「彼はユーリよ」
そう言うと、アイラは二人を交互に見た。
自分がユーリでないことは祐人自身が一番分かっている。
「少なくともユーリと魂が同じだわ。ぶれていないもの」
「ぶれてる?」
続けたアイラの言葉の後に、声を出したのは祐人だった。
アイラは祐人を見ると、微笑みかける。
「本来あるべき姿でないものが重なろうとすると、合わないものです。それがあなたにはない」
「どういうことですか?」
自分は祐人のはずだ。
「人は身体という器に魂という意識をもってひとつの個体になります。身体の機能が止まったとき、魂はその器である身体から抜け出します。普通のばあいは」
アイラは一旦言葉を止めた。
ほどなくして、ドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
アイラが答えるとドアが開き、誰かが入ってくる足音が聞こえた。近付いてくる足音は祐人の後ろで止まった。
「お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
アイラが答えると、ソファを回ってきた人は祐人目の前にカップを置いた。湯気のたった琥珀色の液体からは爽やかな香りがした。この家の使用人だろう者は、
リナトとアイラの前にもカップを置くと、頭を下げ部屋を後にした。
「どうぞ」
アイラは手を差し出して勧める。
祐人がリナトを見ると、リナトは手を伸ばして、カップへ口をつけた。祐人もならってカップへ手を伸ばした。紅茶とは違う少し酸味を帯びた匂いが鼻をくすぐ
る。口に含むと、匂いを裏切らない爽やかな味が舌に残った。
「話
を続けましょう。祐人、あなたはきっと一度命を落としたのでしょう。そして魂が身体を離れた。身体から解放された魂は次に生まれ変わるときまでどんな空間
でも瞬時に移動できます。けれど、一度命を落としたはずのあなたが何かの拍子で生き返った。本来ならば、自分に身体へ返るはずのものが、ユーリの身体へ
入ってしまった」
「そんなことが……」
「起こり得ないことでもいくつかの偶然が重なっておこる。それは稀ですが、ないことではありません」
「ユーリは? ユーリはどこへ?」
声を出したのはリナトだった。
「分かりません」
アイラはかぶりを振った。
「私に分かることは、この部屋にはいないということだけです。身体を離れた以上、時空さえも自由に移動することができます。一度見失えば、また再び出会え
る可能性はとても低いものでしょうね」
「もう、ユーリは戻らないということですか?」
リナトの声は重かった。
「それは、本人の意思次第でしょう。たとえ、魂が同じものだとしても、身体はユーリのものです。ユーリが戻りたいと強く願えば、戻ることはできると思いま
す」
リナトはアイラを見つめたまま固まっていた。
ユーリの意志と言われても、それこそ雲を掴むような話だ。
「リナト、彼はユーリです。確かに、ユーリではないでしょう。けれど、本質は変わらない。きっと、彼にユーリを見ることができるはずですよ。それに、も
し、ユーリが戻ってきたとき、あなたがいなければ、ユーリはとても悲しむでしょうね」
アイラが軽く笑みをこぼす。それに答えるようにリナトはゆっくりと顔を伏せた。
――――リナトがいなくなる?
