ノックの音がした。
「どうぞ」
ジュデが窓辺の椅子にもたれたまま答えると、ドアは静かに開いた。
「ジュデさまにご挨拶に参りました」
ディンと同じ側使えだったフェスが頭を下げる。
「ありがとう」
ジュデは席を立ち、部屋の中ほどまで歩いていくと立ち止まった。
晩餐の時に、正式な挨拶は終えている。今はごく親しい小さいころから側にいた人達を迎えていた。部屋へ入ってきた数人の最後にディンの顔を見つけたとき、
ジュデは胸を締め付けられるような痛みを感じた。
もう、これが、最後――――。
フェスはジュデに近づくと手を取り、跪く。
「ジュデさまはすばらしい国王さまになられると信じております。くれぐれもお身体にはお気をつけください」
何度も聞いた同じ言葉が繰り返される。
「ありがとう、フェス。あなたにも幸運が訪れる事を、かの地から祈っています」
何度繰り返したかわからない、返事を返す。
フェスは、立ち上がり軽く頭を下げると部屋を出ていった。
後に続く人たちも惜別の言葉を伝えると部屋を出ていく。最後のディンを残し、部屋の中は音が消えた。
この一週間、ジュデはスタンの講義を受けながら、監視されていた。
以前に比べはるかに少なくなった自由になる時間を使い王宮の中を探し回っても、ディンの姿を見つけることはできなかった。
誰にも訊くことはできず、自分の力で探すしかなかった。それは、自分の力のなさを感じることでしかなかった。所詮自分に力などない。今まで、どれほど甘や
かされていたのかを思い知った。
「ジュデさま」
そう言ってディンがジュデの手を取り跪いたとき、ジュデも同じく膝を落とした。
思いがけないジュデの行動に少し戸惑ったようなディンを、ジュデは見上げた。小さい頃からずっと同じ身長差を持ち続けている。これから、ディンに追いつく
のだと思っていた。ずっと、あこがれていたディンに。
「ディン、会いたかった」
言いたいことはたくさんあったように思う。けれど、それしか言葉にならなかった。
五歳になったときから、十年間常に傍にいてくれた存在だった。想いも言葉もあふれるばかりで声にはできない。
「私もです」
ディンの言葉が胸を締め付ける。好意を伝える言葉にディンはいつも答えをはぐらかしてきた。初めて、応えてくれた言葉だった。
感じるのに――――ディンが自分を大切だと思ってくれていると感じるのに、今まで決して言葉では返してくれる事はなかった。それを今くれることが、さらに
胸を締
め付ける。
「ディン」
「ジュデさま――――もうお傍にいることはできませんが、立派な国王になられることを祈っております。ジュデさまなら、できるはずです」
不安を抱える心を見透かしたように、ディンは優しい言葉をかけてくれる。
「――――ディン。最後にひとつだけお願いを訊いてくれる?」
これで、もう会えないなんていうのは嫌だ。
「……なんなりと」
答えをためらったように、少しの沈黙の後ディンは答えた。
「今宵一晩、傍にいて欲しい。明朝にはここを発たなければいけない。最後の夜をディンと過ごしたいんだ。自分の役目は分かってるつもりだよ。がんばるか
ら、どんなに辛くてもがんばるから、ディン、がんばれるように勇気を少し分けて」
言いながら、ジュデはディンの瞳を見つめた。ディンの瞳は揺らいでいた。ジュデが王籍を離れると言ったときのように。
ディンは一度伏せた視線をゆっくりと上げた。
「分かりました。まだ仕事が残っておりますので、後ほどまた伺います」
答えはジュデが望んだものだった。
ディンは今まで嘘を言ったことは無い。来ると言ったのならば、必ず来る。
それでも、ジュデは不安だった。
「待ってる、きっとだよ」
「はい」
「絶対だよ」
「はい」
ジュデに応えながら、ディンの口元が緩んだ。
あまりにしつこく感じたのだろう。今まで、ジュデが何度も念を押したことは無かった。それだけジュデはディンを信頼していた。
「少し時間がかかるかもしれません。伺ったときにお声をかけますから、少しお休みください」
