職員室の風景はいつもと変わりなかった。
ぱらぱらといる教師とカシャカシャ音をたてて動いているコピー機があり、その中で担任の鵜杉は難しい顔をして腕組みをし、机に向かっていた。

「先生」
祐貴が声をかけると、鵜杉は「おっ」と言うように顔をあげた。
「まあ、そこへ座れ」
空いている隣の教師の椅子を指す。
長くなるのかなと思うと少し嫌だと思った。
俊介は絶対に気にしている。あまり長くなると部活を抜けて来るかもしれない。そして、鵜杉の話が星野のことでおまけにこの間の一件のことだと知ったら絶対 黙っていないだろうと思う。自分もその場にいたと言いかねない。
星野のことは自分の問題で俊介には関係ない。
これ以上、俊介に迷惑はかけたくなかった。

「何でしょうか」
祐貴は鵜杉に言われた通り、椅子を引き寄せて座った。
鵜杉はため息をひとつついて、
「星野のことなんだが」
と言った。
――やっぱり
祐貴はごくりと喉を鳴らした。
「星野が? 何かあったんですか?」
素知らぬ振りをした。
下手をすれば犯罪になるわけだから、いくら星野でもありのままを言ってはいないだろうと思う。
「あいつは今入院している。顔の腫れがひどくて、まあ、一週間もすれば退院できるそうだ」
え?
「入院?」
意外だった。
「金絡みの話にトラブルがあったみたいだな。追加金をもらえると思って行ったら、ぼこぼこにやられたらしい」
「あ……」
祐貴が思わずあげてしまった声に、
「心当たりがありそうだな」
鵜杉が答えた。
「僕は――」
正直に言うことはできないし、下手な嘘を吐いてもばれたときが怖い。言いかけたものの祐貴は先の言葉を失った。
「分かってる」
鵜杉がゆっくりと頷く。
「褒められる事じゃないが、事なきを得たようでよかったな」
続けられた鵜杉の言葉に祐貴は口を結んだ。
「昨日、あいつに会ってきた。今後のことも相談して、一端、田舎へ引っ込むそうだよ」
「えっ」
驚いて、同時にほっとした気持ちがあった。
「安心したみたいだな」
鵜杉が笑う。
「あ、そんなことは……」
咄嗟に祐貴は鵜杉の視線を避けていた。
心の中を見透かされた気がした。
近くにいれば、今度は何があるのだろうと常に怯えていなくてはならなくなる。言いなりになるにも限度はある。
「ちょっとやりすぎたみたいだな。母親に泣かれて凹んでいたよ。本人はそこまでは考えていなかったみたいだが、犯罪に手を貸したに等しいからな」
鵜杉が眉を顰める。
鵜杉の言葉に全て知られているのだと祐貴は思った。
「あいつをやったやつは逃げてもう連絡が取れない。お前が訴えれば、星野は警察の世話になることになるんだろうが、示談にしてくれるなら要求を呑むそう だ」
要求?
望むとしたら、もう目の前に現れないで欲しいということくらいだと思った。
「できるなら、許してやってくれないかな」
鵜杉が顔を覗き込むようにしてくる。
「それ以前にも、まあ色々あったから許せないっていうなら、それはそれで仕方ないと思うが……あいつは口は悪いけど、根っから悪いやつだったわけじゃない と思うよ。簡単に金になりそうなことが転がってきて、助長するやつらもいてそいつらにおこぼれをやってたみたいだな。星野も引っ込みがつかなくなったんだ ろう」
「そうですか……」
頷きながら、祐貴は鵜杉の言葉が引っかかった。
根っからの悪いやつじゃないなら何をされても許さなきゃいけない?
「星野がお前に謝ってくれと言っていた。反省していたようだし」
「……別に、僕は、何かしてもらおうなんて思ってません」
はじめから公にしようなんて思っていなかった。謝ってもらうことなど考えてもいなかった。
「学校をやめることになって、あいつはほっとしたような顔してたよ。一度覚えた味は忘れられないってぼやいてた。あいつも辛かったんだろう」
「そうですか……」
自業自得だよ、そう思うけれど、声にはできなかった。
「何か言いたいことはあるか?」
「いいえ……」
許してやれと言ったくせに何を言えと言うのだろうと思う。今更謝ってもらったとこで何も変わらない。
「お前の方で言いたいことがないのなら、それだけだ」
「分かりました」
祐貴は立ち上がった。
ただ、ひとつ疑問が残った。
「星野の退学の理由は万引きじゃないんですか?」
もう関係ないことだとは言っても、疑問として残れば忘れられないような気がした。
「ああ……密告があって、本人も認めた。色んな意味でモラルが欠如していたんだろう。労せず金を手に入れるといいことはないってことだろうな」
「そうですか……」
「いいか?」
「はい」
祐貴は頭を下げると、鵜杉に背を向けた。
解決したはずなのに、心の中にどんよりとした後味の悪さが残っていた。

