伝わる思いのその先に
激しい雨がガラス窓を叩きつけていた。
窓にはいくつもの雨筋が流れその先の視界を閉ざす。
いつもならば、まだ太陽の光が差し校庭からは運動部の掛け声が聞こえる時間なのに、外は夜のように暗く雨の音しか聞こえない。
時々、どんよりした空に光が弾け、忘れかけたころの轟音を響かせる。
「やみそうにないな」
十センチほど高い位置にある端正な顔が不満げに言った。学校の規定で長髪は許されない。隣に立つ遼平は同じ髪型同じ服装の中で隠せない顔立ちの良さを持っ
ていた。
「そうだね」
祐人は素直に頷いた。鞄の中に折りたたみ傘が一本ある。でも、それでは、二人とも濡れるだけのような気がする。
今日は天気が持ちそうだと天気予報では言っていたのに、帰り間際になって広がった雨雲は突然はげしい雨を降らせてきた。
今、教室には二人しかいなかった。
家へ帰るやつは早々に帰り、部活へ行くやつは行った後だ。時折、廊下を話し声が通り過ぎていく。あとは、窓を打ち付ける雨の音しかしなかった。
――――こんなチャンスはもう二度とないかもしれない
祐人は脇に下ろしていた手を拳に握った。
二人きりになれる機会はそうあるわけじゃない。遼平の周りには人が集まってくる。休み時間も帰りも、常に何人かのグループになっていた。
けれど、今日は、突然降り出した雨に皆早々に教室を後にした。
『早く帰ろうぜ』
そうかけられた言葉に、
『ちょっと待ってみるよ』
祐人がそう答えたのは何か理由があったわけじゃない。
まして、
『じゃあ、俺も待とうかな』
そう遼平が言うことを期待したわけでもなかった。
祐人は隣に立つやつを見上げた。大好きな横顔がそこにあった。
見ているだけで、どきんどきんと心臓が弾んでいく。
初めて会ったのは中学の入学式だった。
クラスの中で一番最初に着いてしまって、教室でぽつんと待っていたら、次に来たのが遼平だった。
一人でいると、場所間違えたかなとか時間間違えたかなとか不安な気持ちになってきて、けれど、遼平が教室に入ってきたことでその不安が解消されて、おまけ
に、すごく優しい笑顔を向けてきてくれて、こんなやつと一緒のクラスでよかったと本当に思った。
良かったのは第一印象だけじゃなかった。話すごとに触れ合うごとに惹かれていった。
クラスの中心的存在の遼平に好意を持っているのは自分だけではないと思う。けれど、自分の気持ちは特殊なものだと思う。
――どうする?
誰もいない教室で二人きりになれるなんて、もうないかもしれない。
このチャンスを逃したら、一生後悔するかもしれない。
ずっと、友達のままでいい?
もしも望むことができるなら――。
祐人はごくりと喉を鳴らした。
「――好きなんだ」
隣に立つ遼平に向かって、祐人は一気に言葉にした。
躊躇っていたら、きっとくじけてしまう。今、勇気があるうちにすべてを終わらせてしまわなければ、友達からは進めない。
ゆっくりと祐人へ向いた遼平はけげんそうな顔をした。
「は?」
眉根をよせ、聞き返してくる。
――やめとけよ
祐人の頭の片隅で制止する声があった。
今ならごまかすことができる。なんでもないと言ってしまえばそれで済む。
でも。
祐人はゆっくりと息を吐いた。
「好き、なんだ」
同じ言葉を繰り返した。
雨音に邪魔されて本当に聞こえなかったのかもしれない。そう思いたい気持ちがあった。
「え、誰を? 何、俺に協力して欲しいの?」
遼平がおどけたように応える。
「遼平のことが、好きなんだ!」
気持ちは止められなかった。
もうきっとこんなチャンスはない。
遼平は驚いた顔をして一瞬固まり、何が起こったのかわからないというように視線を彷徨わせながら手を上に持っていくと頭をがしがしと掻いた。
気持ちは伝わって、けれど答えは祐人が望んだ答えではなかった。
どう考えても、遼平の様子は困っているようにしか見えなかった。
簡単に両思いになれると思っていたわけじゃない。
けれど、膨らむばかりの思いをせめて分かって欲しかった。
後は、『いいんだ、諦めるよ』そう言うしかなかった。
祐人がそう口にしようと思ったとき、突然遼平ははっと思いついたような顔をすると、祐人を見てにやっと笑った。
「何の罰ゲームだよ。それ」
遼平がほっとしたような顔をする。
遼平の言葉に祐人の中で時間が止まった。
「俺は、そう簡単に騙されたりしないぜ」
