部活に顔を出した時はもうほとんど終わりという時間で、いったい何をやっていたんだとは言われたが深く追求はされなかった。
生物室を出てからずっと、なんであんなことを言ってしまったのだろうと祐貴は後悔していた。体育館に着くまで俊介はたびたび笑いかけてくれて、そのたびに 照れたように頭を かく。祐貴は応えるように軽く笑うことしかできなかった。

「じゃ、いってくるよ」
俊介が中に入っていたやつと交代してバスケットコートに入っていった。
ボールを持てば膝の調子が悪いとは思えない動きで、敵の脇を抜いていく。ちょっと見ただけでこいつが中心だと分かる。当然、他校との試合ではガードも固く なるけれど、それすら抜いてしまう。
そんなのを見せられて惚れないわけがないじゃないか、と祐貴は思った。
十分ほどしたかどうかの練習が終わるとコートを出た俊介が近づいてきて、どういう顔をしていいのか分からなくて祐貴は視線を伏せた。
「タオルくれよ」
俊介が言う。
「え、あ、うん」
祐貴は周りを見回し椅子からタオルを取ると俊介に差し出した。
ぎこちない動作はぎこちない空気を生んで、体が強張る。
「ゆ……」
言いかけた俊介の声が途切れる。
その後で、
「汗もかいてないだろ」
副部長の声が聞こえた。
「え、まあ」
俊介が訝しげに答える。
「遅れてきた罰に、片付けはお前ら二人でやるか?」
冗談が入っているだろうと思う声で、副部長が言った。
「いいっすよ、な?」
あっさりと了承した俊介が確認してきた。
「あ、はい」
視線は伏せたまま祐貴は小さく頷いた。
二人きり?
少し抵抗はあったけれど、嫌だとも言えなかった。
「いいのか?」
副部長の声には少し驚きが入っていた。ただちょっとからかってきただけのつもりで、本気でいいと言うとは思わなかったのだろう。
「いいですよ」
俊介の答える声に躊躇いは無かった。
「その代わり、今日のことはもう言わないで下さいよ」
続けて副部長に念を入れていた。
「ああ、いいよ」
副部長は気前良く返事をすると、
「今日の片付けは遅れてきたやつがやるってよ」
周りに向かって叫んでいた。

副部長の声を受けた歓声に近いざわめきの中、一人難しい顔をした部長が祐貴を見てきた。
その部長が近づいてきて、
「あいつは大丈夫なのか?」
祐貴に耳打ちしてきた。
「あ、はい。大丈夫です。片付けは僕がやりますから」
祐貴が小さな声で答えると、部長は小さく頷いて肩をぽんと軽く叩いてきた。自分ができるのはそれくらいだと祐貴は思った。


さっと人がひいていった体育館の中に二人だけ残されると静けさが響いていた。
「やるか」
俊介が声をかけてくる。その声にはエコーがかかって聞こえた。
散らかっているボールを集めて用具室に持っていき、床をモップで拭くだけだからそれほど大変なわけじゃない。部員全員でやれば手分けして数分で終わる。
「いいよ俊介は休んでて、僕がやるよ」
祐貴は近くに転がっていたボールを拾いあげた。
「心配してくれんの?」
俊介が後ろから手を回して抱きしめてくる。
「だめだよ、こんなところで」
入り口に鍵がかかっているわけじゃない。誰かが戻ってくるかもしれない。
祐貴が振り向くと俊介が掠めるようにキスをしてきた。
「俊……」
抗議しようとしたのに、それは口を塞がれてできなかった。
「んっ……」
逃れようとしたのに、身体と頭をしっかりと抱きしめられていてできなかった。
「大丈夫だよ、音は響くから誰か来たら分かる」
唇を少しだけ離して俊介が囁くように言う。唇に熱い息を感じた。

