風が頬を撫でる。
リナトの広い背に掴まり広い草原を馬で走る。祐人は夢の中にいるように感じていた。
いつもより早い時間で仕事を終えることを許されたから少し島を見せてやる。そうリナトは祐人に言った。走るというより、早足で歩いていると言った方があう
くらいの速さで馬は進む。緑と茶色と白と空の蒼がきれいに調和した中で、自分も
風景の中に溶け込んで心が洗われていくような気がした。
アイラの話は祐人にはショックだった。
エ
ジットを撃った犯人としてディザは捕らえられた。そのことにディザは何の申し開きもしなかったと言う。心が抜け落ちてしまったように、ディザはただぼんや
りとしていた。ブリスは自分が撃ったと言ったらしい、けれどそれは取り上げられなかった。ブリスの親はそれだけの権力を持っていた。本来ならば、ブリスは
この島へ派遣されるような人物ではない。ただの興味本位で志願するものもいるという。ブリスもその一人だった。島の住民は武器を持たない。持つことは許さ
れない。一部の好奇心に満ちた兵士は調査と称し街に来て拳銃をかざし好き放題をするという。そして、その行いは闇に葬られる。
罪人の印を押されディザは家へ帰ってきた。けれど、食べ物を口にせず、時々堰を切ったように泣き叫ぶディザを両親はどうもできなかった。それだけでなく、
密航しようとした上に兵士を銃で撃ったという話にコミュニティでは非難が高まった。
エジットが助けて欲しいと私のところへ来たのです、そうアイラは言った。
『このままでは、ディザもお腹の子もだめになってしまう』
エジットの言葉にアイラは親の反対を押し切って自分の家にディザを向かいいれた。そして、アイラはエジットの言葉をディザに伝えた。
『『ずっと傍にいるから』そうエジットは言ってる』
そう言ったアイラの言葉にディザは静かに涙を落とした。
ディザの両親は自分の持っていた農場とディザをアイラに託すと、この地を離れた。
リナトが生まれディザが静かな生活を送っていたとき、エジットの事件の後島を離れたはずのブリスが帰ってきた。それを噂話で聞いてディザはブリスを避けて
いた。な
るべく、家も出ないようにしていた。けれど、ブリスは家に押し入ってきて、その時、抵抗をしたわけでもないのに、何人かが撃たれた。だから、ディザはブリ
スと向かい会った。
目的を果たすためには何でもする人間だとディザには分かっていたのでしょう、そうアイラは付け加えた。
ブリスは島を出ようとディザに言った。自分はもう島を出ることはできない、そう言ったディザに、ブリスは笑った。美しいディザ、君は特別だと言って。
あなたに付いていくことはないと言ったディザにブリスは拳銃を向けた。
誰にも助けることはできませんでした、そう言ったアイラは悲しげに視線を伏せた。
ディザを撃ったブリスは何事も無かったように、家から、そして島から出て行った。
『リナトはこの島で行われること全てを闇に葬るシステムを作った外の世界に対して嫌悪を抱いています。その世界へ行きたいと思うはずがないでしょう?』
アイラの問いかけに祐人は答えられなかった。
アイラは十六歳になったリナトに人と交わることを勧めたと言った。女性をパートナーにして家庭を作って欲しいと思ったのですが、そう言って少し間をおく
と、リナトが選んだのはユーリでした、そうアイラは続けた。
山々の稜線を黒く浮き出させるように、空がオレンジ色に染まっていた。沈む太陽を中心にオレンジのグラデーションをもった帯がすっと広がっている。
馬がゆっくりと止まった。
「きれいだろ」
リナトが少しだけ祐人へ顔を向ける。
「うん」
それだけ答えるのが精一杯だった。心の中からあふれ出すものは言葉でなく、涙になって出そうになる。
「俺はここが好きだよ。いつ沈むか分からないと言われているらしいけれど、そんなこと信じられないし、アイラ様が言っていたけれど」
一旦言葉を止めるとリナトは片手を手綱から外して、祐人の背中へ回した。
