美樹は一口アイスティを飲むと、小さくため息をこぼした。
――返す?
「なんでそんなことになるんだよ」
美樹が祐貴に『返して』と言っていたのは知っていた。
けれど、美樹自身本気で思っていたわけではないと思っていた。
他人の気持ちを思い通りにすることなんてできない。美樹も祐貴もそれを分からないわけじゃないだろうと思う。
「だって、遅くない? カウンターの奥に入って着替えてくるだけなら来てていいはずの時間じゃない?」
時計を見ると十分が過ぎている。
「片付けとか、何かあるんじゃないのか」
確かに遅い気はする。ただ、待っている時は長く感じるものだとは思う。
「それに、伝票。奢ってくれるっていうなら、置いていかないんじゃないかなって」
美樹が伝票を訝しげに見る。
「欲しいものがあったら、頼めるようにじゃないのか?」
「そうかなあ……」
肯定はしても納得はしていない様子だった。
俊介は何気なく伝票を手に取った。そして、裏に何か貼ってあることに気がついた。
「何? それ」
美樹も気がついたみたいだった。
ひっくり返して、貼ってあった付箋を読んで、俊介は無言で美樹にそれを渡した。
「やっぱり……」
美樹が呟く。
俊介は言葉が無かった。
『元の関係に戻って欲しい』
たったそれだけの言葉が丁寧な祐貴の字で書かれていた。
俊介は身体の力が全て吸い取られていく気がした。
「どうするの?」
美樹がうかがうように言う。
「戻れるわけないだろ」
たったこれだけのことで戻れるくらいなら、別れたりはしない。
「じゃあ、どうするの?」
美樹が付箋を剥がすと伝票を裏返しにしてテーブルに置いた。
「……あいつは優先順位のつけ方がおかしいんだよ」
文句がでる。
好きだと言ってくれた。なのに優先するのは美樹との約束なんて絶対おかしい。
「そうかな」
「だってそうだろ? お前と祐貴と俺と、この三人の中で一番祐貴に遠いのはお前だろ。そのお前との約束が一番なんて絶対おかしいだろ?」
あいつ自身の気持ちはいったいどうなっているんだと思う。
「彼が優先してくれたのは私だからじゃない。私が俊介の彼女だからだよ」
「はあ?」
「あのときだって、私が俊介の彼女じゃなきゃ、いくら彼だって助けてくれなかったと思うよ」
彼女だから?
それなら尚更、ライバルみたいなものだろう。
「どういうことだよ、よく分かんないよ」
だいたいもう彼女じゃないはずだ。
「分からない? 彼にとっては私がどうにかなっちゃうことで俊介が悲しんだり苦しんだりするの見たくないからでしょ」
――俺が悲しむから?
「だからって、もうお前と俺は関係ないだろ」
自分にとって一番大切なのは祐貴だと言ってきたはずだ。
「そう、思ってないってことでしょ」
「なんで」
「そう思うから」
美樹の答えになんだか力が抜けた。
「分からないだろ、そんなこと……」
「じゃあ、どう思うの?」
美樹が言ってごらんなさいよとばかりに上目遣いに見てくる。
「あいつは……」
俊介は一旦言葉を止めた。何を言ったところで憶測でしかない。けれど、本人が言わない以上推測するしかできない。
「回りのことばかり考えて全部自分が後回しなんだよ。遠くばかり見て、すぐ傍にいる俺のことなんてこれっぽっちも見てくれない」
祐貴の前では言えない不満がぽろりと出た。
足の調子が悪い時は気にしてくれた。自分も慣れないことで辛かっただろうに、そんなことはおくびにも出さなかった。今あいつの一番近くにいるのは自分だと
思うのに、視界に入っているのかさえ不安になる。
「でも、特別待遇されてるじゃない」
「は? どこが」
元の彼女を押し付けて、あいつはどこへ行ってしまったのか。
時計は勝手に進んでいく。あともう少しで終わりだと言ったのだから、遅くなるなら遅くなると告げに来てもいいだろうと思った。
きっと、もう店にはいない。