そう続けると、遼平は得意げに胸の前で親指を上げた。
「……なん、だ。ばれちゃったら、仕方ないよな。はは……」
まるで大根役者の台詞のように、祐人の言葉は棒読みになった。
「なんだよ、お前。水臭いぞ。そんなのはさっさと相談してくれれば――――」
遼平が優しく笑いかけてくる。
祐人は胸の痛みとともに、まぶたが熱くなった。
「ごめん。僕、先に帰るよ」
遼平の言葉を遮り、祐人は脇の机に置いていた鞄を取り上げた。
「おい、待てよ。この雨ん中どうするんだよ。傘持ってるやつ待った方がいいぜ」
掛けられた声を無視し、遼平から逃げるように、祐人は足早に教室を出た。廊下に出ると体の力は抜けた。立っているのがやっとだった。
「おい、祐人っ」
背後から遼平の声が聞こえて祐人は走りだした。
逃げることはないと頭では分かっているのに、身体は先へ急ぐ。ただ、早く一人になりたかった。
決死の思いでした告白は伝わらなかった。
祐人は廊下と階段を走りぬけ、昇降口で靴を履き替えると外へ飛び出した。
激しい雨が身体を打ちつける。それが気持ちよくさえ感じた。中学で知り合って五年間、大事にしてきた気持ちだった。それが今壊れて、その心の痛みを身体が
代わってくれているように感じる。
好きだった。
笑いかけてくれる笑顔も、心配してくれる不安げな顔も、機嫌悪そうに怒る顔も。その中にはいつも、暖かさがあった。
彼女を作ろうとしない遼平に男同士はマイノリティと分かっていても、もしかしたら、という期待をずっと持っていた。今日も自分を選んでくれた、そう思っ
た。けれど、そんな気持ちは体を打ち付ける雨と一緒に大地へ流されていく。
「はは……」
なぜか笑いがこみ上げてきた。
本気にすらしてもらえなかった。
遼平にとって男同士なんてあり得ないことだったわけだ。
――――消えてしまいたい
できるなら、この身も痛む心も全て、消し去ることができればいい。
頭上で光るものが祐人の視線の端に入ってきた。強い光を感じて、遠くに思えた光は近くへ来ているのだと知った。すぐに聞こえる轟音も、その音の元はすぐ近
くにあるのだと、知らせる。
校門の傍には開校時に植えられたという桜の木が立っていた。今、その木を横に見上げて、雷が鳴っているときは高い木の傍は危険だと、ついこの間何かで聞い
たことを思いだした。
校舎へ戻るか、先へ進むか、とりあえずこの場から離れた方が良い、そう頭では分かっているのに、足が止まった。
雨は身体を打ちつける。
ここで立っていたところで、光は通り過ぎていくかもしれない。
――――きっと、何も変わりはしない
そう祐人が思った瞬間に、光ったものは自分を指すように走ってきた。身体は動かなかった。頭では何も考えられなかった。あまりの眩しさに咄嗟に目を閉じ顔
を背けた。
「馬鹿っ!――――」
遼平の声が遠くで聞こえた。
-------――
ガラス窓を叩きつける雨音が微かに聞こえる。その音は段々と近付いてきていた。
浮上してきた意識が最初に感じたのは、体の奥で感じる熱。次に感じたのは肌に直接感じる空気。
――裸でいる?
意識はまだはっきりしていなかった。
雨にうたれて濡れていたから、脱がされてしまったのかとぼんやり考えていた。
ここはどこだろう。
保健室?
遼平の声を聞いたのが最後の記憶だった。
段々とはっきりしてくる意識は自分は押さえ込まれて不自然な姿勢をとっていることを教えてくれる。
ゆっくりと目を開けると、自分に覆いかぶさる影があった。
――――え?
この体勢は?
そう思って。
祐人は誰かに組み敷かれているとしか思えなかった。
けれど、そのことに、驚きはあっても不思議と恐怖心は起こらなかった。
暗くて顔が見えたわけじゃない。なぜそう思うのか自分でも分からない。なのに、自分を組み敷いているのは遼平だと覆いかぶさる影を見た瞬間に祐人は思っ
た。
夢なんだ――――そう思った。
遼平が自分を組み敷くなんてことは夢でしか起こり得ない。
覚めないで欲しい、と祐人は思った。遼平に抱かれる夢を見ることはこれが始めてなわけじゃない。けれど、触れているのに、何かもどかしく感じるいつもの夢
とは違い、今は身体が触れていることを実感する。遼平のものが自分の中に埋められていることを感じる。
手が頬に触れた。その感触もまるで現実のように思えた。
「……先にイくなんて、ずるいぞ」
――――え?
