「はぁ……」
教室を出て、二、三歩歩いて、祐貴はため息をついた。
入学時のクラスは違っていたけれど俊介の名前は知っていた。顔も知っていた。背が高くて頭が一つ出る感じだから目立っていた。顔もよくて、スポーツ万能
で、高校一年の春の球技大会でクラスを優勝に導き、きっとあの時すでに俊介は全校生徒に知られる存在になっただろうと思う。
バスケット、ハンドボール、バレーボールの全競技にでていた。
あの時はただ見ているだけの遠い存在だった。
クラスが同じになっても接点はなくて、やっぱり見ているだけの存在だった、はずだった。
教室に入ってきたことは分かっていた。
そのまま、鞄を持って出ていくのだろうと思っていたのに、近づいてくるなんて予想外だった。思わず顔を上げると、目があってしまった。
何か用? ―――― そんな言葉じゃなくて他にもっと言葉があるんじゃないのかと今思っても後の祭りだ。
呆れた顔をしていた。
当たり前だ。
自分でも呆れていた。
職員室に入ると、一年の時担任だった宮崎先生がコピーをしていた。
「おう、井上」
祐貴に気がついて声をかけてくる。
「はい」
祐貴は軽く頭を下げた。
体育教師である宮崎先生は刈り上げている頭とあいまって怖いイメージがある。最初は近づき難いと思っていたが、半年もすると慣れていた。
「ちょっと、残りやっといてくれないか?」
宮崎先生はコピー機を指差す。
「あ……はい……」
こんなことはしょっちゅうだった。
一度通りがかったとき、コピー紙が詰まってスムーズにできなくて、いらいらした様子で時計を気にしていたから、「手伝います」と声をかけたのが最初だっ
た。
「全校生徒分だから」
宮崎先生が今度はコピー機のカウンターを指差した。
そして。
「できたら机の上に置いておいてくれ」
そう付け加えた。
「あ、はい」
なんだ、と思った。
コピーを走らせるだけなら、すぐに終わる。
「原稿がもう一枚あるから」
宮崎先生はコピー機のポケットを指した。
「え、あ、はい」
やっぱり、と思った。
「両面コピーでな。じゃあ、よろしく」
宮崎先生は手を上げて、背を向ける。
「……はい」
祐貴は仕方なく背中へ向かって挨拶した。
両面コピーもただ流すだけといえばそうだけれど、年季が入ったコピー機だからか詰まる確立が高くなる。
経費削減とはいうけれど、どこまで経費が削減できるのは謎だと思った。
一枚目の原稿は機嫌よくコピーしてくれるらしく、コピー機は爽快な音をたてている。
祐貴が日誌を机の上に置くと、向かいに座っていた先生が顔をあげた。
「後でいいから、これもやってくれる?」
ぴらっと一枚B5サイズの紙をひらめかせる。
「あ、はい」
断る理由は無かった。
「50枚ね」
「はい」
それならお安い御用だ。
予想通り裏面は詰まることが多くて、コピー機の指示通りに詰まった紙を取っていくけれど、それは使えないものが多く、宮崎先生がセットしていた枚数よりも
少し多めに表をコピーしておいた分を使ってぎりぎりだった。
その後で頼まれた分もコピーして教室へ帰ると、誰もいないだろうと思った教室に、一人だけ、窓から入ってくる夕日を頬で反射させて、難しそうな顔をして席
に座っているやつがいた。
それも、座っていたのはそいつの席じゃなくて自分の席だった。
その上。
「何してたんだよ」
そいつが文句を言ってくる。
「え、日誌を職員室へ持っていっただけだよ」
教室を出る時は、そのつもりだった。
だいたい文句を言われる筋合いはない。
「どこの職員室だよ」
「え、下の」
ここは三階で職員室は一階にあった。
「行って帰って五分あれば十分だろ。どうやっていったら、こんなに時間かかるんだよ」
突っかかってくる。
「……別にいいだろ」
なんで突っかかってくるのか分からなかった。
それに。
――なんで僕の席に座ってるわけ?