「だって、それ彼が作ったんじゃないの? 」
美樹が前に置かれたアイスカフェオレを指す。
「え?」
考えもしなかった。
「暇だからちらちら見てたけど、フロア担当みたいで私が来てからカウンターに入ったのは俊介のオーダー取った後だけみたいだし、オーダーもカウンターに通
してなかったみたいだし、メニューも見ないで彼が決めたじゃない。私の時はわざわざメニューを開いてお勧めも教えてくれたよ」
「あいつが作った?」
どうせすぐ店は出るのだからと思っていたから気にもしなかった。そういえばカウンターの中に入ってそのまま持ってきてくれたなと思う。店のシステムなんて
気にしていなかったし、それこそ自分は祐貴しか見ていなかった。
「言ってくれりゃいいのに」
ぼやきがでた。言ってくれなきゃ分からない。
俊介は氷が半分ほど解けて外側を雫が伝うグラスを見やった。
「協力してあげようか」
美樹の声に俊介が顔をあげると、美樹が首を傾げる。
「俊介にはそんな顔似合わないよ」
続けながら不服そうに眉をしかめた。
「……顔に似合うも似合わないもないだろ」
「彼にも借りがあるし……お礼しなきゃいけないのは私の方だもんね」
「何、するつもりなんだよ」
「よりを戻そう」
――はあ?
「なんでそれが協力になるんだよ」
「焼きもちやかせてやれば? 何かが変わるかも」
――焼きもち?
「あいつは焼きもちなんて焼かないよ」
想像できない。
「じゃあ、どうするの? 諦める?」
――諦める?
俊介はアイスカフェオレに手を伸ばし、一口飲み込んだ。
さっき飲んだ時より水っぽく感じた。持ってきてくれた時に一口でも飲めば良かったと思った。もう、時は戻らない。
「いい案だよ思うけど?」
「……お前は俺なんか構ってるより新しい彼氏でも見つけた方がいいんじゃないの?」
引け目はあった。
「そんな顔してる俊介放って彼氏なんて探せないよ。いっそのこと振られたもの同士仲良くしない? って思う」
「俺は振られてなんかいないよ」
そう思いたくはない。
「じゃあ、何さ、これは」
美樹が付箋を指す。
「どうすんだよ、お前とのよりが戻ったって言ったら厄介払いができたって祐貴が彼女でもつくったら」
冗談じゃない。
「その時はダブルデートでもする?」
「やめろよ」
俊介は頭を振った。
冗談にしても嫌だと思う。
「そっか。残念」
美樹が視線を落とすとフォークを取った。一口タルトを口にして「おいしいっ」と小さく声をあげる。
じゃあ、どうするのかといえば何も手立てはなく。大人しく思い切るにも未練がある。
「……その案、のるよ」
負けたと思った。
いっそのこと祐貴に彼女ができれば諦めもつくのかもしれないと思った。
「そう?」
美樹がにっこり笑う。
「じゃあ、目的を達成するまで俊介は彼と話しちゃだめだからね。電話も禁止」
「向こうからかけてきたらどうするんだよ」
無いとは言えない。
「できるだけ、そっけなく。中途半端に嘘がばれるのが一番まずいんだから」
「分かったよ」
不服ながらも従うことにした。
「じゃあ、お祝いパフェでも」
最後のタルトを口に収める。
「まだ、食べんの?」
一応たしなめてはみたが、美樹は店員を呼んでいた。
「プリンパフェひとつ」
と頼み、
「それから、私たち、井上祐貴の友達なんですけど、今日奢ってもらったお礼にサプライズしたいんで、シフトのスケジュール教えて欲しいんですけど」
にっこりと笑う。
「あ……えっと……ちょっとお待ちください」
怯んだような店員はカウンターに戻ると誰かに何か声をかけていた。
「無理なんじゃないの?」
俊介は美樹に声をかけた。
「だめでもともとだよ」
美樹はあっさりしたものだった。
友達というのも信用してもらえるか分からない。
そう思ったのに、しばらくして戻ってきた店員は、祐貴のスケジュールをあっさりと教えてくれた。