「ここで見つかった鉱物で、すごいエネルギーを発生させるものがあるらしい。一部は生活に利用されていても、多くは兵器として利用されている。そして、年
に何回か地中深くで実験と称してその兵器が試されているらしい。その莫大なエネルギーの放出が何も結果を出さないとは思えない」
話しているのはリナトなのに、遼平の声がカノンのように追いかけてくるように聞こえる。
「うん。そうだね」
たとえ頑丈な建物でも爆弾を仕掛ければ崩壊する。大地も作られたものには違いない。それは人か自然かの違いはあったとしても。
リナトの腕が更に祐人を近寄せる。肌を感じる、それだけで胸が熱くなる。
「それに、周りのもの全てが作られたものだという生活も嫌だ」
「全てが作られたもの?」
「ああ、お前は知らないのか」
「うん」
未来の世界への夢はある。けれど、それを現実には知らない。
「土も花も草も木も、ペットも人さえも」
「全て?」
どれも祐人には自然のものだ。
「コーティングされて汚れない土、枯れると空気中に分解されてしまう花や葉、性格が選べて一日一回餌を上げるだけで後は何もしなくても植物のように成長す
る犬や猫、自分の細胞から欲しいものを作り好みに合わせて加工して移植された身体」
祐人はただ呆然とリナトを見詰めた。
「この肌も瞳の色も髪の毛も自分の好みのものに変えられるんだ」
リナトが祐人の頬を撫でる。
「楽かもしれない。楽しいかもしれない。だけど、俺は今の生活の方が好きなんだ」
リナトの手が頬をすべり顎にかけられる。その手で祐人は顔を上げさせられた。
「リナト?」
「ユーリは従順だったから、ユーリへは命令しかしなかった。お前が気にすることじゃない。そう言えば、ユーリはそのことについて再び口にすることは無かっ
た……ユーリに帰ってきて欲しいならお前にそう伝えろ、とアイラさまは言った。その気持ちはきっと伝わるだろうと」
「ん」
祐人も伝えて欲しいと言われた。
「ユーリ、そうお前のことを呼んでいいか?」
リナトが眩しそうに目を細める。
「……いいよ」
祐人は頷いた。
この身体はもともとユーリのものだ。
近付いてくるリナトに、祐人はすっと目を閉じた。二三度軽く触れ、リナトの唇は離れる。
「帰ろう」
「うん」
祐人がリナトの身体に腕を回すと、リナトは馬を走らせた。
――――遼平
身体が違う、顔も違う、声も違う、けれど、傍にいる時に感じる安らぎはそのままだ。初めから感じた不思議な信頼感をアイラの言葉は確信に変えてくれた。
そして、今、祐人の中で二つの気持ちが交じり合う。
ユーリに戻ってきて欲しい。それは、リナトが望んでいることだ。
けれど、ユーリが戻らなければこのままリナトと過ごしていける。好きな人の傍にいられる。
リナトは遼平ではない。それは分かっている。アイラは祐人にユーリを見つけられるはずだ、と言った。それは自分には分からないけれど、リナトに遼平の影を
感じる。それはとても自然に。
元の世界に戻ったら手に入れられないものを、ここでは手に入れられる。
――――でも、リナトが愛しているのはお前じゃないよ。
意地悪な脳細胞は、祐人の気持ちに針を刺す。
分かっている。分かっていて、それでも尚その優しさを求めてしまうのはいけないことなのだろうか。
今、触れているこの身体を離したくはない。
リナトがドアの横に掛けた明かりを消した。
抱かれるとき、ユーリは明るいことを好まなかったのだろう。
ベッドに腰かけたまま、祐人はリナトを待った。近付いてくるリナトに両手を伸ばす。すっぽりとその中に入ってくるリナトに祐人は押し倒される。
唇にキスを落として、耳に息を吹きかけるようにして耳たぶを甘噛みして、唇が首筋を降りていく。
「リナト」
祐人はリナトのまだ寝衣に包まれたままの背中を撫でた。
「ん?」
リナトが少し顔をあげる。
「あの……いいんだ。このまま、何もしなくて。ただリナトが傍にいてくれたら、それで安心するから」
抱かれたくないわけじゃない。毎日でも抱かれたい。肌を感じたい。けれど、この身体は自分のものではなくて、リナトが傷つけることを恐れるから、それは我