そう言葉を残しディンは部屋を出て行った。
扉が閉まり、遠ざかっていく足音がかすかに聞こえる。今まで触れていた手のぬくもりが少しづつ薄れていく。
後を追ってしまいたくなる気持ちに、ディンは来てくれると言った、と言い聞かせな
がら、ジュデは掌を握りしめた。
ジュデがふと目を開けると、目の前にディンの顔があった。
驚いたように身体を引いたディンは、ベッドの脇に膝をつき顔を伏せ、「レモネードをお持ちしました」と言った。
「声をかけてくれるって言ったのに」
答えた言葉には不満が出てしまった。
ディンの言葉を信じたから、ベッドに入って横になった。この一週間、あまりよく寝られなかったことが影響しているのか、ディンの顔を見て安心したのか、
眠っ
てしまったらだめだ、と思っていたのにベッドに横になると直ぐ睡魔に取り込まれてしまったようだった。
「申し訳ありません。よくお休みのようだったので」
ディンが言い訳を口にする。
どのくらいの時間だったのだろう、ディンがいたのに寝てしまっていた時間が勿体ない。
油が切れたのか、部屋の明かりは落ちていた。けれど、天蓋の布をあけていたから、窓から見える月の明かりに照らされて、不自由のないくらいに周りを見るこ
とはできる。
ジュデはベッドの上で、身体を起こした。
「いつから、いたの?」
「つい先ほど」
「本当に?」
「レモネードを飲んでいただければ分かります」
珍しく、ディンがムキになって反論した。
「じゃあ、ちょうだい」
ジュデが手を差し出すと、ディンはベッドの脇にあるテーブルからカップを取り、ジュデに渡した。
カップを通して熱が伝わってくる。口をつけると、温かくて甘い液体が口の中を潤した。ディンが持ってきてくれたものだから、疑うこともなく口にできる。明
日からは、できないことだ。
「もう、冷たいよ」
「そんなはずは――――」
ディンが口ごもった。
「ディン、嘘をついた罰に、ここに来てレモネードの代わりに僕を暖めて」
ディンの肌を感じたい。ディンの体温を感じたい。いつだって、傍にいてくれた。たとえ、毒が入っていると分かっていたとしても、ディンが持ってきてくれた
ものなら、口にする。それほど、信頼できるのはディンだけだ。
「ジュデさま、それはできません」
「なぜ?」
「お傍でお話をすることだけ、許されて参りました」
許されて? それは、この部屋へ来ることを誰かに願いでたということ?
「誰に?」
「ジュデさま、明日は国境までジュデさまのお供をさせていただくことになりました。今宵は朝までお傍についております。ですから、安心してお休みくださ
い」
「ディン、僕は――――」
「今、許可がなければジュデさまの部屋へ上がることは許されません。聞きわけてください」
そう言いながら、ディンは扉へと視線を向けた。
話を聞かれてる? 誰かが扉の外にいて、話を聞いている? 今でも監視の中にいる?
そう、あの日から、十五歳の誕生日から自由はなかった。それは分かっていたけれど、ディンならできるんじゃないかと思った。今まで望みを叶えてくれたディ
ンだから。誰にも知られること無しに、部屋へ来れるのではないかと思った、いや、そう思いたかった。
「――――僕は、またディンに辛い思いをさせてしまうの?」
ジュデの我が侭がディンの責任になり、ディンが罰を受けたことは何回もある。
「ジュデさま、そんなことは」
「今度は、反省室? それとも、もっと辛いこと?」
ディンが何度もかぶりを振った。
「国王さまから、ジュデさまが最近よくお休みになれないようだから、お傍についているように言われて参りました。罰を受けるようなことは何もありません」
「本当に?」
「本当です。ただ――――」
ディンが言葉を濁した。ただ、行動や話の内容を監視されている、ということなのだろうか。
最後の夜。
窓辺から見ているだけで、見回りの兵士の数が多いことは分かった。早朝に発つため、マディバの使者も王宮に滞在している。外部からの賊の進入を防ぐため?