職員室のドアを開けると祐貴は目の前に俊介に姿を見つけた。気が付いた俊介は頭に手をやりばつが悪そうな顔をした。
祐貴がドアを閉めると、
「あ、いや、休憩になったから――」
俊介が言い訳のように口にする。
俊介だけはいつも優しい。
「祐貴?」
俊介が不思議そうな顔をした。
思い返せば鵜杉も暗に自分を責めていたような気がした。
辛い思いをしただろうから許してやれって?
自分だって、あの時、俊介が助けに来てくれなかったらどんな目にあっていたかなんて想像もしたくない。
実害は受けていなから?
なんで庇われるのは仕掛けた方?
胸の奥から重く暗い気持ちが顔を覗かせる。
「何を言われた?」
俊介が顔を覗き込んでくる。
「なんでもないよ」
祐貴は俊介の脇を抜け体育館とは反対方向へ行こうとした。
「なんでもないって顔じゃないだろ?」
言いながら俊介が前を塞ぐ。
「もう、休憩終わっちゃうよ。早く戻った方がいいよ」
一人になりたいと祐貴は思った。
祐貴は俊介を手で制するようにして脇を抜けようとした。
「お前はどこ行くんだよ」
振り向く声が追いかけてくる。
「着替えてくるよ」
「おい、祐貴」
腕をとられそうになって、祐貴は走り出した。
「待てよっ」
背で俊介の声を聞いた。それを振り切るように祐貴は走った。目的は無かった、ただ、俊介を振り切りたかった。
「祐貴っ!」
声が足音が追いかけてくる。このまま走っていてもすぐに捕まってしまうと思った。どこか抜けられるところはなかったっけ、と思いながらも頭は半分も働かな くてまっすぐ行くことしかできなかった。
突き当たりが見えて、きびすを返したところを俊介に捕まえられた。
「どこへ行くんだよ」
捕まえられたら力では敵わない。
「離してくれよっ!」
腕を振り切ろうとしたけれど、腕に力が入らなかった。
「何言われたんだよっ。話してくれたら、離すよ」
もう一方の手ではがそうとしたら、その手も捕まえられた。
「なんでもないよっ」
腕を振り解こうとしてもできない。
「それでもいいさ。知りたいんだ」
両腕をぎゅっと掴まれて、身体をひねることさえできなかった。
「どうして?」
不思議だった。
「え?」
俊介がきょとんとした顔をする。
「どうしてそんなに心配してくれるんだよ」
面倒なことに巻き込んでしまったのに。
「好きだからに、決まってるだろ」
俊介は何を今更言ってるんだと言うような顔をした。
「こっちへ来い」
片方の腕を離してくれた代わりに引っ張られた。
横の生物室は静かで人の気配を感じなかった。俊介が扉を引くと簡単に開いて、そのまま教室の中へ引っ張られ扉を閉めた俊介に壁を背に捕らえられた。
「言ってみろよ」
優しい手が顔を上に向かせる。
窓には暗幕が引かれていて間から光の線が差し込んでいるだけで、扉のすりガラスからもれるほんの少しの光とあいまって部屋の中は薄暗かった。
それでも、俊介の目を見ることはできなかった。
「僕になんて構わないほうがいいよ」
いつだって思わぬ方向にいってしまい、その気はないのに他人を傷つけてしまう。
俊介には似合う人が他にいた。

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