夏休みの後半は同じ店でバイトをした。ちょくちょく顔を出していた俊介にマネージャが声をかけて、それはあっさりと決まった。
学校が始まると、登下校や図書室での勉強、休みは同じ時間を共有し、幸せな時間は駆け足で過ぎていく。
年を越し、学年が上がり、進路を決めなくてはいけなくなっていた。
はぁ――
俊介が長いため息をつく。
「何?」
祐貴は顔をあげた。
夏休みも学校は図書室を開放してくれていた。冷房が効いた室内は快適な空間だった。
「これ見てたら、思わずため息がでちゃったよ」
先日の模試の結果を指す。
「もうしまっていい?」
見せて欲しいと言われて、出したまま忘れていた。
「お前、これでもまだ勉強すんの?」
志望校としてあげた三校は全てランクがAになっていた。
「勝負はこれからだから。浪人生が入ってくるし、みんな真剣になってくるし」
夏を制したものが、とはよく言われる台詞だ。
「日本の最高峰がAってどういう頭してんだよ、お前」
俊介がぼやくように言う。
「すぐに下がるよ」
本番は夏からだと言われていた。
「やっぱ、第一志望はここなんだよな」
俊介が指を指したのは、最高峰と言われるところだった。
祐貴はごくりと喉を鳴らした。
「憧れている先生がいるんだ」
初めて知ったのは中学生の時だった。ふと目についた本を読んでおもしろくて、その人の本は片っ端から全部読んだ。
「その先生の講義が聞きたいってずっと思っていて」
正直に続けた。
そのために、勉強してきた。
「へえ、何ていう先生?」
俊介に聞かれて、祐貴は一瞬躊躇った。その名前を出すことに抵抗があった。
「TVなんかにもよく出てる人?」
重ねて聞かれて、祐貴はその人の名を告げた。
俊介は小さく呟くように名前を繰り返し、
「そういう人がいるんだ」
と答えた。
「マスコミの露出はあまりない人だから広く知られている人じゃないと思う」
俊介が知らなくて良かったとほっとしていた。
「でも、迷ってる」
「なんで?」
「俊介と別れることになるから」
行きたい気持ちはある。けれど――。
「まあ、どう考えても、俺が同じところへ行こうなんて無理だよな。でも、行きたいんだろ?」
俊介の問いかけに祐貴は否定はできなかった。
「そのために勉強してきたっていうのもあるし、この学校を選んだのもそのためってところもあるから」
「なんで? ここなんかよりいくらでも進学校があるだろ」
俊介が不思議そうな顔をする。
「奨学金がもらえるから。高校で親にあまり負担をかけたくなかったんだ」
公立の学校も考えたけれど、共学だからやめた。
「え?」
俊介の不思議そうな顔はそのままで、けれど、その先は何も言わなかった。
祐貴が机に向かい先を続けていると、
「まあ、縁っていうのもあるからさ。お前が行きたいところへ行けよ」
背中を押してくれる。
「受かればいいけどね」
今の結果が決定じゃない。
「受かるさ、お前なら」
断言してくれる言葉が嬉しくもあり、悲しくもあった。
「なんか、少し嫉妬するな」
「え?」
顔を上げると俊介がテーブルの上で腕組をしていた。
「お前がそんなに勉強するの、その何とかっていう先生のためなんだろ?」
不服そうな顔をしていた。
「それだけじゃないよ」
「じゃあ、何?」
理由は誰にも聞かれたこともなければ、話したこともなかった。
「勉強裏切らないから。やっただけの結果が出るし、悪かったらその原因も分かる」
疑問に思う余地がないほどに。
「まるで、誰かに裏切られたみたいだな」
俊介が小さく笑う。
「友達ってよく分からない」
祐貴の頭に昔の情景が浮かんだ。
「突然、大きらいだって言われたり……」
忘れられない思い出だった。
「なんか理由があるんだろ?」
俊介が眉を寄せる。
「分からないけど……。ちょうど引っ越しが決まって。最後にお別れしてきなさいって言われて、どうしたらいいか分からなくて、でも僕のこと……忘れて欲し
くなくて宝物を持って行ったんだ。そうしたら、いきなり嫌いだって言われて、何も言えないまま、何も渡せないまま、そのままになってしまった」
いっぱい遊んだ思い出があるはずなのに、思い出せるのは最後に会った時の顔だけだった。
「そいつお前が引っ越すの知ってたんじゃないの? で、寂しかったからお前に八つ当たりしたんだよ」
俊介の言葉はすっと心に入ってくる。
――そうなのかな?
けれど、今更確かめることなんてできない。
「……それだけじゃない」
言葉がすらっと口から出た。
不思議だった。誰にも話したことはないのに、俊介には聞いて欲しいと思った。
「何?」
「小学校の時、テストの点数が少しだけある子より僕の方が良かったことがあって、それから、その子が色々競ってくるようになって。テストもそうだし、か
けっことか上り棒とか、最後には校庭のさるすべりを登る競争しようって言われて、できないって言ったのに、やめようって言ったのに、結局その子は木から落
ちて足折って、僕が怒られて……」
その時は、なんで? という疑問しかなかった。
みんな遠巻きで見ていて、誰も味方はいなかった。
「それは酷いな」
俊介の顔つきが真剣なものの変わった。
「中学の時は、バレンタインデーにある女の子からチョコレートを貰っただけで、友達だと思っていたやつに無視されるようになったり」
「はあ?」
俊介が呆れた顔をする。
「抜駆けするなって」
なんでそんなことを言われるのか分からなかった。
「お前がくれって言ったの?」
「言わないよ。女の子に興味なかったし」
机の中に入っていたことに驚いた。
俊介がにやっと笑った。
「それ聞いて、俺安心したよ」
俊介が席を立って、テーブルを回ってくる。隣に座って、腰に腕を回してきた。
「だめだよ」
俊介の腕を解こうとした。
人がそれほど多いわけじゃない。窓に面しているテーブルだから、周りこんで来ないと見られない。けれど、誰もが来れるところだった。
「大丈夫だって。お前がそんなこと言うから、慰めたくなるじゃん」
肩口から俊介が覗き込んでくる。
「でも……」
人の目は気になった。
「俺は裏切らないから」
俊介が耳元で囁く。
「俊介は――」
言いかけて、その先を言おうかどうしようか祐貴は迷った。
「何だよ」
俊介が催促してくる。
祐貴はゆっくりと息を吐いた。
「……他に好きな人ができたら、僕のことなんて見向きもしなくなるよね」
新しい出会いはいつあるか分からない。
「そんなこと、ないさ……」
言葉は断言しているのに俊介の声に躊躇いを感じた。
「僕だって、違う人を好きになるかもしれない」
何事にも絶対はない。
「それは、勘弁だな」
熱い息が耳にかかる。
「タイミングが一緒だといいね」
避けられないことならば、せめて、と祐貴は思った。