお一人です。たぶん、今後も増えることはないでしょう。私もそれを望んでいま す。ジュデさまもそのおつもりでいらしてください。それでは」
ジュデの返事を待たず、テリウスは一礼すると部屋を出ていった。

一人部屋に残されると、冷気が身体を包んだような気がした。寒いわけじゃない。夏の初め、夜になっても肌にしみるほど空気が冷やされるわけではない。
自分の傍には誰もいない、そんなことは初めてだった。
エカティでは、たとえその場にいなくてもディンの存在を感じていた。呼べばすぐに来てくれる。けれど、いくら呼んでも、ディンはここには来てくれない。初 めて、一人であることを感じた。

ジュデはゆっくりと窓辺へ近づいた。地面より少し高い位置にあるらしい部屋からは、王宮の庭を望むことができた。右手には大きな池と林があり、先にある山 へと太陽が落ちようとしている。
「ディン」
もう、きっとエカティの王宮に戻っているだろう。
候補は一人しかいない、と言われた。話を聞いた時は決まったわけではないと言っていたのに、テリウスの言葉はもう決まっているのだと取れる。覚悟はしてい たけれど、期待 もしていた。その期待は、音もたてずに消えていく。

太陽は鮮やかなオレンジ色を放っていた。
エカティで見る夕日も空の色も今ここで見るものと変わらない。この広い空は世界を覆っている。だから、この空の下にディンはいる。
弱虫にならないように、がんばれるように、ディンは欲しいと言ったものをくれた。だから、負けちゃいけないとジュデは思った。
一人がどんなに淋しいと思っても、ディンがいないことがどんなに辛くても。

――でもね、ディン。ひとつ楽しみを見つけたんだ。
ユキナはディンと同じペンダントを持っていた。
きっと、探し出す。ディンが探そうとしていた父上を――――そのことを、ディンに教えてあげられるかわからないけれど。いつか会わせてあげられることが できればいいと思う。
いつか、きっと。

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