日差しの眩しさを感じてジュデが目を開けると、部屋の中にディンの姿は無かった。
少しでも休まなければいけないと、ディンに言われてジュデはベッドの中に入った。自分が寝なければ、ディンが休むことはできない。国境まで送って く れると 言ったディンを少しでも休ませてあげたいと思ったら、自分が寝たふりをするしかなかった。
少しでも長く傍にいることを感じていたかった。眠ってしまえば、時が経つのは一瞬だ。
せめて、とディンの手を握った。
「ジュデさま、大人になるのではないのですか?」
ディンがそう言って笑ったけれど、その笑顔はとても優しかったから、
「今日だけ」
そう言って、そのまま目を閉じた。これで、ディンは何も言えない。
ごめんね、ディン。そう心の中で呟きながら、ジュデはディンの手を両手で握り締めた。
寝たふりだけと思っていたのに、少しでも長くディンのぬくもりを感じていたいと思ったのに、ディンが傍にいてくれることはあまりに心地よくて、いつの間に か寝入ってしまったらしい。

「ディン、朝までいてくれると言ったのに」
恨み言がでてしまう。
行く前にどうして声をかけてくれなかったのだろう。そうしたら、もう一度キスして欲しいと言えたかもしれないのに。
ディンに触れられて、身体の力が抜けてしまった。あの甘い感触を思い出すと、それだけで身体の奥が疼いてしまう。
もう一度?
それで満足できる?
できるわけはない――――か。
一度だけと望んだのに、もう一度と思ってしまう。それさえ叶ってしまったら、きっともう一度と思う。

ジュデがベッドから身体を起こすと、ドアをノックする音がした。
「どうぞ」
軽く衣服を整えながら、ベッドから降りる。
「おはようございます。ジュデさま」
聞こえてきたディンの声に、胸が弾んだ。しかし、ディンの後ろから見えた顔に一瞬にして身体が強張った。
「おはようございます。ジュデさま」
「おはようございます」
「お着替えをお持ちしました」
昨日紹介されたマディバの使者は、大きくて薄い木の箱を抱えていた。
その木箱はディンに渡され、部屋の中央にあるテーブルの上に置かれる。
「分かりました。着替えて伺いますので、迎えの間でお待ちいただけますか?」
それから、食事をして少しの休憩の後、出発のはずだ。
「いえ、今、お着替えをしていただいて、そのまま我々と一緒に来ていただきます」
マディバの使者は表情には何も映さずに答える。
え? と声にだしはしなかったが、表情を読まれたのだろう。
「お着替えされるところを、確かめさせていただきます」
何のために? という疑問は声に出す前に自分で答えをだせた。信用されていないのだ。
何を隠し持っていくと言うのだろうか。

「分かり、ました」
ジュデは答えながら、テーブルへ近づいた。
ディンが視線を伏せながら、木箱を開ける。
誰にも肌を見せたことが無いとは言わない。けれど、進んで見せたいと思うわけでもなく、ましてや昨日今日初めて会った人間に強制されたとは言え、肌を見ら れ るこ とはためらいを覚える。
これからは、きっとそんなことを思う日々なのだろう。
違う風習、環境、生活。
全ての衣服を落とした後、身体の上から下までをなめるように見られた。それを屈辱のように感じたのは、使者達の瞳の色だろう。表情は変わらないのに、瞳の 中には好奇の色が読み取れた。
衣服を着替えた後で、食事の席へ着いた。国王や王妃も同席する中、両脇を使者に挟まれ、自分の立場が変わったことをジュデは肌で感じた。もう自分はエカ ティの皇子ではない、マディバの国のものなのだと。


馬車が鈍い音をたてて止まった。
休憩してからさほど時間は経っていない、まだ日は高いからここで泊まるわけではないだろう。
王宮を出てから三日が過ぎていた。
三頭の馬が引く馬車は、小さい個室のような客車を引いていた。その中で、ジュデは両脇をマディバの使者に挟まれ、腰を下ろすことを指示された。常に、マ ディバの使者に挟まれ、馬車を降りても、ディンの姿を探すことさえ自由にはできなかった。まさか、使 者達まで逃げ出すと思っているわけでもないだろうが、守るにも監視するにも良い位置なのだろう。
入り口には幕が引かれ、両脇にある窓には布が引かれてあり、中からは外の様子を伺い知ることはできない。
車輪の鳴らすギシギシといった音と、時に馬のいななき、言葉としてはわからない人の声を感じながら、身体は常に揺らされて一時も落ち着く ことができなかった。
もうどの位走ったのか、どの位時間が経ったのか。かろうじて、日が落ちることで一日が終わったことを知ることだけができた。
布を通して届いた光は弱く、馬車の中はうす暗い。

「ジュデさま、それでは、我々はここでお別れいたします」
窓の向こうから、ディンの声が聞こえた。
布をあげようと伸ばしたジュデの手は、使者の手に掴まれてしまった。なぜ? と顔をうかがうとかぶりを振る。少しの接触も許さないかのように、頑なとまで 思 えるほど拒む。
そこまでして、他国の者を迎えることもないだろうと思うのに、そんなことは言えるはずもない。
「ご苦労さまでした。帰り道、くれぐれも気をつけてください。国王さまと王妃さまにも、これからも変わりなく過ごされるよう祈っていますと伝えてくださ い」
「承知いたしました」
「ディン、そしてここまで来てくれた者全てに、幸せが訪れるように祈っています。ありがとう」
「ジュデさま、ありがとうございます。くれぐれもお元気で」
次の言葉を、ディンにもう一言、と思っていたのに、少しの沈黙に挨拶は終わったと思われたのか、カタンという音の後、馬が一声いななくと馬車は走りだし た。
せめて、別れの言葉は顔を見ながら言いたかった。心が先を行くことを拒む。けれど、身体は否応なしに前に進んでいく。