それだけでは、決してないのだろう。
ジュデは手に持っていたレモネードをベッド脇のテーブルに置くと、ベッドを降りた。
「ジュデさま?」
「ディンは、そこに居て」
ジュデはディンに声をかけると、部屋の隅にあるチェストの引き出しを開けた。装飾品が納められている引き出しの中から一枚の布を取り出すと、引き出しを閉
める。
両脇に房がついた、両腕を伸ばしたほどの長さの布はクーフィーサと言い、祭りや式典の時に首に巻く装飾として用いる。ジュデが生まれたときに国王が作らせ
たものは、紫がかった藍色のもので、その色は出すことが難しい上に、同じ色に
は二度と染められないと言われていた。白と薄い桃色の小さい花びらが一面に刺繍され、金糸の風が施されている。この世界にただ一枚しか存在しない、ジュデ
の印でもあった。
ジュデはディンの前に膝をつき、そのクーフィーサを広げると、ディンの肩にかけた。
「ジュデさま」
驚いたようにディンがジュデを見る。
ジュデは人差し指を口にあて、ディンの言葉を止めると、
「もう傍にはいられない僕の代わりに持っていて」
ディンの耳元で囁いた。
「ジュデさま、このようなものは――――」
ディンが小さい声で呟く。
「僕は何も持っていく事はできないんだ。この部屋にあるものすべて、ディンにあげたいくらいだよ。今までディンが僕にしてくれたことを思ったら、そんなこ
とじゃ足りなくて、何も返すことはできなくて、もう傍にいることもできなくて、邪魔でなかったら、せめてこれを持っていて、時々は僕のことを思いだして欲
しい」
ジュデは、言いながらクーフィーサに手を添わせた。
ディンは視線を伏せると、ためらいがちにクーフィーサに触れる。
「ジュデさま、こんなに大切なものを――――ありがとう、ございます。……私にも、何かジュデさまに差し上げられるものがあれば―――」
ディンが手を滑らせて胸元を握り締めた。
「だめだよ、ディン。それは大事な形見のはずだ。それに、何ひとつ、どんな小さなものでも、たとえ、欠片でも持っていくことはできないと言われたよ」
「ジュデ、さま」
ディンの声は掠れていた。
「もう一度だけ、それを見せてくれる?」
ジュデが手を差し出すと、ディンは胸元から手を入れ、ペンダントを取り出してジュデの掌に乗せた。
それは、ディンの母親が身に着けていたものだった。重みを感じる銀細工のペンダントトップは、楕円形をしている。細かい模様で縁取りされた内側には天使が
卵を抱え
ている絵が彫られていた。卵として宝石が埋め込まれていて、その宝石は、当たる光の角度や強さにより、水色、澄んだ青色、紫色といった多色の色を放つ。今
は、淡い光の中で水色の光を湛えている。
「とても高価なものだと聞いたよ。ディンの父上はきっと力を持った人だよ」
ジュデの言葉にディンは無言で顔を伏せた。
力を持った人間――――それは必ずしも良いことではない。十八年前、ちょうどディンが生まれた頃、隣のマディバは戦争の中にあった。治安が乱れ、賊も多く
発生していたという。
そんな中で、国境近くの小さな村に身重の一人の女が助けを求めてきた。身体が弱っているものを放っておくことができなかった医師は、その女を匿った。その
女は感謝の言葉は口にしても、自分の身元については一切明かさなかったという。そして、生れ落ちたディンに一言、「ディン」と呟くと、そのまま意識を失
い、それから二度と目を開くことは無かった。
その女の容姿はこの国の民族のそれではなく、ディンは母親の容姿を受け継いでいる。
身体が弱っているときに、身元を明かすことなく、怯えることもなく、逝ってしまった彼女を、周りにいた人達は一般市民とは考えなかった。異国人の風貌から
いって海賊の女かもしれない、または、国々を放浪する盗賊団の一味かもしれない、そういった憶測が静かに流れた。
