83−62。
笛が鳴った後の得点ボードにはそう記されていた。
動きを止めた身体はすべてが心臓に飲み込まれたように鼓動が大きく響いていた。
「やったな」
勢いよく肩を叩かれる。
痛みが身体を走って、俊介は顔を歪めた。
ふっと視線を向けた先に、不安そうな顔をした祐貴がいた。俊介が笑うと小さく笑い返してくる。
無様なかっこは見せられないと思う。それが一番の原動力だな、と俊介は思った。
俊介がクールダウンを兼ねた柔軟をしていると、祐貴が近寄ってきて腰を落とすと膝に触れてきた。
「大丈夫?」
心配が声から伝わってくる。
「ああ」
祐貴の手で触れられると、身体が熱くなってくる。そして、痛みに似た違和感が引いていく。
「この間より、いいみたいだね」
「そうだな」
祐貴に嘘はつけないらしい。
勝てばいい。そう思えばずいぶん楽だった。
前回の試合ほど点差は付かなかったけれど、十分安全圏だ。
「そろそろ行こうか」
部長の声かけに立ち上がった。
今日は祝バーガーとやらに付き合わなければいけないだろうと思う。
その後で、祐貴と約束していた。
ご褒美と言った時に、きょとんとしていた祐貴には考えもしないことなんだろうと思う。
ただ、まだ迷っていた。
「今日は祝ケンタだって言ってたよ」
祐貴が後ろから話しかけてくる。
「二回戦だから、そっちもグレードアップなのか?」
「かな?」
何気ない会話を交わしながら、俊介は祐貴の唇に視線がいった。
その唇に触れたいなんて言ったら、祐貴はどうするのだろうと思う。
いつからそんな気持ちがあったのか。
それは、初めて言葉を交わしたときからかもしれない。男に対して持つ感情ではないと思いながら、心の片隅にいつもあった。
あの時。
初戦の後駅前のロータリーで祐貴が膝に触れてきた時、人目がなければ自分は何をしていたか分からないと思う。
残りの試合をこの状態でやっていけるのか不安だった。
祐貴に無様な姿は見せたくなかった。
思えば思うほど、膝の違和感が強くなっていった。
それを拭ってくれたのは祐貴だった。
触れてきた祐貴の手に身体は熱くなって、不思議なほど焦る気持ちは退いていった。
次も勝ったら――そう言って次に言葉にしたのは願望だった。
友達として付き合うことに限界を感じてきている。けれど、社会ではマイノリティに属することだ。
祐貴は?
どう思っているか聞きようもない。
もし、受け入れてもらえないならば、友達としての付き合いも終わるだろう。
また、遠くから見ているだけになる。
どっちを選ぶ?
それは自分次第だった。
「荷物持つよ」
ホームで祐貴が声をかけてきた。
祝ケンタでひとしきり盛り上がり改札で他の部員とは別れた。
「いいよ」
今日はそれほど辛いとは思わなかった。
「でも」
祐貴が納得できないような顔をする。
「じゃあ、駅から家まで持ってもらおうかな」
「え、あ、いいけど……」
きょとんとした顔で答える。
「褒美をくれるんだろ?」
ちょっとカマをかけてみた。
「あ、うん」
きょとんとした顔は変わらない。
「でも、今日は本当に何も持ってないよ」
祐貴が申し訳なさそうな顔をする。
「いいさ」
身一つでいいよ――そう思いながら、俊介はそれは言葉にはできなかった。
言った通り、駅を降りてから祐貴は荷物を持ってくれた。
「寄っていけよ」
俊介は荷物を受け取りながら、家の門を開けた。祐貴が荷物を持ってくれると言った時からそのつもりだった。
「あ、うん」
祐貴が素直に頷く。
予想はしていたのだと思う。
玄関を開けると、俊介は祐貴を先に通した。
「お邪魔します」
恐る恐るといった感じで、祐貴が奥へ声をかける。
「いいよ、あがって」
テレビでもつけていたら、玄関で何か言っても聞こえないことはよくある。
「部屋、上の奥だから、先に行っててくれよ」
俊介は、また鞄を祐貴に渡し、階段をあがるように示した。
飲み物とスナックを適当に持って俊介が階段を上がると、祐貴は荷物を持ったまま部屋の前で待ってた。
「入ってればいいのに」
俊介が声をかけると、
「でも、なんとなく」
視線を伏せる。
祐貴らしい、と俊介は思った。
大人しく部屋の前で待っているやつなんているのは、今までの友達のなかじゃいない。さっさと部屋に入って面白いものがないのか探し回っているのが常だっ
た。見つかっては困るようなものをどこにでも置いておけなくて、おかげで整理整頓のくせだけはついていた。
ドアを開けて祐貴に入るように示し、俊介はローテーブルの上にトレーを置いた。
「適当に座ってよ」
声をかけると、祐貴は少しあたりを見回して、入り口近くのテーブルの前に腰を下ろした。その様子を見ながら、俊介は祐貴の隣に座った。
「飲む?」
俊介がグラスを指差すと
「今はいいよ」
祐貴がゆるく頭を振る。
「で、何が欲しい?」
祐貴が釈然としない顔でまっすぐ見てくる。
今ならまだ引き返せると思った。
――いいのか?
