リンと話ができるところといって圭太が思い浮かんだのは自分の部屋だった。
授業の後掃除が終わり。
「もう帰んの?」
という酒井の不思議そうな顔に、
「え?」
と驚いた顔の高沢に、
さよならの挨拶をして、圭太は自転車を飛ばした。
やっかいなことは早く済ませるに限る。
教室で話をしてたりしたら、売店で飲み食いしていたら、またいつリンが騒ぎ出すか分からない。
耳元で騒がれるのはやかましいだけだ。

家に帰り。
「早いわね」
という母親の言葉に生返事をし、圭太は自分の分の飲み物とおやつを用意して部屋に入った。
ベッドに腰掛けて、にこにこと笑いながら付いてきたやつに、
「まあ、座れよ」
と声をかける。
「うん」
リンは素直に頷いてベッドに腰掛けて、羽根をごそごそとさせたことに、圭太が え? と思ったら、にこっと笑って例の契約書を差し出してきた。
「はい。ここにサインね」
満面の笑みを浮かべる。
は?
契約するなんて一言も言っていない。
「だから、それはよそを当たれって言ったろ?」
もう呆れるしかなかった。
「なんで?」
なんで?
それは何度も答えたことだ。
「理由を言う必要なんてないだろ」
本当に天使だっていうのなら、嫌がっていると明らかに分かることはしなくてもいいだろうと思う。
「そうそう。だから、理由を教えてくれたらよそを当たるよ」
それで、そこに行き着くわけだ。

「だから――」
それらしきことを言わないと諦めてくれそうにない。
「男同士なんて絶対変だろ?」
自分で言っていて悲しくなってくる。
「でも、好きなんでしょ」
「だから?」
「ならいいじゃん。男同士だって。人種が違ったって。種別が違ったって」
あっけらかんとリンが言う。
言ってることが天使らしく聞こえた。
断言されると反論がしづらくなる。おまけに相手は天使で、言ってみれば人間よりランクは上のような気がする。
「でも……普通じゃないだろ」
「なんだよ、普通って」
リンが不満げな顔をする。
「それに、絶対望みないし……」
告白したことはないから断言はできないけれど、普通に考えれば、ない。
「そんなときのために天使がいるんだろ」
そうなのか、と納得してしまいそうになり、いけないと圭太は思った。
完全にリンのペースに引きずり込まれている。

「でもさ……」
目の前に差し出されている契約書なるものは縦線で消され訂正印まで押されている。
「この人たちはどうしたわけ?」
圭太は消された名前を指差した。
断る理由がないと言い張るわりに、二人も契約破棄している。
「これ? これはさあ――」
リンが大きくため息をついた。
痛いところをついたかな? と圭太はほのかに勝った気がした。
「自分の本当に好きなやつが分からないやつがいて困っちゃうよ」
――へ?
「それってどういうことだよ」
好きなやつが分からない?
「契約書に署名してもらうと、その人の本当に好きなやつが分かるわけ。ここに矢を打ち込めつー印が現れるからさ。で、サインしてもらって矢を打ち込もうと すると、突然怒り出して、酷いやつなんか突き飛ばしてくるんだぜ。もう参るよな」
――は?
「だって、そういう契約なんだろ?」
本当に好きな人と恋人になりたいんじゃない?
「だからさ。なんでか知らないけど自分は違うやつが好きだと思い込んじゃってるんだよ。なんであんなやつ好きになんなきゃいけないのよってすっごい剣幕 で。それが二人も続いたから、ちょっと女の子をお休みしたい事情もあるんだ。圭太は突き飛ばしたりどついたりしないだろ?」
そう言われると、あまり自信はなかった。
ただ。
「突き飛ばしたら、突き飛ばされんの?」
屋上の重いドアをすり抜けていた。触ってはいないけど、通り過ぎてしまうのかと思っていた。
「そりゃあ、そうさ。何も感じないんなら、このベッドの上にだって座ってられないだろ?」
言われてみればそうだ。
「でも、ドアはすり抜けてたろ?」
確かに見た。
「気を集中すれば通り抜けられるよ。だけど、ぼんやりしてたら車にも轢かれる」
「ぶっ……」
思わず圭太は噴出してしまった。
「笑うところじゃないよ」
「あ、ごめん」
あまりに意外だった。
車に罪はないよなと思う。見えないのだから。
「怪我とかすんの?」
すっごく元気そうではあるが、轢かれたりぶつかったりするのなら分からない。
「怪我はしないけど、痛いんだ、これが」
まるで古傷をさするように、リンは顔をゆがめ腕をさすった。
天使もあまりいい家業じゃなさそうだった。

「じゃあ、僕がそれにサインしたらリンには僕が本当に好きな人が分かっちゃうんだ」
本当に好きな人が――。
そして、それは自分が好きだと思っている人と違うかもしれない。
「うん。秘密は守るし、金銭の要求はしないし、はずれなしだよ」
すぐサインしろとばかりに、リンは契約書を目の前にもってくる。
「サインすると、どうなんの?」
それさえも聞いていない。
「僕が天使の矢をその相手に放つ――」
リンが矢を放つまねをする。
「そうすると?」」
「その時点でのランクが一番上になる」
「は?」
「一番気になる存在になるってことだよ」
――へ?
「相思相愛になるんじゃないの?」
天使が放つ矢となれば。
「何の努力もせずにいい想いしようとするなんて甘いよ」
そうですか――としか言えなかった。
「じゃあ、恋人になれる保証はないじゃん」
「その一瞬だけは少なくとも相思相愛だよ。人間の気持ちなんて複雑で変わりやすいんだから永遠に変わらない方がやっかいだよ。どうすんの?今圭太が一番好 きなやつを永遠に好きでいる自信あんの?」
「うっ……」
そんなことは断言できない。
「じゃあ、何を持って契約が履行されたことになるのさ」
契約書がコインに変わる瞬間があるはずだ。
「そりゃあ、愛を確かめる行為といえば決まってるだろ」
「え、まさか……」
「結ばれたとき、形を変えるんだ」
リンの言葉に、圭太は絶句した。

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