元気になれば、女には出ていってもらうつもりではあった医師も、子供の処置については困りはてた。生まれおちたばかりの子供には保護する者が必要であるの
に、その任をかってでるものは誰もいなかった。
十分な乳をもらうことができず、日に日に弱っていく子供に手を差し伸べたのは王妃だった。
「子供に罪はないはずです」
ディンを好奇の目で見る人に対し、王妃はそう答えた。
ペンダントの裏を返すと、『ディン』という文字が彫ってある。母親が呟いた言葉とペンダントの後ろに彫られた文字、そこからディンは名づけられた。
「ディン、これはディンの父上が作らせたものでしょう。こんなにきれいで繊細なものを作らせるのだから、心のきれいな人だよ。絶対だよ。ディン、顔をあげ
て。ディンの両親が悪い人であるわけないんだ」
視線を落としたままのディンに、ジュデはペンダントをかけた。
「そう言ってくださるのは、ジュデさまだけです」
「そんなことはない。父上も母上もそう思っている」
でなければ、自分の子供の傍に、素性のわからないものをつけるはずはない。
「私は――――国王さまにも、王妃さまにも、ジュデさまにもいつもお心を頂くばかりで何もお返しすることができません。今回のジュデさまのこともただ見て
いるだけしかできない。自分の力の無さを感じることしかできず、ただ悔しいばかりです。ジュデさまが、なぜ――――そう思うと胸が張り裂けそうになりま
す。でも、私には何もできない」
「そう思ってくれるだけで十分だよ、ディン。今までだって、僕はディンに辛い思いばかりさせてきた。返せないのは僕の方なのに」
「ジュデさま、そんなことはありません」
ジュデは、ディンの腕をなであげた。古傷が一筋肩から肘の下まで線のように延びている。
「この傷だって、僕のせいだよ」
まだ、幼かった頃、木登りをしていて、ジュデが手に取った枝が折れてバランスを崩してしまった。あっと思ったときには、ディンに抱えられ落ちていた。それ
ほど高いところから落ちたわけではなかったけれど、ディンは地面にたたきつけられたとき、落ちていた枝で腕をえぐるように切ってしまった。その傷跡は、
何年も経った今でも残っている。
「あれは、私がジュデさまを支えきれなかったのがいけないのです」
「おまけに、反省室に入れられて――――僕がやりたいって言ったのに、僕の我が侭なんだからディンが罰を受けることは無いんだ」
「あのときはジュデさまも足を怪我されました。皇子に怪我をさせたのですから、そのまま、処刑されても仕方ない状況でした」
「だって、ディンは何も悪くない」
訴えるように見るジュデの視線をディンは外した。
「あの時、スタンさまが、困りきった顔で反省室の私のところへ来られました」
「ディンに罰を与えたりするからだよ」
「ジュデさまの姿が見えないので、王宮の中を探していたら反省室の裏で毛布にくるまって壁にもたれて座り込んでいられた、と」
「ディンの傍にいたかっただけだよ」
「暴れるジュデさまを、力ずくで抑えて部屋に戻ると、今度は食事を取られないのだと」
「だって、反省室に入れられたときは食事をもらえないって聞いたよ。本来、罰を受けるのは僕の方だよ。悪くないディンが罰を受けて、僕には何もないなんて
おかしいよ」
「そうやって、ジュデさまはいつもこんな私のことを想ってくださいます」
「ううん。この服の下にも大きな傷があるでしょう。僕の馬の前にウサギが飛び出してきたのは、ディンには何も責任はないのに。それだけじゃない、いつだっ
て」
「そう言ってくださるだけでも十分すぎるほどです。ジュデさまが笑ってくだされば、私は幸せでした。そのためなら、何でもできました」
ディンがやわらかい笑みを浮かべた。
「――――何でも? それは、今でも?」
ジュデの言葉に、ディンが困惑の瞳を見せる。