聞こえた声
は遼平のものではなかった。それだけではなくて、言語自体馴染みのあるものではなかった。知ってはいる言語ではある。毎日のように学校では授業があり、も
う何年も習っているのに、ちっとも理解できないものだ。けれど、自分が理解できないはずの言語なのに、耳に入った音で頭は意味を理解していた。
頬を撫でる手はとても夢だとは思えなかった。
これは夢じゃない?
祐人の中に、急に恐怖心が生まれた。
逃れたくて捻った身体はすぐに押さえつけられた。
「自分だけイって逃げるつもりか?」
覆いかぶさっている男が耳元で囁く。
「……いやだ」
かぶりを振り、出た声は自分の声ではなく、言ったはずの言葉でもなかった。自分の思うことが違う言語で口から出る。それは、自分を組み敷いているやつと同
じものだった。
「許さない」
優しく、息を吹きかけるように耳元で囁く。
肘で肩を上から押さえつけられ、開かれた足は足で押さえつけられ、自由になる手で男の身体を押してもびくとも動かなかった。
「……お願い」
恐怖で声は震えた。
ここはいったいどこななのか。なぜ知らない男に組み敷かれているのか。
遠くで雷の音がした。
「どうしたんだ、今日は……雷が怖いのか?」
目尻に男の唇が触れる。
「あ……」
ぴくっと身体が震えた。
「もう大丈夫だ。遠くへ行ったから」
言葉をつむぎながら、唇は頬を伝うように下りていき、唇を塞いだ。柔らかく二、三度触れると、角度を変え深くあわせる。くちゃと濡れた音がした。逃れたい
と思っているはずなのに、酔っていく自分を祐人は感じていた。触れられたところは熱をもち、離れていくのは嫌だと身体が言う。
いつの間にか忍び込んできた舌に舌を絡み取られていた。撫でられ、吸われ、息があがっていく。
押さえつけられていた肩がふっと緩んだ。逃げ出すなら今だ。そう頭の片隅で思う。けれど、身体は動かなくて、次の瞬間身体は突き上げられていた。
「あっ……ん」
自分のものとは思えない甘い声がでる。
身体の中に埋められていたものが引いて、また突き上げられる。
「っ、……あ、」
ゆっくりと規則正しい律動に身体は揺らされる。
今
まで感じたことのない快感が身体の奥でうごめく。突き上げられるたびに、思わず声を上げてしまう。手は自分を突き上げるやつの肩を掴んでいた。自分の爪が
相手の皮膚に
食い込むのが分かる。怒らせてしまうかもしれないという不安も頭の片隅に起こる。けれど、何かに縋っていないと自分がどこかへ落とされていくような気がす
る。身体がふわふわしてきて、地についていないようだった。
「あ、もう――」
いつの間にか自分でも腰を動かしていた。
もうすぐ来る愉悦を体は予感していて、気持ちは先へと願う。
「あっ」
身体の奥に溜まった快感は極限を向かえたように弾けるように散っていった。下腹部に生暖かい感触がして、知っている匂いが鼻を掠めた。
揺らされていた身体が突然止まった。
「なんだよ……ユーリ、さっきイったばかりだろ?」
不服そうに、男は言った。
ユーリ?
それは自分の名前じゃない。けれど、その名前は自分の名前だと記憶が教える。
自身を手に包まれて、祐人の身体はぴくっと跳ねた。先を口に含まれて、身体が強張る。
「もう、ほんとにどうしたんだよ」
拭うように先端を舐められて、それだけで身体は震えた。与えられる快感に顔が歪む。
「ユーリ?」
呼びかけられても、祐人に答える言葉は無かった。ただ、残る余韻が甘い息になってでる。
男は小さくため息をついた。
「今度は、イかせてくれよ」
男が腰を揺らす。
「あ、いや――――っ」
抵抗する術も気力もなく、祐人は身体を揺らされていた。容赦なく快感が身体を襲う。苦しいほどの快感にのみ込まれそうになる。縋るものが欲しくて、シーツ
を握りしめた。
――――遼平助けて
心の中の呟きに答えてくれるものはなく、祐人の意識は掠れていった。