それは祐人にはあまりに意外な言葉だった。どこに行ってしまうか、といえば答えはひとつである気がする。リナトにはこの島を出る権利がある。ユーリが戻ら
ないのなら、その権利を行使しようとしても不思議はない。
リナトは何も言わず顔を伏せたままで、アイラはただ視線をリナトへ向けていた。それは、リナトが答えを出すのを待っているようにも見えた。
祐人の心臓がとくんとくんと次第に鼓動を速めていく。
リナトがいなくなる――――それは祐人には重大なことだ。リナトに本当にどこかへ行ってしまうのか聞きたくて
も言葉がでない。もし、リナトが決めたことならば、それを止める力は自分にはない。リナトがいなくなってしまったら、どうすればいいのだろう。そんな不安
が頭を占める。
「そろそろ、時間ですね」
アイラがリナトに声をかけた。
「分かりました」
リナトは答えると、顔をあげアイラを見た。そしてそのまま立ち上がる。
「ご心配おかけしてすみませんでした」
言葉と共にリナトはアイラに深く頭を下げた。
「いいえ。何もしてあげられなくて、ごめんなさいね。でも、きっとユーリは戻ってくるわ」
今度は軽く頭を下げると、リナトは祐人へ視線を向けた。その視線はすぐアイラへ戻される。
「彼は……」
「私の話相手になってもらうわ。いいかしら?」
アイラが突然祐人の方へ向いた。
「え、あ、僕でよかったら」
正直、祐人にはアイラの話は分からないことが多かった。もし許されるなら、もっと話を聞きたい。
「よかった。リナト、帰りにここへ寄ってくれるかしら」
「分かりました」
リナトは一礼すると、部屋を出ていった。ドアを閉める前にリナトは祐人を見た。視線があったのは一瞬で、次の瞬間ドアを閉められた。
「突然でごめんなさいね。びっくりしたでしょう」
「え、あ……はい」
祐人は素直に頷いた。この人なら、自分の持つ疑問を全て答えてくれるのかもしれない、と思った。それが真実かどうか確かめる術はないけれど、今までの話が
嘘やでまかせのようには聞こえなかった。少なくとも、自分に嘘やでまかせを言ってアイラの得になることはない。
「私もびっくりしたわ。ユーリがいなくなったと聞いて。でも、よかった」
アイラは口元を緩めると、目の前のカップへ口をつけた。
「聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
アイラはすぐに答えをくれた。
「リナトは、どこかへ行ってしまうのですか?」
リナトがいなくなってしまう、そうアイラが言った言葉が祐人は気になっていた。
「どこか、といえばどこかだけど」
そう言うと、アイラは立ち上がって、ソファの後ろへ回った。少し離れた窓の前に立ち、眺めるように視線を外へ向けた。
「最近、リナトはぼんやりしていることが多かったの。時々、空を仰ぐように見上げたり……。ここは綿花を育てているから、比較的安全なの。食べるものでは
ないし、そのままでは使えない。布にするためには、その技術が必要だから狙われたりすることはないの。あまりね。だからといって、何もないことはないわ。
家に忍び込もうとする者もいる。時には一瞬の気のゆるみが命取りになることもある。それをリナトはよく分かっているはずなのに」
アイラは小さくため息をついた。
いなくなると言うことはどこかへ行くことだけじゃない、そう祐人は気が付いた。この世界に存在さえなくなってしまうことがある。
「分かってくれるといいのだけれど」
アイラは呟くように言った。
「聞きたいことはそれだけ?」
アイラが祐人へ視線を向ける。
「あ……、僕はこれからどうななるのか、どうすればいいのか、分からないことだらけで、何から聞いていいのかさえ……」
「そうね。さっきの私の話は理解できた?」
「分かるような、分からないような……」
話としては理解できても、実感が伴わない。一度自分は命を失った――――それが本当ならば、あの時なのだろうと思い当たることはある。生き返ったというな
ら、今自分の身体はどうなっているのだろう。
「あなたの横に立っている子がいるの。見える?」
言われて祐人が左右を見回したが、誰もいず、何も見えなかった。
「魂の姿を多くの人は見ることはできないみたいね。私は小さい頃それが不思議だった。過去も未来も宇宙のどこへでも自由に行くことができる彼らは色々なこ
とを教えてくれた。誰も信じてくれなかったけれど、友達のディザだけは信じてくれた……ディザはリナトの母親なの」
あ、と祐人は思った。アイラをリナトは母親の友達だと言っていた。
「リナトを初めて見たときどう思った?」
初めて見た時?
「あ……とても暖かそうな人だと」
遼平だと思った。そう言ったところでアイラには通じない。遼平は別の世界の人間だ。遼平と同じ暖かさを感じた。それは事実だ。
「そう、それはよかった。初めて出会った時に感じるものは、魂で感じていることなの。だから、あなたが生きていた時代か、またその前か、あなたはリナトの
魂に会っていて、同じことを感じていたはずよ。きっと、よい関係を持っていたのね」
「……会っていた?」
「そう。記憶は失っても思いは刻まれていくものだと。初めて会ったのに懐かしいと思ったり、初めて来た場所なのに以前にも来たことがあるように思うのは魂
が覚えているからだと、そう教えてもらったわ」
「あ……」
遼平がリナト?
