新幹線の待合室には人が溢れていた。
電光掲示板には復旧中の文字が絶え間なく流れていく。送電線の事故なんて、なんでこんな時にと祐貴は思った。
時計は夜八時を過ぎていて、これ以上遅くなれば今日中には帰れなくなることを示していた。
――どうしよう
明日は俊介の合格発表の日で、一緒に行こうと約束していた。
帰れるかどうかも分からないのに連絡はできない。
突然ざわつき、歓声があがって、はっとして見ると掲示板の文字が変わっていた。
「良かった」
ほっとして、でも、ぼやぼやしていられなくて、祐貴は待合室を出た。
ホームも人が溢れていて、指定席も解除されていた。
――電話って何号車だったっけ
とりあえず乗って、俊介に連絡しなくてはいけない。
車両説明をざっと見て、祐貴は該当車両に乗り込んだ。
人に押されるように乗った車両には通路にもぎっしり人がいて、自由に身動きができる状況ではなかった。ホームでは車掌が声をあげていて、発車のベルが鳴る
と共に扉が閉まり、ゆっくりと列車が走りだす。
少し空いた隙間を縫うように祐貴は電話までたどりつき、番号を押すとすぐにラインは繋がった。
「もしもし?」
大好きな人の声が受話器から流れてくる。
「俊介?」
声を聞いただけで安心できた。
「……お前、今どこなの?」
俊介が訝しい声を出す。
「あ、ごめん。まだ外なんだ。色々あって」
電話は番号まで伝えてしまう。公衆電話と表示されたのか、とにかく家の電話ではないことは分かってしまったのだろうと思った。
「何かあったのか?」
声には疑問が残っているみたいだった。
「ん、遅くなりそうだから、明日の待ち合わせを決めておいた方がいいと思って」
質問は避けるように用件を切り出した。
とりあえず電車が動いてよかったと思う。
約束だけして、後は全部明日に回したかった。今は言い訳も思いつかない。
しばらく待っても俊介の答えはなかった。
「俊介?」
明日の約束を忘れたわけではないと思う。
「あ、ごめん。久しぶりにお前の声を聞いたから嬉しくて――明日な、明日は午後でいいよ。お前も疲れてるだろうし。三時に改札でどう?」
――午後三時?
「俊介が良ければ」
遅いんじゃないの? とは思ったが否定する理由は無かった。
「じゃあ、明日な」
「うん」
祐貴が答えた途端、ラインはぷつっと切れた。
違和感があった。電話の切られ方が唐突だった。俊介はこんな切り方をしない。少し間があって、何か声を出せばまた話が続いてしまうこともある。
ただ、あれこれ聞かれなかったことは助かったと思い、全ては明日だと祐貴は思った。
「家にも電話しなきゃ……」
帰れないかもしれないと一報を入れただけだった。
続けて番号を押し、母が出た電話に電車が動いて今それに乗っていることを告げた。
「気をつけてね。電車なかったら電話してきなさい。迎えに行くから」
「ん、そうする」
始めは志望校に反対していた母も、今は応援してくれていた。
とりあえず心残りはなくなって祐貴はほっとして電話を切ろうとした。
「そういえば、吉沢さんから電話があったわよ」
――え?
突然告げられた言葉は予想もしていなかったことで心臓がどくんと弾んだ。
「なんだって?」
まさかと思った。
「あなたが戻ってるかって、新幹線で事故があって帰れるかどうか分からないって言っておいたけど」
――あ
「……うん。分かった」
祐貴は目の前が暗くなった気がした。
電話を切ると、祐貴はその場にしゃがみこんだ。
――知ってたんだ
いつもと違う俊介は事実を知っていたからだと思った。
模試に書いていた志望校は嘘のものだった。そのことに俊介は気づいていないはずだった。少なくとも年明けに電話した時は。
どうせ知られてしまうことだと思っても、それを一日でも先に延ばしたかった。俊介の受験に影響を与えてしまうかもしれないし、合格するとは限らない。
発表があるその日まで夢を見ていたかった。夢の時間はもう一日もないのだと祐貴は知った。
駅の改札にぶらさがっている時計を見ると待ち合わせの十分前だった。
家に居ても落ち着かなくて祐貴は一本前のバスに乗った。ついたのは三十分前で、することもなく立ち尽くしていた。
今更言い訳もないだろうと思う。
嘘をついていたわけじゃない。教授の名前はちゃんと伝えた。大学名をはっきり言わなかっただけだ。ただ、模試の志望校の欄を見て俊介は先入観を持ってい
ただろうとは思う。そう思ってくれることを期待していた。
俊介に会いたいと思うのに、会うことが怖かった。
遠くから近づいてくる俊介を見て、祐貴は目蓋が熱くなった。
俊介は目の前に立つと、
