朝、祐人が目覚めたとき、自分を抱きながら寝ていたはずのリナトの姿がなかった。
今日は少し遅くてもいいはずだ、そう思いながら祐人はベッドから降りた。部屋を出ると台所から物音がした。祐人が台所を覗くとリナトが暖炉の前に立ってい
た。火にかけられた鍋からは湯気がたっている。
昨日の晩、底が見えていた野菜かごには今朝とってきたらしい野菜が山盛りにされていて、もしかしたらと思って部屋の隅にある瓶の蓋を開けると水が溜められ
ていた。
どうして? と思い、瓶の蓋を持ったまま祐人は立ち尽くしていた。
「俺がお前にしてやれることは、こんなことぐらいだ」
後ろからリナトの声がした。
祐人が蓋を戻しリナトの方を向くと、リナトは視線を目の前の鍋に落としていた。
「食べることがやっとで、何も楽しみがあるわけじゃない。お前が元いたところへ帰りたいと思うのは当たり前のことだと思う」
「リナト?」
祐人は帰りたいとは一言も言っていない。
「だけど、その身体はユーリのものなんだ」
「分かってるよ」
いやと言うほど自分の身体でないことは分かる。
「一日中、お前についていてやりたいけれど、金がなければ、干し肉の一切れも買えない。だから……」
リナトの声から不安が伝わってくる。
「分かってるよ。ユーリが戻ってくるまで、僕はここにいる」
それがいつになるのかは分からない。もしかしたら、もうユーリが戻ることはないのかもしれない。けれど、待つことしかできない。
リナトの答えは無かった。
仕事へ行くリナトを見送りながら、祐人は空を見上げた。
空は変わらない。蒼く白い雲が浮かんでいる。同じように見える空の下、生活は大きな違いがある。
ついこの間まで同じ時を過ごした仲間は、今頃学校へ行っているだろう。
「祐人」
突然呼ばれた声に振り返ると、そこには誰もいなかった。遼平の声に聞こえたけれど、遼平がここにいるはずがない。空耳だったのか声は風に流されていく。
そういえば、と思う。
中学入学当時、決められていた座席は遼平の前
で、前から配られるプリントを渡すために何回か後ろを向いた。
何度目かは忘れた。
『どっかで会ったことない?』
プリントを受け取りながら遼平は言った。
『……ううん』
少し考えて、祐人はかぶりを振った。遼平のことはそれまでの記憶には無かった。けれど、あの一言は親しみを増した。
「遼平」
呼んでみたところで返ってくる声はなく、ただ風が頬を撫でていくだけだった。
次の日、やっと空が明らんできたとき、ベッドから出ていこうとするリナトの腕を祐人は掴んだ。リナトは振り向いて怪訝そうな顔をした。
「いいよ。僕がやるから」
「しかし――――」
リナトが困った顔をする。
「何もやることがなくて、暇な方が辛いんだ」
昨日は何もすることがなくて、ただ空を眺めていた。頭に浮かぶのは遼平のことと、先への不安ばかりだった。
「楽な方がいいんじゃないのか?」
リナトの困り顔は変わらない。
「今は、何かをしていたほうがいいんだ」
祐人はリナトを押し倒すと、ベッドから降りた。
「食事ができたら呼ぶから、もう少し休んでいて」
リナトに向かって言うと、祐人は部屋を出た。
手に余ることをしろと言われるわけじゃない。料理が得意なわけじゃない。正直、今まで料理なんてしたことはなかった。せいぜいお湯を沸かしてカップラーメ
ンを作るくらいだ。けれど、それとあまり変わらない。
祐人は台所に入ると、薪をくべてそのまま外へ出た。畑でサツマイモを掘り起こすと、井戸で芋を洗った。それに塩を少し入れて茹でるだけだ。ただそれだけな
のに、甘く感じた。