後は帰るだけだから席にもう用はなくて、祐貴は脇にかけていた鞄を取った。机の中に忘れものがあるか確かめたかったけれど、どいてとは言いづらくて大事な
プリントがある記憶はないから、机の上に出しっぱなしになっていた筆箱だけをしまうと、かばんを閉じた。
「じゃあね」
一応声はかけた。
「待てよ」
腕を捕まえられて、俊介が立ち上がる。思わず、見上げてしまった。
「俺は待ってたんだぞ」
――は?
待ってもらう理由はない。
「……そんなこと頼んでないよ」
「頼まれなきゃ、待ってちゃだめなのか?」
「そんなことはないけど……」
昨日どころか、ついさっきまでまともに話をしたこともないやつだった。
「一人でさっさと帰ることはないだろ」
まあ、一応クラスメイトだった。
「じゃあ、帰ろう」
掴んだ手は離してくれそうにない。
振り切ってまでしてすぐ帰らなければいけないわけでもない。
「ああ」
俊介はあっさりと腕を離した。
なんだかんだで帰りは一人のことが多いから、誰かと並んで歩くことが祐貴はなんだか不思議だった。
「お前、家どこ?」
俊介が聞いてくる。
「桜ヶ丘」
最寄駅だった。そこからバスに十分ほど乗る。
「え、駅同じじゃん」
俊介が驚いた顔をする。
「うん」
祐貴は知っていた。何度も駅で見たことがある。頭一つでているからぱっと見ですぐ分かる。
「会ったことないよな」
「そうだね」
一方的に見たことがあるだけだった。
「なんだ、そうなんだ」
俊介が一人納得したように言う。
「小学校とか中学校とか同じじゃないよな?」
怪訝そうに聞いてきた。
「うん、きっとね。僕はそこからバスだから」
はっきりと出身校を聞いたわけではないけれど、俊介ならいたら知っているはずだ。
色々な意味で目立たないわけがない。
「朝、何分の電車?」
聞かれて。
「……だいたい、三分から十五分だけど。バスの時間によるから、はっきりはしない」
なんでこんなことを聞いてくるんだろうと思いながら、祐貴は適当な時間を答えた。
バスによる。だからはっきりしないのは事実だった。
たわいもない世間話をしながら、駅に着いたら電車に乗って、同じ駅に降りて、改札を抜けて、これでさよならだと祐貴は思った。
けれど。
「俊介っ」
突然、声が聞こえてきて、祐貴は声の方へ顔を向けた。見たことがある女子高の制服を着た子が立っていた。
「美樹」
上から俊介の声がした。
「遅い!」
美樹と言われた彼女が不満げに言う。栗色の髪が肩先でくるんとしていて、大きな瞳が印象的だった。
「え、何かあったっけ?」
俊介が不思議そうに言った。
「もうすぐ帰ってくるかなって思って待ってたのに、なかなか帰ってこないんだもの」
美樹は不満げだった。
「待ってなくていいのに」
――あれ?
どっかで聞いたような会話だと祐貴は思った。
「心配だから。目離すとすぐ女の子の囲まれてるんだもん」
美樹が口を尖らす。
「それ、言い過ぎだから。お前が思うほど、俺はもてないよ」
俊介が釘を刺す。
祐貴のことは無視して二人で話が進んでいるようだった。
このまま帰っていいかなと思いながらも何か一言かけた方がいいのだろうかと思い、祐貴は二人を見やった。
どう見ても恋人同士だと思う。それもお似合いな。
――居ても邪魔になるだけだよなあ
そう思って、祐貴が離れようとすると。
「待てよ」
また、呼び止められた。
「友達?」
美樹が俊介に聞く。
難しい問いだよなあ、と祐貴は思ったのに。
「ああ、そう」
何の躊躇いもなく、俊介は答えた。