顔を上に向かせても、祐貴は視線を合わせてはこなかった。
「なんでそんなこと言うんだよ……鵜杉はなんて言ったんだ」
俊介は一言一言ゆっくりと言った。
職員室から出てきた時、祐貴は酷く暗い顔をしていた。星野にとんでもない目に合わされそうになったときでさえ、そんな顔はしていなかった。
そんなやつを放っておけるはずがなかった。

「星野はあいつに……僕達を売ったやつに、ぼこぼこにされたらしい」
「は?」
そんな話は聞いてなかった。
「じゃあ、万引きって話はでたらめってことか?」
話を聞いた時まんざら嘘だとは思えなかったからあっさり信じてしまったけれど、流れる噂が全て本当なわけではない。
「ううん。万引きはしたらしい。それで退学になったのも事実だけど、ぼこぼこにされて今入院しているのも事実なんだ」
入院?
「そんなに、やられたのか?」
祐貴を組み敷いていた男が俊介の頭に浮かんだ。うまくいかなかったことにだいぶ頭にきていたのだろうとは思った。
「みたいだよ。親にもばれて、学校やめた後、いったん田舎に引っ込むって」
え?
「じゃあ、もう俺達の前には現れないってことか?」
「たぶん……」
力ない声で答える祐貴の視線は伏せられたままだった。

――なぜ?
暗い表情の理由が分からない。
いったいどんな話だったのかと思ったけれど、どちらかと言えば良い方向じゃないかと思う。田舎へ引っ込むということはまた何を仕掛けられるのかと不安に思 うことはなくなったわけだ。
「良かったじゃないか」
もう怯えることはない。
「……僕がいけないんだ。星野をあんな風にしちゃったのは僕なんだ」
――はあ?
祐貴の言葉の意味を俊介は図れなかった。
「なんで、お前なんだよ」
「僕が、あんなもの書かなければ――」
「それがなんでお前の所為なんだよ。あいつが欲しいって言ったんだろ?」
「僕が――」
祐貴が声を詰まらせる。
「お前の所為じゃないだろ。美樹だって言ってただろ。やめさせたのは俺なんだから、誰かの所為だっていうならお前より俺だろ。だけど、あいつが自分の利益 のためだけにやってたんだ。自業自得だよ」
罰が当たったのだと思う。どう考えてもこちらは被害者だ。
視線を伏せたままの祐貴の肩を俊介はゆすった。
祐貴が原因なんてことは絶対にないのに、祐貴は口を噤んだまま何も答えなかった。

どう言ったら分かってくれるのだろうと、俊介が思いあぐねていると、
「俊介、もう行った方がいいよ」
祐貴がぽつんと言う。
「一緒に行こう」
置いていけるわけがない。
「もう、僕には構わないでって言ったよ」
祐貴の声は暗かった。
「そんなの、聞けるわけないだろ」
声だけじゃない。暗い顔をして目線さえ合わさない。離したらこのままどこかへ行ってしまいそうな気さえした。
――まだ何か隠してる?
そうとしか思えなかった。
「話はそれだけだったのか?」
「ん、そうだよ」
祐貴はきっぱりと言った。
「じゃあ、なんでそんな顔してるんだよ」
俊介はそっと祐貴の頬を撫でた。
何がそんなに暗い顔をさせるのか。なぜ祐貴が自分の所為だと言うのか。それが祐貴の話からは見えてこない。
「どうしてそんなに気にしてくれるんだよ。俊介にはお似合いの彼女がいるじゃないか」
祐貴が吐き捨てるように言い、顔を背ける。
「美樹とは別れた……お前だって知ってるはずだ」
はっきりと別れの言葉を告げたのは祐貴の前だ。あれから二人では会っていない。
「可笑しいよ」
祐貴が笑う。
「僕なんかより、ずっと彼女の方がいいよ」
祐貴の声が震えていた。
「それを決めるのはお前じゃなくて、俺だろ?」
似合う似合わないは置いておいて、いい子だとか、綺麗だとか。そんなことは周りに言われなくても分かっていた。分かっていてなお、自由にならない気持ちが あった。

