カフェにいる人はまばらだった。
「見送りに行かなくていいの? 」
向かいの席で、チョコパフェにスプーンをさしながら、美樹が言う。
「いいんだよ。俺が行ったら、新幹線になんか乗せねえもん」
窓の外へ視線を向けながら俊介は答えた。
祐貴が乗るはずの新幹線は発車時刻まで三十分を切っている。今から行ったところで、時間に間に合うはずは無かった。
祐貴と別れる事を納得した訳じゃない。今でも連れ戻せるものなら連れ戻したいと俊介は思っていた。けれど、合格したと聞いたとき、『良かったな』としか言
えなかった。
祐貴の声を最後に聞いたのは三日前だった。
一回だけしか鳴らなかった着信音はすぐに切れてしまった。間違い電話か宣伝の類かと思ったけれど、履歴を確認してみたら祐貴からだった。
直ぐにかけなおすと、『ごめん』と言った祐貴は『もういいんだ』と言った。それでも問い詰めると、最後に声が聞きたかったと言った。
少し話をして、その時に電車の時間を聞いた。
「で、ここで指をくわえてるわけだ」
美樹に言われて、始めて俊介は自分が親指を噛んでいる事に気が付いた。慌てて指を離し、手持ちぶさたになってしまった手で飲みかけのコーヒーカップの取っ
て
を持ったけれど、口まで運ぶ気になれなかった。
ふと入り口に目がいった。
「どうしたの?」
美樹が聞いてくる。
「突然、祐貴がここに現れて、『やっぱり行けないよ』って言ったりしないかな」
小さな願望が口をつく。
「……なんで、祐貴がここ知ってんのさ」
呆れたように言う美樹に、俊介は「そっか」と呟いた。
「じゃあ、俺が家に帰ったら、門の前で祐貴が待ってるとか」
門の前にぽつんと祐貴が立っている姿が頭に浮かんだ。
「そう思うんなら、帰れば。その前に会計は済ませてね。あと、ひとつふたつ追加注文するから、ちょっと待って」
スプーンを皿に置いた美樹が手を伸ばして、テーブルの端に置いてあるメニューを取ろうとした。そんな美樹の手を目で追いながら、俊介は溜息をついた。
「お前、冷たくなったよな」
俊介が愚痴ると、美樹は首を竦めメニューを取ろうとした手を引っ込める。
「当たり前でしょ。なんで、振られたやつに優しくしなきゃいけないのさ」
出てくるのは厳しい文句だった。
それでも、突然の誘いに付き合ってくれた。
今日祐貴が行ってしまうのだと思うと、落ち着かなくて、追いかけて連れ戻したい欲求をど
うする事もできなくて、そんな時に浮かんだのは美樹の顔だった。
ダメで元々だと思い、美樹の携帯にコールした。
『今から会えないか』
そう言うと、
『食べ放題ならいいよ』
と美樹は答えた。
美樹になら弱音が吐けた。付き合いの長さは伊達じゃない。
することもなく、俊介はカップを口元へ運びコーヒーを一口すすった。コーヒーは既に冷たく、苦みしか感じられなかった。
「よく許したよね。と言うか、まあ、相手が行くってものを止められもしないとは思うけど」
チョコパフェを完食し、メニューに手を伸ばしながら美樹が言う。
「迂闊だったよ。祐貴の夢に関心がなかったんだ。知っていれば――」
うまく誤魔化されていた。模試の結果表を疑いはしなかった。
「え? 」
「いや、どっちにしろ、無理だったかな」
自分のために祐貴に夢を捨てさせるのは本意じゃない。
行くなよ、そう喉まで来る言葉が外には出なかった。
「四年は長いよ。色んな誘惑だってあるだろうし。祐貴は俊介がどれだけもてるかなんて、きっと分かってないよね。まあ、それは、お互い様かもしれないけ
ど」
「祐貴はともかく。俺はもてた覚えはないぞ」
ここ数年バレンタインデーにチョコレートをもらった記憶すらない。
「まあ、そりゃ、私って彼女も居たし」
美樹がうんうんと頷く。
「別れたのは、周知の事実だろ」
それからも、何もない。
「ん、でもちょっと噂をばらまいといた。俊介は今、人妻にぞっこんなんだって」
美樹がふふっと笑う。
「はあ? 」
「だってさ、外野がうるさいんだ、なんで別れたんだって。ホントの事を言う訳にはいかないでしょ」
美樹が意味ありげな視線を向けてくる。
「だから、人妻? 」
「うん。大概の子が引いてたよ。そんな人だと思わなかったって」
――だからって
ちょっと呆れた。
どこからでてきたんだと思う。
けれど。
俊介はありがたいと思った。
正直誰とも付き合う気はない。もしも、そんな誘いがあれば面倒なだけだ。
「サンキュ」
美樹には頭があがらないと俊介は思った。
「うん。私もいいもん、見せてもらった」
――は?
