星野が俊介に言われただけで終わらせるとは思っていなかった。また何かしかけてくるんじゃないかと祐貴は思っていた。
「井上、後で職員室へ来い」
帰りのH.Rでの鵜杉の言葉を聞いたとき、祐貴は数日前のことが脳裏に蘇った。
あの時と同じだ。
思わず祐貴が星野を見やると、星野は視線を向けにやっと笑った。
やっぱり、何かしかけてきたんだと思った。
先日鵜杉に呼ばれた後、祐貴は俊介への言い訳を考えながら体育館へ入ることができずに渡り廊下をうろうろしていた。
その時、一番会いたくなかったやつに会った。
向こうは練習の合間にわざわざ会いに来てくれたのだろう。
その星野はまたレポートを書いてくれと言った。
できないと答えると、いいのかと思わせぶりな言い方をする。
仲間でいればばれることはない、と星野は言った。
それは今回のことは故意的にばらしたということなのだろう。
分け前もやる、と言われた。そんなことを端から望んでいない。
『俺たちは祐貴を大切にするけど、あいつには何をさせられるか分からないぜ』
と星野は俊介のことを言った。
冗談じゃない。
星野たちがいつ大切にしてくれたんだと思う。都合よく使っていただけじゃないかと言いたかった。
いつだって何でも押し付けてきた星野たちと俊介は違う。
生物室では雑巾を拾ってくれて、職員室まで付いてきてくれて、鵜杉に呼ばれたときに、付いていってやると言ってくれた。
ただ、俊介には彼女がいる。
だから、一番近い関係にはならないだろう。
けれど、それは良いことかもしれないとも思う。少し距離をおいて付き合うことができる。
結局鵜杉に呼ばれた件は俊介に正直に話した。星野と話しているところを見られてしまったし、嘘を突き通せる自信がなかった。
その時、自分のことのように悔しそうな顔をしてくれた俊介に、わだかまっていた気持ちがすっと引いていくのを祐貴は感じた。
鵜杉が出ていくと、途端に教室は騒がしくなった。
「職員室、一緒に行ってやるよ」
これから掃除だという時に俊介が話しかけてきた。
「だから、先に行くなよな」
釘をさすように続けて、返事を待たずに俊介は教室を出ていった。
一緒に美化委員の見回りをしてから俊介は掃除を真面目にやっているみたいだった。
やっぱり、星野とは違う。俊介と同じ班のはずなのに、星野は教室でふざけていた。
この間もそうだったけれど、今回の呼び出しも想像がつかない。
ただ、絶対いい話ではない。後ろには星野がいるはずだった。
「お前は呼んでないぞ、吉沢」
それが鵜杉の第一声だった。
「証人だよ」
俊介が言う。
「何の?」
鵜杉がきょとんとした顔をする。
「こいつは悪いことなんかしないよ」
断言する。
自分でも自分のことをそこまで自信を持っては言えないと祐貴は思った。付き合いは短くてお互いのことをよく知らない。けれど、祐貴は自分も俊介については
同じことを言える気がした。その確信がどこからでてくるのかは分からくて、自分でも不思議だった。
他人に頼ることが苦手で、いつも逃げてしまう。なのに、俊介が付いてきてくれると言ったことは受け入れられた。
頼ってもいいのかな、そう思えたのは俊介が初めてだった。
鵜杉が大きく息を吐いた。
「これはうわさだが……」
いったん言葉を切る。
「井上がなんか色々と引き受けちゃ、小金を稼いでいるっていうのは本当か?」
「は?」
まるで、号令でもかけられたように、同じタイミングで、祐貴と俊介は声をあげた。
「日誌やら、委員やら、掃除まで請け負ってるっていう話だ」
「それは――」
答えようとした祐貴は口ごもった。
やることはやっていたが、お金は受け取っていない。
「そんなのこいつはただ働きしてるよ。どこのどいつらが言いまわってるんだよ」
俊介が呆れたように言う。
「あくまでも噂だ。ただ、この間の件といい、こういう噂がでるのはいいことじゃあない――」
火のないところに煙はたたないとよく言われることだ。
けれど。
「出元は分かってるんだ。そんなこと言うやつは――」
俊介が鵜杉の言葉を遮るように言う。
わざわざ火をつけているいるやつに心当たりがあった。
「俊介っ」
祐貴は思わず俊介を止めていた。
「――お前はかばうのか、あんなやつ!」
俊介が吐き捨てるように言う。
「かばうわけじゃないけど証拠がないんだ。言っても仕方ないよ」
たとえ、証拠があったとしても、星野はうまく逃げ延びるような気がする。自分に非がかからない勝算があるのだと思う。
「そんなこと言ってると、お前――」
俊介の表情から怒りが見えた。
「大丈夫だよ」
根拠はない。けれど、俊介の怒りを収める方が先だと思う。事を大きくして良いことはない。
「確かに――」
鵜杉が声をあげた。
「井上、お前に対して面白くない感情を持っているやつがいるんだろう。立て続けに表面化するなんていうのは何か思惑があるんだろうな」
鵜杉が言いながら目を細める。
祐貴は喉をごくりと鳴らした。
「こいつは――」
「分かってるさ」
俊介の言葉を、鵜杉は制した。
「何かが裏があるんだろうと思ったから、この間の件も俺で止めてる。ただ、あまり頻発するようだと、止めてもおけなくなる。原因が分かっているなら、早く
解決しておいた方がいい」
「解決?」
祐貴は思わず声がでた。
それは簡単なことだとは思えなかった。
そういえばと思う。星野はよく新しいシャーペンやゲームソフトを持ってきて自慢していた。あれは、全部あのレポートから出ていたのかもしれないと思った。
収入源を断たれたことは痛手だったのだろう。
だからといって良い解決策など思いつかない。何かをすればそれをまたネタにされそうな気がした。
「一回、ぶん殴ってやればいいさっ」
俊介が拳を握る。唇をかみ締め険しい表情をする。
「だめだよ、そんなの」
怪我をさせれば自分達だけじゃなく部に迷惑をかけるかもしれない。
「担任としても、それは願い下げだな」
鵜杉が勘弁してくれとばかりに軽く手を振った。
「大丈夫だよ。もう何もないはずだ」
祐貴は俊介の手を押さえた。
なんでもネタにするつもりらしい。だからといって、他に何がある?
思い巡らしても何も思いつかない。
「いいのか、お前はそれで」
俊介が憎憎しげな顔をした。
「うん。いいんだ」
祐貴は俊介に向かって言うと、鵜杉の方へ向いた。
「ご心配おかけしてすみません。僕は言われているようなことはしてなくて、でも、誤解されないようにこれからは気をつけます」
状況は同じなのに、先日は言えなかった言葉がすっと出た。鵜杉もどこまで信じてくれているのか分からない。それでも、たとえ、誰も信じてくれなかったとし
ても俊介は信じてくれる。それだけで十分だと思った。
自分でも不思議だと思う。
俊介が居てくれる。それだけで周りの空気も自分の気持ちも変わる。
鵜杉がため息をついた。
「その言葉をこの間、聞きたかったな」
「はい……」
祐貴は鵜杉の目から逃れるように視線を伏せた。
今自分の身に起きているのは喜ばしいことではない。けれど、祐貴は心の奥に温かいものを感じていた。