「じゃあ、勝手にすれば」
圭太は踵を返した。付き合っていられない。理由を話すべき理由がない。
「ちょっと待ってよ」
リンが追いかけてくる。
知らんふりで前に進み校舎に入るための分厚く重いドアをよいしょっと開け、リンがこないうちにとバタンと閉め鍵をかけた。
別にドアが開かなくても、羽根があるんだから飛んでいけるはずだ。
ほっとため息をついて、下へ降りようとしたら。
「ぶつかるところだっただろっ!」
と不満声が聞こえた。
圭太が驚いて振り向くと、ドアの内側にまるでドアから生えているようにリンの上半身だけがある。
「……ぶつかるわけねーじゃん」
しっかりすり抜けていた。やっぱり、リンは天使らしい、いや、肉体を持たない精神体らしかった。

「付いてきたって契約なんかしないよ」
圭太は言うだけ言うとふいっと後ろを向いた。
恋に悩んでいる乙女なんて山ほどいそうで、さっさとよそをあたった方が早いだろうにと思う。
「僕は、気になることがあると夜も眠れないたちなんだ」
「はん、それは良かったね」
圭太には関係ないことだった。

「何が気になるのか聞いてくれないの?」
そりゃあ、さっきの質問じゃないの? と思う。
答えればよそをあたるというのだから、多少なりとも気になるのだろうと思った。
けれど、あまり係わり合いにはなりたくない。
「聞かない」
圭太は前を向いたまま答えた。
「じゃあ、教えてあげ――」
「いいよっ!」
リンの言葉を遮って否定した。
迷惑だと分かってもよさそうなものだと思う。
可愛がってくれそうなお姉さまのところへ行った方がよっぽど幸せだろうに。
そう思いながら、圭太はリンが差し出してきた契約書なるものを思い出した。
名前が二つ消されていたということは、契約したやつが二人いたということで、でも契約は履行されなかったわけだ。
結ばれればコインになるというそれがまだ契約書のままなのだから。
契約したのに、なぜ破棄なんてしたのだろう。
少し疑問がわいてきて。
後ろがやけに静かで、諦めたリンはやっとどこかへ行ってくれたのかと思いながら。
リンが気になって後ろを振り向きたくなった。
けれど。
待てよ。
そんなことをしたら、『やっぱりもったいなくなった?』とか言いながらにっこり笑うリンが浮かぶ。
せっかく静かになったのに、自分から火種を撒くことはない。
階段を下りながら後ろが気になって。
それでも後ろを振り向くことはしなかった。
なのに。
『ねえ――』
人が行きかう廊下の、もうすぐ教室というところで、今一番聞きたくなかった声が聞こえた。
もっとちゃんと話し合いをしておけば良かったかもしれないとちょっと後悔した。
人から姿を見られないリンと話をするということは、独り言になるわけで。
しかも小さな声じゃ聞こえないみたいだから、絶対変なやつになってしまう。
「後にしてくれよ――」
立ち止まって通り過ぎる人を待って周りに人がいないことを確認して、圭太はやっと聞こえるだろうと思えるくらいの小さな声で呟いた。
もう一回話し合いが必要なようだった。
『うん。分かった』
元気な声が聞こえてきて、言えば分かってくれるのかと、圭太はほっと胸をなでおろした。

教室に入ると人はまだまばらで、外にバスケとかをやりに行ってるやつらはまだ戻っていないのだと思った。その中で、高沢は席にいて窓際に立つ酒井と話をし ていた。
酒井がふっと気が付いたように圭太を見てきて、それを高沢に言ったようで高沢も見てくる。
席に戻ると。
「どこへ行ってたんだよ」
酒井に文句を言われた。
「ちょっと、野暮用」
ほんとに野暮用だ。
『ねえ、まだ?』
文句が聞こえた。
後にしてくれって言ったじゃないか、と思いながら、今ここで返事ができるわけないだろ、と思う。
『僕の方が先なんだから、後から言ってきた方を優先させるなんてずるいよ』
訳の分からない文句を付け加えてくる。
『待ってろ、っていうから大人しく待ってたのに――』
まだ五分も経ってないだろうよ、と文句を言いたかったが、そういう訳にもいかない。
圭太がくるっと振り向くと。
「どこへ行くんだよ。もうすぐ始まるぞ」
酒井が驚いたように声をかけてくる。
「ちょっと、トイレ」
それが一番怪しまれない答えだと思った。
「野暮用ってそれか?」
時間がないってのに、酒井が声をかけてくる。
「お腹壊してんなら、薬持ってるよ」
がさごそとポケットをあさっていた。
本当にいいやつだった。
「いや、違うよ」
圭太はあわてて酒井に向かって手を振って、足早に教室を抜けた。

変なやつのおかげで大事な友達に心配をかけるはめになりそうだった。
わき目も振らずトイレの個室に駆け込み、当然のように付いてきたリンに。
「放課後になったら、よーく話を聞いてやるから、それまでは話しかけるな!」
圭太は言い捨てた。
「えーそんなに待つの?」
不満げにリンが言う。
「人前で絶対!話しかけるなよ」
「えー」
顔を歪める。
「何言ったって返事しないからな」
「なんでー?」
ばかか、と言いたくなる。
「大声で独り言言う変なやつになっちゃうだろ」
「えー、そんなことないよ」
暢気に反論してくる。
まともに話していたら変になりそうだった。
「とにかく、そういうことだから」
リンをきっと睨み、ドアを開けると目が合ったやつがいた。
訝しそうな顔をして圭太を見ながら奥へ行ったやつは、用を足しながらも圭太をうかがっていた。
一応手を洗ってトイレを後をしたけれど。
トイレを出たところで、圭太は大きくため息をついた。
いつからいたのか知らないが、絶対変なやつだと思われたな、と思った。
ただ救いだったのは、顔だけ見たことがある程度の他のクラスのやつだったということだった。


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