「何? 」
「愛って凄いよね」
「なんだよ。それ」
美樹がそんなことを言う心当たりは無かった。
「俊介が、まさか、あんなトコ受かるなんて思わなかったもん」
意外そうに言う。
「ひでえな」
けれど、確かに、祐貴の力は大きかった。祐貴がいなかったら合格はなかったと思う。
店員が近くに来たのを見て、美樹が紅茶を頼んだ。
「もう、いいのか? 」
ちょっとほっとした。食べ放題を甘く見ていたかと思うところもあった。
「うん。甘いのはもういいや。店変えよ」
美樹が言う。
――まだ食べるのか?
呆れながら、少し財布の中身が気になった。
あといったいどれくらい食べるつもりでいるのか。
けれど、美樹が居てくれて気持ちはずいぶん落ち着いていた。
なんだかんだ言いながら、自分には美樹がいる。
祐貴は一人で行こうとしていた。
「大丈夫かな」
ぼそっと言葉がでた。
「何が?」
美樹が聞いてくる。
「あいつ一人で……」
祐貴が不安を口に出すことは無かった。
もし、そんな言葉を一言でも聞いたら、『行くな』と言っていただろうと思う。
そうしたら祐貴はどうしただろう。
自分を選んでくれたとしても、それはそれで後悔するような気がした。
「大丈夫じゃないの?」
あっけらかんと美樹が言う。
心配したところで何もできない。祐貴は心配されることを望んではいない気がした。
時計の針は出発時刻をさしていた。
「新幹線って、やっぱ定時発車だよな」
不意に見送りに行かなかったことを後悔する気持ちがわいてきた。
行かないとは言ったけれど、あまり弱音を吐くことがないあいつが声を聞きたいなんて言ってきたのは、それなりに不安もあったのかも知れないと今更になって
思えてきた。
あの時はそう考えられなかった。
もう無理だと思いながらも、やめると祐貴が言うことを望んでいた。それしか考えられなかった。
「そりゃ、日本ではね。電車の類って嫌になる程、正確だよね」
何か恨みでもあるのか、美樹は鬱陶しげに言った。
今頃、新幹線の車内で祐貴は何を考えているのだろう、そう思ったら、俊介は聞こえるはずのない発車ベルが聞こえてきたような気がして、新幹線の席に座って
不安そうな顔をしながら窓の外を見ている祐貴の姿が頭に浮かんだ。
――ちゃんと戻ってこいよ。待ってるから。
届くわけはないと分かっていながらも、この言葉だけは届いて欲しいと思った。
いつでも、戻ってこい――。
店を出ると青い空が目に入った。天上を覆い尽くす空は祐貴の上にも広がっているはずだった。
「さあ、次行くわよ」
美樹が両手をあげる。
「大丈夫かよ」
美樹の食欲には時々驚かされる。
「その前に、腹ごなしにバッティングセンターへ行こ」
「いいね。それ」
そういえばずいぶんと身体を動かしていないと俊介は思った。
こうやっている中も、休むことなく時間は時を刻んでいく。
毎日、毎日を過ごして行けば、四年後は必ず来る。
「でしょ、でしょ。良いストレス解消になるよ。当然、おごりね」
「分かってるよ」
抜け目はない。
四年後、どうなっているか分からない。
けれど。
――戻ってきたら、もう二度と離さないからな
俊介は空に向かって呟いた。