「ジュデさま、それは――――」
ジュデは視線を伏せると、小さく笑った。
一緒に逃げて、という言葉を飲み込む。そうしたくても、できないことは分かっている。一番困らせてしまうのはディンだということも。
「僕は今まで子供だった。少しは大人になった気でいたのに。甘やかされて、守られて、何も知らなくても生きていけた。ディンが傍にいてさえくれれば、何も
怖いものなんて無かった。だけど、明日からは違う。無理やりにでも大人にならなきゃいけない。いろんな気持ちを抑えつけなきゃいけない。そうできるよう
に、そうなれるように、欲しいものがあるって言ったら、ディンはくれる?」
ディンが怪訝な瞳をみせる。
自分にあげられるものなどないと思っているのだろう。
カタチあるものは何も持っていくことはできない。カタチがなくて、がんばる気持ちを与えてくれるもの。そんな気持ちをもらえるのはディンからだけだった。
しばらく瞳を彷徨わせていたディンは返事をしないまま、顔を伏せた。
ディンは嘘は言わない。だから、分からないものに返事はできない。
「キスして」
扉の外に聞こえないように、顔を伏せたディンの耳元に小さな声でジュデは囁いた。
それは愛を確認しあう行為だと、教えられた。普通は男女の仲をさすものなのだろう。
今までにどれほどの人と出会ったかは分からない。その中で、これほど惹かれたのはディンだけだった。
尊敬できるのも、慕えるのも、全てを預けることさえ、ディンにならできる。
「ジュデさま」
まるで予想などしていなかったかのように、顔をあげたディンは目を見開き、眉間に皺をよせた。
「額とか頬とかじゃいやだよ。僕が弱虫にならないように。がんばれるように、ディン勇気を分けて」
ディンを見上げたまま、ジュデは静かに目を閉じた。
ジュデはずっとそのまま待っているつもりだった。ディンが、そう簡単にくれるとは思わない。
幼い頃は違った。一緒に居て欲しいといえば、身体を寄せ合うこともしてくれた。夜がさびしいと言えば、忍んできて、ベッドの中で抱きしめてもくれた。
それは、いつからか変わった。
誰もいないのに、誰に見られているわけでもないのに、ディンはジュデと距離をおく。ジュデが一歩進めば、ディンは一歩下がる。
もどかしさを感じながらも、ジュデはその差を詰められずにいた。この差を詰めてしまったら、もっと離れていってしまいそうな予感を感じたからだ。けれど、
もうそんな予感などどうでもいい。現実として、もう、明日からディンはいない。
目を閉じていてもディンの気配は感じる。息遣いのひとつひとつは目を閉じたことで、さらにはっきりと聞こえてくる。
いっときの時間をおいて、
「ジュデさま――――」
ディンは小さい声で呟くと、ジュデの頬に手を添えた。ジュデの心臓がとくんと跳ねる。
近づいてくるディンの気配に心臓は、どんどん動きを速めていく。温かくて柔らかいものが口を塞いだ時、ジュデは身体の力が抜けてしまった。
落ちていきそうになる身体は強い腕に抱き寄せられる。唇は優しく触れてくる。
柔らかくて温かい唇は自分の全てを包んでくれるようだった。
ジュデは自然に、腕をディンの背中へ回していた。手には衣服を通して硬くてはりのあるディンの背中を感じる。
このまま時間が止まってしまえばいい、このままディンを感じていたい、ディンを抱きとめていたいと思っても、腕に力は入らない。
一度離れていった唇は、名残惜しそうに、もう一度啄ばむように触れると、離れていった。
離れたくないと思うジュデの気持ちが通じたのか、身体だけはディンの腕の中に抱き込まれた。
「ジュデさま」
耳元でディンが囁く。
ジュデが少しでも多く触れ合いたくてディンの肩口に顔をうずめると、ふわっと立ち上がるディンの匂いを感じた。
森のしめった空気のような匂いは、ずっと以前感じたものと同じだった。