水を張った鍋に塩を少し入れ芋をその中へ入れると火の上にかけ、そして、また外へ出る。簡単な網で囲われた中に入ると、トマトをもいだ。季節感のあまり
ない温暖な気候でありながら、それでも変化はある。トマトはもうそろそろお終いだとリナトは言っていた。これからは雨が多くなるという。
雨が降るということは雷が鳴る可能性が高くなるということだ。リナトの心配はそこにあるのだろう。身体があれば、戻ってくるかもしれないけれど、身体がな
くなってしまえば、その望は絶たれる。
祐人が茹でたサツマイモとトマトを持って居間へ行くと、リナトは既にテーブルの前に座っていた。
「リナトがいてくれるから、僕はここでの生活を辛いなんて思ったことはないよ」
何を言ってもリナトへの慰めにはならないかもしれない。それでも、一言言いたかった。感謝しているから、悲しませるようなことはしたくない。
「お前、変わってるな」
不思議そうな顔でリナトが見る。
「気が狂うやつもいるのに」
リナトは言いながら手を伸ばして、トマトを取った。
「気が狂う?」
確かに娯楽のない生活は楽しいものではないかもしれない。買い物ひとつでも気が遠くはなる。
「明日、この地があるのか分からないんだぞ――――俺はここで生まれたからここが海に沈むなんてことは信じられないけれど、外から来たやつの中には、夜も
寝られなくておかしくなるやつもいる」
そうだった。そう思いながらも、祐人はどこか他人事だった。今ある地が消えてしまうなんてそう簡単には想像できない。
「向こうの世界じゃ、真っ先に教えられることらしい。悪いことをすると、いつ沈むか分からない土地へ送られる。そう教えられているはずなのに、毎月ここに
送られてくるやつがいる。戻れやしないのに、いい大人が帰らせてくれと騒いでいたりする」
「そうなんだ……」
小さな頃からうめこまれた記憶は恐怖心をかき立てるかもしれない。ふと祐人は小学校の裏にあった作りかけで放置された建物を思いだした。鉄の柵で閉鎖され
草が生い茂っていたそ
こは幽霊がでると評判のところで、前を通るだけでも怖かった。そこに無理矢理連れ込まれそうになったら、きっと今でも泣き叫ぶだろう。
幼い頃植えられた恐怖はそう簡単には忘れられない。
「ユーリは……ユーリは大人たちが泣き叫ぶ中で、一人膝を抱えて大人しく座っていた」
リナトは視線を伏せると、トマトを一口かじった。
「これはユーリが一生懸命種から育てたトマトなんだ」
リナトがトマトを祐人へ向けて見せる。
「……ユーリ、早く戻ってくればいいね」
姿は同じでも自分ではユーリの代わりにはなれないのだと祐人は思う。今自分はリナトとユーリが作り上げた上にいる。ただその恩恵を受けているだけだ。
リナトは何か言いたそうに口を開きかけて噤んだ。
「今日は天気がよさそうだな」
視線を祐人から背け、サツマイモに手を伸ばす。
「うん。だから今日は少し余計に取っておくよ」
雨の中、外へ出ることをリナトは好まないだろう。
「ああ」
リナトは短い返事を返してくる。その言葉がなぜか切なく感じた。
はぁ、はぁ、はぁ――――……
月のない夜は外は暗闇に閉ざされている。明かりを落とされたら、慣れてきた目でもぼうっとした影しか分からない。
薄暗い中、リナトの手で快感に酔わされる。
「あ、」
肌を撫でていたリナトの手が祐人のものを包み込む。
昨日も同じだった。
最初抱かれたときも、抱いて欲しいと望んで抱いてもらったときも、触れはしても直接快感を与えることはしなかった。なのに、リナトの手は今意志をもって祐
人を追い詰めようとする。
――――なぜ?