「あなたにお願いがあるの」
アイラはふいに悲しそうな顔をした。
「僕に?」
「そう、きっとあなたしかできない。リナトのために……」
胸がとくんと震える。
「なんですか? 僕にできることならなんでもやります」
祐人の中で、リナトが遼平に重なる。
「ユーリに呼びかけて欲しいの」
「呼びかける?」
「身体はとても強い媒体になるはず。帰ってきて欲しいとユーリに伝えて欲しい」
ユーリが帰ってきたらリナトは喜ぶだろう。それができるなら――――。
「でもね」
アイラが顔を視線を伏せた。
「ユーリが身体に戻ったら、あなたは身体を失う。それは命を失ったのと同じことになるわ」
当たり前の事実だった。
「僕の身体は今頃……」
どうなっているのだろう。
「それは分からない。一度は生き返る機会を与えられたはず。けれど、あなたは身体には戻らなかった。その後、どうなったのかは分からない。だから、こんな
ことをあなたに頼むのは酷かもしれないけれど、その身体はユーリのものなの」
――――その身体はユーリのもの
リナトにも何度も言われたことだ。
祐人は答えられずにいた。
リナトの喜ぶことはしてあげたいと思う。遼平だと思えば、尚更。けれど――――。
アイラは祐人の方へ歩いてくると、ソファに腰を下ろした。
「ユーリは悩んでいたの。一度だけ相談に来たことがあるわ」
「え?」
「ここで働きたい。そうユーリは言ったの」
「なぜ?」
意外だった。
リナトとユーリは社会的な関係はどうであれ、パートナーとしての役割が決まっていた。
「ユーリはリナトから自立したかった。きっと、リナトを自分が縛っているような気がしたのね。リナトはこの島を出ていく事ができるのに、自分がいるからそ
れができない、そう思ってしまったのかもしれない」
「それで、ユーリは?」
「ここで働かせてあげることはできるけれど、リナトにちゃんと相談してみなさいと答えたの。子供ではないのだから、私が口を出すより二人で話し合ったほう
がこれから先のためにもいいと思った。今、思えば、リナトのことをユーリに話してあげた方がよかったかもしれない。リナトが自分の口から話すべ
きだと思うけれど、リナトは口にもしたくないかもしれない。だから、あなたが理解してユーリに伝えて欲しい。自分の身体を簡単に手放すはずはないの。きっ
と、ユーリ自身、自分はいなくなった方がいいと思っていた。だから、あなたに身体を渡してしまったんじゃないか、そう思えて仕方ない」
アイラが見つめてくるその瞳に祐人は強い意志を感じた。
「リナトのことを僕が聞いていいのですか?」
本人が口にもしたくないことを。
「リナトはこの島をでたいなんて、決して思っていないわ」
アイラは言い切った。そして、小さく息をつくと話始めた。
リ
ナトの母親であるディザもこの土地で生まれた。そのディザはこの島の調査保全のため配属された兵士と恋に落ちた。そのこと自体は、島が開かれたばかりで荒
れ果てていた
創世記ではなくコミュニティができ人々がそれなりの生活ができるようになってからは、それほど珍しいことでもなかった。
この島で生まれたものは手続きを踏めば島を出られる。兵士の任期満了とともに島を出ていった人もいた。
けれど、任期半ばでディザの恋人だったエジットが島を離れることになった。加えて、ディザのお腹にリナトがいることが分かった。ディザを一人島に残すこと
に悩んでいたエジットに友人のブリスは共に島を離れることを提案した。手を貸してくれると言ったブリスの提案にエジットはのった。
アイラはそこまで話すと口を噤んだ。
その提案が成功していれば、リナトはここにいないはずだ。それだけは祐人にも分かった。
「島を離れらることはできなかったのですね」
少なくともリナトの母は。
「船の荷物室でエジットは銃で撃たれたの」
祐人は頭から血がすっと引いていくような気がした。