「行こうか」
それだけ言って、背中を向けた。
「うん」
祐貴は俊介の背中に返事をした。それすら、言わせてもらえなかった。
キャンパスの中に入ると人はまばらで、掲示板の前には誰もいなかった。
番号を探して、それがあったことに祐貴は自然に頬が緩んだ。
「あったよ、俊介」
信じてはいたけれど、結果を見るまでは分からない。自分の合格を知ったときよりも祐貴は嬉しかった。
当の俊介の表情は変わらなくて、俊介は無表情のままボードを見つめていた。
「当たり前だよ。お前が勉強見てくれたんだから」
俊介が淡々とした口調で言う。
「俊介の力だよ」
誰でもない試験を受けたのは俊介だ。
「行こうか」
ぽつんと俊介が言う。
番号があることさえ分かればここに用はない。
だからと言って、あっさりしすぎているとは思った。ここで番号を見つけるために費やした時間は短くない。
少しキャンパスを歩き、自動販売機の前で俊介が止まった。
「少し話をしないか?」
俊介がベンチを指す。
「ん」
頷きながら、自分から切り出すべきだったのかもしれないと祐貴は思った。
知られてしまったのならば、早い方がいいのだろう。
けれど、この後の及んでまだそのことについては話したくないと思う自分がいた。
カフェオレと紅茶を自動販売機で買うと、ベンチに隣り合わせに座った。
「お前の行きたい大学が分かったよ」
俊介はそう言うと、ため息をこぼした。
「そう……」
そう答えるしかなかった。
「どんな感じだった? 昨日の試験」
俊介が聞いてくる。
「五分五分かな……」
できたと思っても定員があるものだから、自分よりできたやつが多ければ意味がない。
「十中八九ってことか。じゃあ、決まりなんだな」
俊介が声を落とした。
「分からないよ、まだ」
結果は出ていない。
「センターの貯金が山ほどあるだろ。二次だって楽勝だろ」
吐き捨てるように言う俊介の声が投げやりに感じた。
責められているように感じて、祐貴は肯定も否定もできなかった。確かに今落としても、後期でなんとかなるだろうとも思っていた。
「今思えばおかしいと思うところはあったんだよな。それに気づかなかったのは俺なんだよな」
俊介が空を見上げる。冷たい空気に向こうに青い空が広がっていた。
ため息のように吐いた息が白く流れる。
「戻ってくるんだよな」
俊介が見てくる。
「約束はできないよ」
祐貴は小さく頭を振った。
四年は長い。どこで新しい出会いがあるかは分からない。それは俊介も同じのはずだった。
「俺は待ってるよ」
まっすぐ見てくる瞳に胸が痛くなった。
「そんなこと分からないだろ……」
それしか答えられない。俊介と出会ってからも二年しか経っていない。
「分かるさ。戻ってこないなら行かせない!――ってわけにもいかないよなあ」
俊介は力が抜けたように肩を落とした。
向かいあったまま俊介の手が頬に触れてくる。こんなところでと思っても祐貴は拒むことはできなかった。
「見送りにはいかないよ」
俊介が言う。
「うん」
望んではいけないと思う。
「さよならも言わない」
それはだめだよと思いながらも、答えられなかった。
「俺は待ってるから」
まっすぐ見てくる俊介の瞳に自分が写っていた。
祐貴は手に持っていた缶を握りしめた。戻ってくるよ――喉まで来る言葉がその先からは出ない。
自分だけでなく、俊介も縛り付けてしまう。
「どこにいても俊介の幸せを願ってるよ……」
待っていて欲しい気持ちはあるし、自分の気持ちも変わらないと思う。けれど、それを約束はできない。
「そう思うなら――」
俊介が顔を歪めて、唇を噛んだ。
缶を握っていた手を引き剥がされて、ぎゅっとその手を握りこんでくる。
「っ……」
そのまま、俊介は悔しげな声を漏らした。
思ってくれる気持ちを祐貴は握りこまれた手の痛さで感じていた。
でも、最後まで迷っていたその背中を押してくれたのは俊介だった。
「縁だって言ってくれたのは俊介だよ。合格したらそれはそう神様が決めた運命なのかもしれない。俊介に出会ったように」
勉強は裏切らないとずっと思ってきた。それは間違いではないだろうと思う。事実、受験に合格すれば望んでいた教授の講義を受けることができるだろう。
けれど、人の気持ちは時に頼りない。
俊介がずっと自分のことを思っていてくれる自信はない。その時のことを考えれば怖かった。
これから来る四年後にどうなっているかは分からない。
けれど。
「俊介に出合ったことは幸せだと思うから、神様はきっとそんなに意地悪じゃないよ」
たとえどうなっていたとしても、そうであって欲しいと祐貴は思った。