慢しなきゃいけないと思う。
一瞬沈黙があった。
「あ……」
嫌われるようなことを言ってしまったのかと、祐人は不安になった。けれど、取り繕う言葉が浮かばない。
「今日はお預けって、わけか」
リナトが小さくため息をつく。そして、どさっと祐人の隣に身体を落とした。
え、だって……。
祐人は心の中で呟いた。
抱いてくれるつもりなら、祐人の腕に入ってくる前に、リナトは寝衣を脇の籠に落としていた、今までは。
「リナト……」
祐人は身体を起こすと、リナトの方へ視線を向けた。月明かりが入ってくるから、ぼんやりと表情は分かる。特に怒ったようには見えなかった。
「そんな不安そうな声だすなよ。抱きたくなるだろ」
「リナト、意地悪だよ」
抱いて欲しいのを我慢してるのに。
リナトがふっと笑った。
「お前は素直だな。ユーリなら絶対言わない言葉だ」
「あ、」
「でも、ユーリは言わないだけでそう思っていたのかな」
リナトが手を伸ばして、祐人の頭をくしゃっと撫でた。
「分からないよ。僕はユーリじゃないから」
「でも、ユーリなんだろ?」
そうアイラは言った。けれど、それを実感はできない。
祐人が返事に困っていると、リナトが祐人の腕を引っ張り自分の身体の上に抱き寄せる。
「ユーリなんだよ、お前は。俺には分かる。だけど、違うと思うところにはそれなりの理由があるんだろう。きっとユーリはお前がしたこともないようなことを
経験しているから」
祐人は胸が熱くなった。辛い思いをしたのはユーリだけじゃない……。突然溢れてきた思いに、目頭が熱くなって、抑え切れない涙がこぼれる。それは、リナト
の寝衣を濡らした。
「お前が泣くことないだろ」
声がでなくて、祐人はゆるくかぶりを振った。
「抱かれたくないなら泣くなよ」
リナトの手が優しく頭を撫でる。
「抱いてよ。抱いて欲しいのに、いつだって肌を合わせていたいのに、だめだって言ったのはリナトだ」
「今日は抱くつもりだったのに、何もしなくていいって言ったのはお前だろ」
「だって、リナトが寝衣を着たままだったから、今日も抱いてくれないんだと思ったんだ」
リナトの手が止まった。
「それだけか?」
「それだけだよ」
他に理由なんかない。
「お前は、好きなやつがいると言っただろ? 身体が望まないなら、抱かれたくはないんじゃないのか?」
「覚えてたの?」
そんな話をしたのはずいぶん前のような気がする。
「ユーリに他に好きなやつがいると言われたような気がして、少しばかりショックだった……まあ、俺のところにユーリがいるのは、ユーリが望んだことじゃな
いんだから、仕方ないとは思っているよ」
「そんな風に思っていたの?」
「ユーリは俺に対して酷く従順だ。逆らうことなんてない。いや、ひとつだけあったか」
「何?」
「抱きながら寝ることだけは嫌がった。俺が譲らないと、ユーリはベッドから降りていったよ。どこへ行ったのかと思ったら、居間の隅で膝を抱えていた」
「どうしてか、分かってる?」
不意にユーリの記憶が答えをくれた。
「なんとなく……次の日、仕事が休みの時は嫌がらないんだ。ベッドをでなきゃと思っても、動きたくなくてユーリを抱きながらうとうとしていたら、ユーリの
方が先に寝ているときさえある」
「……ユーリはリナトが大事なんだ」
とても、とても。
だから、ゆっくり休ませてあげたいんだ。
「俺がいなきゃ、困ることもあるからな」
祐人はかぶりを振った。何度も、何度も。リナトに押さえ込まれて動けなくなるまで。
「何してんだよ」
リナトが痛いくらいに頭を押さえつける。
「リナト――――好きだよ」
言える言葉はこれしかなかった。
リナトが息を呑んだ。身体が強張っているのを感じる。
「これは僕から……」
ふっとリナトの身体から力が抜ける。
「……お前は、好きなやつがいると言っただろ」
「うん。リナトが好きなんだ」
力の抜けたリナトの腕を抜けて、祐人は身体を伸ばすと唇で唇に軽く触れた。
「僕が好きなのはリナトだよ」
リナトの頭へ腕を回し、祐人はリナトを抱きしめた。