「でも、おかしいな」
背中に羽根を持つ変なやつは、首を傾げ何か考えるように、空を見上げた。
「僕は、女の子専門なはずなんだけどな」
訳がわからないことを言う。
「まあ、いいや。契約して」
手を後ろに回し羽根の中をごそごそかき回していたと思ったら、巻いてある布状のものを取り出した。
は? 羽根はリュックの代わりか?
それとも新種の四次元ポケットか
そんなものを持っているなら、もしかして願いを叶えてくれるかも、と思ったけれど考え直した。世間はそんなに甘くない、それを教えてくれるTV番組は色々
あった。
「簡単だよ、サインしてくれればいいだけだから」
ばさっと巻物を広げると、肩幅ほどの幅をもつなめし皮のようなベージュ色の厚手の布には、黒いインクで書かれたような記号のようなものが散りばめられてい
た。
圭太にその布を差し出してきて。
「ここだよ」
そう言って、端の方を指差す。
けれど。
そいつが指を指したところには、もう誰かの名前が書いてあって、おまけにその横にも名前があって、それには二本線が引かれ判子のようなものが押してあっ
た。
「あ、いけない。消しておかないと……」
そいつは、圭太に差し出していた、たぶん、契約書なんだろうと思われる布を自分の方へ引き寄せ、親指と人差し指を少し擦り合わせると、人差し指で名前の上
を一直線になぞった。それはそのまま線になる。もう一本線を加え。
「訂正印も押しておかないと……」
そう言って、親指に歯を立てる。唇の隙間から垣間見える歯はするどく尖っていた。指に歯が食い込むと思った瞬間、そいつは少し顔を歪め、今引いた線の上に
親指を乗せた。
「ちょっと待ってね。すぐ終わるから」
そいつは何事もない表情で言ってくる。
この隙に逃げればいいものなのに、いかんせん、体は自転車を支えにしてやっと立っているような状態だった。
「圭太〜、何やってんの?〜」
救急車のサイレンよろしく、脇をドップラー効果をきかせた声が通り過ぎていく。
――――俺も帰りたいよ〜
そう思いながら、足は地面に張り付いていた。まるで瞬間接着剤で張られたように動かない。
「これで、いい」
そいつは、また、契約書らしきものを差し出してきた。
「あ……あんた、何者だよ」
すくなくとも、見知ったやつじゃない。突然契約とか言われても、結んでしまったその後で金を出せと言われても困る。金ですめばいい方かもしれない。
のほほんとした声と顔をしていても、変なやつには変わりない。
「僕? 僕はリン」
きょとんとした顔で、そいつは応えた。
名前を言われても、それだけでは何も分からない。
「……人間……じゃあ、ないよな?」
上目遣いに恐る恐る聞いた。
「うん。こっちの世界では、んっと、天使って呼ばれているんだったかな」
なんでもなさそうに言う。
頭の上に輪はないけれど、真っ白な衣装に羽根はをまとった姿は、確かにそれらしい。
「女の子の場合は、相手からそう言ってくるから説明する手間も要らなかったんだけど……うーん、やっぱ、男の子だと勝手が違うなあ」
リンが眉を寄せ難しそうな顔をする。
分かる方がおかしいんだよ、と思う。
実際いるなんて思わないじゃないか。
けれど、天使と言われたら圭太は少し気持ちが落ち着いた。
天使と言えば、良心の塊のはずだ。
「なんで、ここにいんの?」
ぼんやり土手に座っているのは似合わない。
「修行に来てるんだ。僕は恋愛担当で。カップルを成立させたらこの契約書がコインに変わる。そのコインをためて生まれ変わるんだ」
「へ? 生まれ変わる? 」
「そうだよ。だから、早くひとつでも早くコインを集めて生まれ変わりたいんだ」
「あ……そ」
住んでいる世界が違うやつだな、と思った。自分とは関係ない世界に。
「だから、契約してよ。好きな人と恋人にしてあげるって言うんだよ、文句ないでしょ?」
リンの口元が少し不満そうだった。
「いや、そんなこと言われても……」
恋人なんて考えていなかった。思いが通じるのは嬉しいけれど、手放しで喜べない事情が圭太にはある。
「なんで?」
リンの大きな瞳がくるくると不思議そうに覗き込んでくる。
「いや、だから、その……」
話す義務はないはずだ。
「こんないい話、そんじょそこらには落ちてないよ」
そりゃそうだろう、とは思っても。天使と言われて、百パーセント信じられるわけでもなければ、自分に言わせりゃ、だから何? だ。
「俺は、遠慮するよ。どっかよそを当たって」
危害は加えてこないらしい。天使っていうのだから、そうでなくちゃ困る。
「え゛〜」
リンの不満げな声をよそに、圭太は後ろを向いて誰も走ってこないことを確認すると、リンを避けるように自転車を押しながら先へ進んだ。
「絶対後悔するよー」
リンが後ろで叫んでいた。
恋?
恋って言えるのかな、と思う。
でも、思いあたるやつはいる。
けれど。
問題はそいつが男だってことだ。
「恋人になんて……なれるわけないじゃん」
とぼとぼ歩きながら、圭太はぼそっと呟いた。