しばらくして。
「俊介、もういいよ。好きにしていい。こんな身体でよかったら何をしてもいいよ。だから、もう許してくれよ」
祐貴が呟くように言った。
好きにしていい?
欲しいのは身体だけじゃない。
許して?
「何を許せばいいんだよ」
許さなければいけないようなことはされていない。
「離してくれよ」
祐貴が手で身体を押そうとする。本気なのか疑わしい弱い力で押されても離す気にはなれなくて、俊介は更にぎゅっと祐貴の身体を抱きしめた。
――本気で離して欲しいなら
「じゃあ、お前の本心を聞かせてよ」
俊介は耳元で囁いて首筋に唇で触れた。
「お前が嫌いだって言うなら、俺はもうお前を追わない。諦めろって言うなら、お前の口から言ってくれよ」
うやむやなままでは終わらせられない。
本気で離せというのなら、もう構うなと言うのなら、納得できる理由が欲しい。それくらい望んでもいいだろうと思う。
「俊介は僕のこと買いかぶってるんだよ。僕は俊介に好かれる理由なんてない」
腕の中で祐貴が頭を振る。
「俺は、お前の気持ちを聞いてるんだよ。俺のことどう思ってる? 好き? 嫌い? 嫌いなら嫌いではっきり言っていい。お前を恨んだり妬んだりはしないか ら」
その結果が酷く凹むことであったとしても、上辺を繕う言葉でなく、真実、本心が聞きたかった。

腕の中でぴくりともせず、祐貴は何も答えてくれなかった。
「お前が答えてくれない限り、俺はこのままお前を離さないよ」
このチャンスを逃したら、もう聞けない気がした。
「部活が……」
「いいさ」
「見回りの先生に見つかったら……」
「いいさ。そんなの」
「だから、僕なんて……」
「そう言っていたかったら、言ってればいい。離さないだけだよ」
「……嫌いだよ」
諦めたように祐貴が呟く。
「誰が?」
問いかけると、祐貴がぎゅっとTシャツを掴んできた。
あごを捉えて上を向かせると、瞳が潤んで光っていた。
「目を閉じて」
俊介が言うと、祐貴が顔を歪めた。
「好きにしていいんだろ?」
そう言ったのは祐貴だった。
一瞬困惑の表情を浮かべて、祐貴がゆっくりと目を閉じる。唇が小さく震えていた。

「今、好きなやついる?」
問いかけると、驚いたように祐貴が目を開ける。
「閉じろって言ったろ?」
そう言うと、祐貴はそれに答えるようにまた目を閉じた。
「答えないなら、イエスととるよ」
もう、押し問答は終わりにしたかった。
「好きなやついる?」
同じ質問をしてしばらく待ってみたけれど、祐貴の答えはなかった。
「イエスなんだな」
答えを代弁してやった。
「まだ考えてたんだよ」
祐貴が苦しげに言う。
「言い訳は後で聞くよ」
そう返したけれど、聞くつもりなんてさらさらなかった。
「それは、俺?」
希望を言葉にした。
はっとしたように祐貴は息を呑んで、けれど、答えは無かった。
「イエスだな」
そう決めた。
「ずるいよ」
祐貴が顔を歪める。
「なんでずるいんだよ。じゃあちゃんと答えてくれればいいだろ? それとも答えられない理由でもあるのか?」
後でごちゃごちゃ言われたら面倒だから、一応文句は聞いた。
「あるよっ!」
祐貴にしては強い口調で答える。
「じゃあ、言えよ」
今、この場ではっきりさせてしまいたかった。今なら聞けると思った。
「……俊介に……幸せになって欲しいから……」
え?
やっと聞こえるような小さな声は胸をどくんとさせた。
「なぜ?」
その理由が知りたかった。
なのに、祐貴は口を噤んだままその先を言おうとしない。
「なぜ? 祐貴」
もう一度同じ問いかけを繰り返した。
祐貴がごくりと喉を鳴らす。
「その答えを言ってくれるまで離さない」
不思議と強気でいられた。答えはもうもらっているような気がした。
「……好き……だから……」
そう答えてくれた祐貴の声は震えてた。
頭の中に染み入る言葉が胸のつかえをすっと消していく。
「それが聞きたかった……」
俊介はふっと身体の力が抜けたのを感じた。
「俺もだよ、祐貴」
唇に軽く触れると、すぐに離した。
「もう心配することなんて何もない。何かあっても、俺が絶対守ってやるから」
たた一言の言葉を貰っただけで、なんでもできる気がした。
「次の試合も絶対勝つから」
疲れも不安も全て消えて、身体が軽くなったように感じた。
――約束通り試合に勝って、それこそ、好きにさせてもらう
俊介は心の中でそう呟いた。

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