そう思っても、祐人は言葉に出せない。
追い詰めていくこの手を止めないで欲しいと思う。リナトに促されて、その先へ走る身体も意志も祐人は止められない。自分の呼吸が耳の中で響く。内側から敏
感なところを擦られて顔が歪む。更に、直接刺激されて身体は宙を飛んでいるようだった。
「あ――――……」
意味もなくかぶりを振ってしまう。腰はリナトの動きにあわせるように揺れていた。熱は膨らんでいく。
「っ……」
限界を超えて弾けた熱はリナトの手を汚していた。
気だるさを感じながらリナトを見ると、リナトは祐人が汚してしまった手を布で拭っていた。寝衣をつけたままなのは、昨日も同じだった。昨日は祐人を満足さ
せて、その後祐人を抱き込んだままリナトは寝てしまった。
え? と思うまま聞こえてきた寝息に祐人ができたのは、抱き返すことぐらいだった。疲れているのに満足させてくれた。それは、きっと、こんなところにいる
のは嫌だと無茶なことをさせないように。
これからの季節、リナトはずっとそう思い続けるのだろうか。そう思うと切なくなる。
「リナト」
祐人は両手を伸ばした。自分だけじゃなく、リナトにも満足して欲しい。
リナトは拭った布をベッドの脇の籠に入れると、覆いかぶさるように抱きしめてくれる。
「疲れてる? なら、僕が上になるよ」
やったことはない。けれど、疲れているリナトに全てを預けてしまうことは気がとがめる。また、このままリナトが寝てしまったら、そう思うと胸が痛くなるほ
ど切
なくなる。自分のためじゃないことは分かっている。けれど、それほど大切な人を突然失ってしまったことの悲しさはきっと自分が思う以上のものだと思う。
「……満足できないかもしれない。けれど、過度な行為は身体を傷つける……俺はユーリを使い捨てにしたいわけじゃないんだ。だから、少し我慢してくれ」
リナトが耳元で囁く。手は頭を撫でる。
「嫌だ……」
祐人はそう返すと、リナトを押し戻し寝衣のあわせから手を入れて、リナトのものをそっと包み込んだ。
「やめ……」
リナトが手を伸ばす。捕まえられる前に、祐人はリナトのものを口に含んでいた。
――――え?
祐人は自分のしたことに戸惑いを覚えた。
リナトにも満足して欲しい、そう思っただけだ。身体が意志をもったように勝手に動いた。
伸ばされたリナトの腕が空で止まる。何かを掴みそこねたように、静かに下へ下ろされた。
「やった、ことがあるのか? 」
リナトの手がそっと祐人の頭に触れる。祐人は小さくかぶりを振った。
「なら、無理することはない。俺のことはいい」
リナトの言葉に胸が痛くなる。
祐人はあわせを開くと優しくリナトのものを舐めあげた。リナトが小さく身じろぎ、甘い息を漏らす。
手で根元を扱きながら、歯があたらないように唇で優しく扱く。舌でくすぐるようにする。強く、弱く。祐人の愛撫に応えるようにリナトのものは質量を増し硬
くなっていく。
きっと、自分の身体を気遣うリナトのために、ユーリはやっているのだろう。身体は勝手に動いた。こんな風にするのだと、祐人が知らないことを自然にやって
いく。扱き、舐めあげ、先端をくすぐる。強く弱く、けれど、大事なものを扱うように優しく。
リナトの甘く湿ったような息遣いに、いつも自分はあんな風になっているのだろうか、と思った。酔わされて自分のこと気にはしていられない。感じてくれてい
るんだ、と思うと嬉しかった。自分も男なんだ、と思う。何も分からなくなるくらい酔わせたい、そう祐人は思った。
ゆっくりした息遣いは次第に早くなっていく。
「ユ……っ」
リナトの手が優しく祐人の頭を撫で、身体が小さく揺れる。張り詰めたものは、限界が近いことを知らせる。
「んっ……」
リナトの背中が仰け反るように跳ねると、祐人は口に苦味を感じた。それは一瞬で、すぐにごくりと飲み下していた。
「……大、丈夫か?」
リナトが祐人へ顔を向ける。
「うん」
祐人は頷くと、リナトに抱きついた。
「僕だけなんて、嫌だよ」
祐人が言うと、リナトが小さく笑う。
「ユーリも同じことを言った」
「ユーリが……」
「悪い。お前がユーリじゃない、と分かってはいるんだ」
リナトが小さく息を吐く。
「仕方ないよ」
姿形も声も同じなのに、違う人間だと言っても信じられないのが普通だろう。
「ユーリは、どこへ行ってしまったのだろう」
リナトが呟く。
その問いに答えはでない。