「でも……」
誰かの足音を聞き取れる自信が祐貴には無かった。自分の感覚が頼りなく思う。俊介しか感じなかった。
「心配症だな。なんとでも理由はつくさ」
俊介がきっぱりと言うから、
「そうかな……」
納得しそうになる。
「祐貴」
俊介がぎゅっと抱いてきて、弾みで手からボールがこぼれた。ニ、三度バウンドしたボールはころころと床を転がっていく。
ついさっきまで薄暗い生物室で抱き合っていた。何度もキスもした。誰か来るかもしれないと思いながら、俊介を突き放すことはできなかった。
好きだから――そんな言葉がどこから出てきたのだろうと思う。
袋小路に追い詰められたように逃げ道はなくて、その言葉しか頭に浮かばなかった。
けれど。
俊介に相応しいのは自分じゃない。試合が終わったら返してと言われていた。

「俊介」
祐貴は身体の前に回されている俊介の腕に手をかけた。
「さっきのあれは……友達としてってことだよ」
そう、俊介とは友達じゃなきゃいけない。誤解は解いておかなきゃいけない。
少しの沈黙があった。
腕は回されたまま、俊介が動く気配もなかった。
「早く、片付けないと」
祐貴は俊介の腕を外そうとした。
それこそ遅くまで体育館の電気がついていたら、見回りが来る。
「……友達でもいいさ」
俊介が呟く。
「俺より好きなやついる?」
問いかけられて、祐貴はごくりと喉をならした。
頭に浮かぶ顔はなかった。記憶を失ってしまったように頭の中は真っ白だった。
さっきと同じだと思った。
何か答えなきゃいけないと思って、けれど、浮かぶのはそれは言ってはいけない言葉だけだった。
口にしたら絶対また後悔する。
「いいよ祐貴、友達で。それでお前の気が済むなら」
肩口に顔をうずめた俊介が首筋を啄ばむ。
身体はぴくっと反応した。

「また、後で」
言いながら俊介の身体は離れていって、祐貴が振り返ると俊介はボールを拾いカゴに放り込んでいた。
小さくため息をこぼすと祐貴もボールを拾い始めた。
俊介は返さなければいけない人だった。
このままじゃいけないと思うけれど、俊介にうまく伝えられない。
大丈夫だよ――そう頭の片隅で囁く声があった。
どうせすぐに嫌われちゃうよ。
その声が続ける。
優しくしてくれた友人が冷たく去っていく経験をしたのは一回じゃない。
それを望むわけではないけれど――。
祐貴はつい俊介に目がいってしまった。俊介は気が付くと笑いかえしてくれる。
その優しい視線が突然変わってしまうかもしれないと思う。
理由も分からずに、睨むようにキツイ視線になるのか、存在していないかのように通り過ぎていく視線になるのか。
今はその笑顔が変わってしまうことは考えられないけれど、あの時も、あの時も、その日は突然やってきて、その日が来ることを誰かが教えてくれたりすること はなかった。

「何、考えてるんだよ」
並んで床にモップをかけながら俊介が声をかけてくる。
「星野のこと?」
俊介の声がきつくなった気がした。
「違うよ」
祐貴は頭を振った。
星野のことはもう終わったことだった。何もできることはないし、今は何もしたいとも思わない。
「じゃあ、何?」
「次の試合のこと」
嘘を吐いた。今の気持ちそのままを告げてはいけないと思う。
突然俊介が立ち止まった。
一、二歩過ぎて、祐貴もつられるように立ち止まり、俊介の方へ振り向いた。
「で?」
俊介が先を促す。
「……厳しい試合になるのかなって」
相手は強くなっていく。
「で?」
深く突っ込まれて、祐貴は返す言葉に困った。
「俊介が……無理しないといいなと思って」
そう思っていることは事実だった。
先日の試合もきつそうだった。
「無理させたくない?」
俊介が眉を顰める。
「決まってるだろ」
試合中は早く終わって欲しいと、勝ち負けよりもそればかりを考えていた。
「お前がそう言うなら」
俊介が口元を緩める。
「無理はしないよ」
近づいてきた俊介の手に頭を押さえられて、そのまま唇を塞がれた。
「んっ……」
離れようとしたのに抱き込まれた。
モップの柄が床に転がってからんと音をたてる。
これじゃいけない、そう思いながら流されそうな自分を祐貴は感じていた。

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