職員室には数人の教師がいて、コピー機がかしゃかしゃと無人で動いていた。
俊介は、祐貴が壁の表に記入しているのをぼんやりと見ていた。
記入といっても二つだけだから、直ぐだ。

「これで終わりだから」
祐貴が振り向く。
「ああ」
不思議だった。
なんでこいつが気になるんだろうと俊介は思った。
職員室を出て、ニ三歩歩いたところで、祐貴が立ち止まって後ろを向く。
「どうかしたのか?」
俊介も立ち止まって祐貴の後姿に声をかけた。
忘れものがあるとは思えないし、他にやらなければいけないことも思いつかない。
「あ、ううん。何でもない」
祐貴は直ぐに振り向くと頭を振った。
「何か気になることでもあるのか?」
なぜか気になる。
「なんでもないよ。帰ろう」
「あ、ああ」
「今日は彼女に怒られなくて済みそうだね」
祐貴が首を傾げながら小さく笑った。
「……別に、待ってなくていいのにな」
「会いたいんだよ」
ふっと祐貴の顔が真剣になった。
その顔に俊介はどくんと胸が弾んだ。
「僕に遠慮しなくていいからね」
まるで、先手のように祐貴は言った。

「今朝、何分の電車だった?」
帰り道、俊介は祐貴に問いかけた。
「たぶん、丁度のやつ。バスが早かったから」
祐貴がきょとんとするように答える。
「え、どこいらへんにいた?」
「後ろの階段からすぐのあたり……」
「え? 居たか?」
俊介は今朝のことを思い描いた。
今日いつもより早く家を出た。
祐貴が言った時間より早く駅に着いて、改札で待とうかと思いながらやめた。ホームで偶然を装ったほうがいいんじゃないかと、なんとなく思った。
注意深く見ていたつもりだし、電車の来る合間にホームを後ろから前まで歩いてもみた。
二本電車をやり過ごし、三本目に乗って学校に着いたとき、祐貴の下駄箱は上履きではなくて革靴が入っていた。
どこで見過ごしたのか、とずっと気になっていた。
「あ、うん。でも、すぐ来た電車に飛び乗ったから……」
祐貴の言葉が俊介には言い分けがましく聞こえた。

駅に着くと、改札で美樹が待っていた。
「どうしたんだよ」
いつもなら、アーケードの中にある本屋とか、ジューススタンドにいたりする。
「だって、朝先に行っちゃうなんて、どうしたんだろうと思って」
「あ、いや、ちょっと」
祐貴に聞こえたらマズイじゃないか、と俊介は思った。
「じゃあね、また明日」
ちょっと怯んだ隙に、祐貴が手を振って離れていく。
「あっ」
完全に出遅れていた。
今更追いかける理由はない。

「ねえ」
美樹がつついてくる。
「何だよ」
まだ祐貴と話したいことはあった。
「一体、彼は何者?」
「は? クラスメートだよ」
それだけだ。
「ただのクラスメートに、そんなにご執心なのは何か意味があんの?」
「なんだよ、ご執心って」
俊介は美樹を見やった。どきっとする言葉だった。
「だってさ。鏡でも見てみなよ。置いてきぼりを食ったみたいな情けない顔しちゃって、そんな顔見たの初めて」
美樹が呆れたような顔をする。
「……なんで俺が情けない顔なんかしなきゃなんないんだよ。帰るぞ」
一度も振り返らなかった祐貴の姿はもうすでに見えなくて、俊介はきびすを返した。
昨日から変だ、と思う。
それも、原因は絶対あいつだ。
「それにしても、すっごい突然だよね。昨日何かあったの?」
追いかけてきた美樹が聞いてくる。
「別に」
取り立てて言うことは何もない。
強いて言えば、あまりのお人よしに見ていられなくなったということか。
勉強ができるだけのやつだと思っていた印象とはだいぶ違った。

いつものように家に帰ってきて、いつものように美樹が後ろについてきた。
玄関で「ただいま」と声をかけた俊介とは違い、美樹は「おばさん、こんにちは」と言いながら居間の方へ行った。
何かを調達しに行ったのだろうと気にはしなかった。
いつものことだ。
休みの日は一緒に料理なんかしていて、母親とは仲がいい。
少しすると、トレーに飲み物とお菓子を載せて、美樹が部屋に入ってきた。

ローテーブルにトレーを置くと、グラスを渡してくる。
「サンキュ」
この生活に疑問を持ったことは無かった。
でも、今は、美樹を見れずにいた。

「そうだっ」
俊介が顔を上げると、美樹がグラスを持ったまま、驚いた顔をした。
「何?」
「明日から帰り待ってなくていいよ」
俊介が言うと、美樹が怪訝そうな顔をする。
「なんで?」
「この間、言ってただろ。バスケ部の話」
「あ、うん」
バスケ部のしつこい勧誘の話はしていた。
「昨日は無理やり体育館へ連れていかれたんだよ」
三人がかりでやってきて、面倒だったから、とりあえず体育館へ行くだけ行った。
「しばらく帰りは、分からないからさ」
「でも、部活はやらないんでしょ?」
「そのつもりだけど。今回はホントしつこくて……」
有望な一年がいないのは大きいらしい。
「そう。分かった……」
美樹が少し寂しそうな顔をした。
「……その代わり、じゃないけど、週末には見たいって言ってた映画見に行こう」
苦手な恋愛もので、できればパスしたかったけれど。
「ホント?」
「ああ」
少し引け目を感じていた。
別に浮気をしているわけじゃなくて、彼女がいるからといって友達関係を全部清算することはないだろうと思う。
けれど、祐貴には友達としてではなく惹かれるものがあった。
美樹が言っていた。
女だったら――というのは、あながち間違っていないかもしれないと俊介は思った。

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