俊介は自分に問いかけた。
これからしようとすることは、今の関係を壊すかもしれない。いや、十中八九壊すのだろうと思う。
でも、今なら祐貴なら嫌だとは言わないんじゃないかと思う。
心の中で思っていることは分からないけれど、表情から見えるものはあるかもしれない。だとしても、あからさまに拒まれないような気がする。
大事な大会の最中だった。他の部員達は来週も勝つつもりで、それを祐貴も見ている。試合が控えている中で、祐貴が自分の感情を優先させるとは思えなかっ
た。
ただ、それを祐貴に告げる前にしなければならないことがある。俊介は自分の鞄を寄せると中から、携帯電話を取り出した。
不思議そうな顔の祐貴の前で、俊介は履歴からひとつの番号を選んだ。
『俊介?』
ほとんど待たされることもなく、携帯が答えてくる。
「ああ、俺」
『試合終わったの? 今どこ?』
弾むような声は、これから告げることなど考えもしないことなのだろうと思った。
このまま、今まで通りでいることにどんな不都合がある?
頭を巡る考えは、しようとすることを躊躇させる。
『俊介?』
美樹の声が怪訝なものに変わった。
「あ、ああ。今、家に帰ってきた」
『あ、じゃ、行ってもいい?』
「あ、いや、だめだ」
咄嗟に答えていた。
『え?なんで?』
携帯から聞こえる声は至極当然と思われる疑問で。
今、咄嗟に誰を選んだのか、俊介は自分で分かってしまった。
祐貴は変わらず不思議そうな顔をしていて、瞳が小さく揺れていた。
「別れよう……」
言いながら、俊介は胸がぎゅっと締め付けられるような気がした。ついこの間までそんなことは考えたことがなかった。
驚いた顔をした祐貴が何か言いたげに口を開く。でも、声にはならないようだった。
『え? 何言ってるの? 今家にいるんでしょ? これから行く』
「あ、待――」
止めようとしたのに、携帯からぴっと甲高い音がした。
「俊介、今のは?」
祐貴が言いづらそうに口ごもる。
「美樹とは別れる」
これから、今まで通りに付き合えるとは思えなかった。
「なぜ?」
まるで自分が振られたように、祐貴が顔を歪める。
「他に、好きなやつができたから……」
そう、目の前にいるやつがどうしても気になって仕方ない。俊介が祐貴の頬に手で触れると、祐貴は避けるように顔を背けた。
「……そんな人がいること知らなかった」
それが自分だとは祐貴は端から思っていないらしい。
「お前だよ……」
俊介が告げると、祐貴はぴくんと身体を震わせて、けれど、顔は背けたままだった。
「お前だよ、祐貴」
覚悟を決めようと俊介は思った。
祐貴を知ってから――身体が熱くなるのも、胸が熱くなるのも、誰かを思うのも、その相手はいつも祐貴だった。