馬車が走り出すと、客車内の空気が緩んだとジュデ感じた。
ディンは国境までと言っていた。とすれば国境を越えたのだろう。ジュデにすれば異国は使者にとっては自国であり、自分達のテリトリーに入ったという安心感 なのか。
「国は、恋しいか?」
右側の男がジュデに訊いてきた。
「それは、生まれ育った国ですから」
「それは、残念だったな。もう戻る事はないと思うぜ」
国境を越えたからだろうか、突然言葉使いが変わる。
「婿養子候補の一人と――――他の国を勉強するような気軽な気持ちで来て欲しいと聞いています」
選ばれなかったときはどうなるのか――――それについては、はっきりしないままだった。
正式な話ではない、あくまでも、候補の一人であり、話が進めば正式な申し入れがあるという。
と言っても、気軽に思える話ではないのだろう。国王や王妃、スタンの様子から見ても。
派手にすることを遠慮すると言われ、ほとんど身体ひとつで赴くことになった。荷物といえば、たぶん、厳重に調べられただろう、マディバ王と皇女への土産の 類だけだ。
「ふん、ユキナ姫が選ばなかったあかつきには、将校が山ほど名乗りを上げるだろうよ」
「え?」
「何なら、俺のところへ来てもいいぜ」
「よせ、パリス」
左側の男が顔を前に向けたまま、厳しい声をあげた。
「なんだよ。こんな上玉だとは思わなかったぜ。お前だって見ただろうが、あんなきれいな身体はそうそう拝めないぜ。まだ幼さが残るところが、またそそる じゃないか」
出発前の好奇な視線を思い出して、ジュデは顔が熱くなるのを感じた。
「お、頬なんか染めちゃって、初なところがまた、いいね」
「やめろと言っているだろう、パリス」
左側の男は、今度は鋭い視線をパリスと呼ばれた男に向けた。
「テリウス、お前だって、まんざらじゃないくせに。なあ、一回くらい戴いちゃってもわかんねんじゃねえ。まだ王宮まではたっぷり時間がある。今晩あたりど うよ。なあ」
戴くという言葉に、ジュデの身体が固まった。
「これが最後だ、パリス――――そんな下種な話はやめろ」
テリウスと呼ばれた男はそう言い捨てると前へ向き直った。
パリスが、一息おいて大きなため息を漏らした。
「だから、おまえと組むのは嫌なんだ。もう少し、話が分かりゃいいのに」
パリスの言葉にテリウスは答えなかった。話は終わったということなのだろう。
パリスはもう一度大きく息を吐くと、前へ向き直った。
言葉もなく、聞こえる音が砂利をける車輪の音と、時折聞こえる馬のいななきに戻った。
つまらなそうに空を見上げているパリスの姿に、ジュデの身体の強張りは少しづつほぐれていった。テリウスという男は信用できるの かもしれないとジュデは思った。少なくとも、自分を一度守ってくれた。

「ジュデさま」
テリウスが前を向いたまま、ジュデの名前を呼んだ。
「何でしょうか?」
ジュデは答えながら、テリウスの横顔を見上げた。ジュデより少し高い身長はディンと同じ位だろう。高い鼻梁と涼しげな目元は整った顔立ちであることを告げ ている。
「あなたは、ただ地位に安穏しているだけの皇子ではないようですね。それは、ある意味嬉しい誤算でもありました」
テリウスの言葉にジュデは顔を伏せた。
褒められれているらしいとは思いながらも、そのまま言葉どおりにとってよいものか分からない。
テリウスはジュデに一度視線を向けると、言葉を続けた。
「それなりの覚悟を持っておいでなのだと、拝見いたしました。ですから、王宮まではお守りいたしましょう。けれど、そこから先は私の任務の及ぶところでは ありません。ご自分のことはご自分で守っていただかなければなりません」
テリウスは言いながら、脇に刺していた短剣をジュデの前に差し出した。
柄の中央に緑色の石がはめられているそれは、細かい調度が施されていて高価なものだと分かる。
「これは?」
「ご自分を守るために、お使いください」
「おいおい、テリウス、いいのかよ」
慌てたようにパリスが口を挟んできた。
「私が責任を取る――――お前も刺されたくなかったら、大人しくしていることだ」
テリウスの言葉にパリスは舌打ちをした。
「ありがとう、ございます」
ジュデはテリウスの手から短剣を受け取った。剣の重みが自分への期待に感じる。

馬車はがたがたと揺れながら道を進む。
時折聞こえる人の声と馬のいななきは、エカティの王宮を出たときから変わらない。
馬車が止まらなければ、ディンが別れの言葉をかけてくれなければ、自分が今どこに居るのかさえ、分からずにいた。
今は感じる。
着実に、自分の知らない世界へ近づいてきている。
短剣を握り締めると、懐へしまった。これが自分を守ってくれる。ディンが教えてくれた剣術が自分を守ってくれる。
ディンが、きっと守ってくれる。
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