moon over (オレンジ色の月)
放課後。
校庭からはいつも変わらない運動部の掛け声が聞こえていた。廊下は時折走っていくやつがいる。
「まったく……」
吉沢俊介は教室の入り口の片手をかけ、後ろを見ながらぼそっと呟いた。
うるさい部活の勧誘から逃げてきたところだった。
毎日飽きずに来る勧誘を断わり続けて一週間以上が過ぎた。とにかく一度だけでいいから見学に来いと言われて、半ば無理矢理に体育館へ連れて行かれ、隙を見
て逃げ出してきたところだった。
中学時代三年間バスケットを続けていて、部長なんてものも任されたりもした。
去年の入学当初も煩く付きまとわれた。それはなんとか乗り切ったのに、今年の新入生に期待できるやつがいないらしい。そこで、望みもしない白羽の矢が立っ
たらしい。
さすがに追ってはこないらしいと、教室へ入ろうとして俊介は足が止まった。
帰るやつはもう帰り、部活へ行くやつは部活へ行った後の時間なんて教室に居るやつはいない、というか、いなかった一年の時は。
たまたま居たとしても、数人で円陣を組み雑談しているくらいだった。
雑談するにしても、売店で何か食いながらとか、コンビニで雑誌めくりながら、なんてことが多いから、教室なんてさっさと出て行くものだった。
なのに、窓側の席に一人座り、かりかりと何か書いているやつがいる。
それは、酷く珍しい光景だった。
勉強なら、塾に行くとか、家に帰るとか、ざわざわしている学校ですることなんてないだろうに、と思う。せめて図書室へ行くんじゃないか? と思った。
なんとなく俊介が近づくと、そいつが顔をあげた。
あれ、と俊介は思った。
こいつこんなきれいな顔立ちしてたんだ、と思い見とれてしまった。
目の前にいる井上祐貴は、ちょっとした有名人だった。
頭の良さは抜群で教師に一目置かれている。全国模試では学内ではぶっ飛びの一位で、全国でも二桁で、なんでこんなやつがここにいるんだと言われていたりす
る。
一年の時はクラスが違い、遠くからしか見たことはなかった。
二年になってからも接点はなかった。そんなやつがいるんだ、くらいの認識だった。
「何か用?」
祐貴が怪訝そうな顔をして訊いてくる。
優等生には用がなけりゃ近づいちゃいけないのかよ、と毒づきたかったが、机の上のものに目が止まった。
「何、やってんの?」
レポート用紙に、きれいに数式が並んでいる。こんな宿題あったけ? と俊介は思った。
「今日の授業、まとめてるだけだよ」
祐貴はなんでそんなこと訊いてくるんだ、という顔をする。
「なんで、レポート用紙なわけ?」
レポート用紙なんてのは、課題の提出用にしか思っていなかった。
「別に、吉沢には関係ないだろ」
ふいっと下を向くと、祐貴は続けて数式を書いていく。
そりゃ確かにそうだと思いながら、他にも気になるものがあった。
「週番って、お前だったっけ?」
数学の教科書の下に週番日誌があった。
「酒井だよ」
平然と答える。
「なんで、お前が日誌持ってんの?」
素朴な疑問だった。
「頼まれたから」
手を進めながら祐貴は答えた。
「は?」
俊介の疑問をよそに、祐貴はかりかりとシャーペンを進めていく。その様子を俊介はぼんやりと見ていた。
手が止まった、と思ったら祐貴がふいに見上げてきて、俊介はどきっとした。
目が大きいわけでもなくくっきりとした二重というわけでもない。けれど、優しげなバランスよく整った顔立ちには惹かれるものがあった。
天はニ物を与えずなんてことわざがあるけれど、こいつは確実に二つを手にしていると思った。
「これが、欲しいわけ?」
祐貴は数枚のレポート用紙を重ねて、ひらひらと振る。
「は?」
「欲しかったら、星野に言って。二つ作るのは面倒だから」
「はぁ? どういうことだよ」
そのレポート用紙が何かもよく分からない。なんで今日のまとめをレポート用紙にまとめているんだか。そして、なんで星野がでてくるんだ?
「分からなければ、いいよ」
顔を背けるように立ち上がると、祐貴は俊介の脇を抜けていった。
星野の机の中にレポート用紙を放り込み、戻ってくると週番日誌を机の上から取り上げた。
「それじゃあ、さようなら」
首を少し傾げ、祐貴は日誌を手に教室を出て行った。
「はあ?」
何なんだと、思った。
自分の当番でもない週番日誌を返しに行き、他人のために授業をまとめていた、らしい。
ふと興味が湧いて、俊介は星野の机まで行くと祐貴が中に放り込んだレポート用紙を取り出した。
紙の上には女が書いたと思えるようなきれいで丁寧な字が並んでいた。
ちらっと見るだけのつもりだったのに、一文字ずつ追っていた。
「へぇ――――」
授業中になんでそうなるんだよ、と思ったことがすっと理解できる。さすがだな、と素直に思った。正直このままもらっていきたい、とさえ俊介は思った。
欲しかったら星野に言え、と祐貴は言った。
「なんで、星野なんだよ……」
ぼやきがでた。
あいつがやったわけでもないのに、くれと言わなきゃいけないわけだ。
俊介は祐貴が出ていった教室のドアに視線を向けた。今まで遠い存在だったやつが、急に気になってきた。