朧月夜


窓から見える月は霞んで寂しげに見えた。
「何見てる? 」
 シャワーを浴びにいった柴崎が戻ってきて、ベッドに手をついて窓の外を見上げる。
「別に」
 月を見上げたまま彬は答えた。
 ただ所在なく視線を彷徨わせた先に月があって、視線が止まってしまっただけのことだった。
 高校時代先輩だった柴崎と同居を始めて約一年が経っていた。

「後悔してるのか? 」
 柴崎は視線を伏せるようにベッドの縁へ腰掛けると、持ってきたペットボトルのキャップをあけて一口飲んだ。
「なんで、そう思うの? 」
 彬が柴崎へ視線を向けると、柴崎はペットボトルを手に持ったまま顔を伏せていた。
「そんな顔してる」
 顔を伏せたまま柴崎が答えた。
 好きだと何回も言ったのに、それを分かってくれていると思うのに、時に柴崎は酷く弱気になる。初めて体を繋いだときは無理矢理だった。嫌だと言っても離 してくれなかった。それは柴崎には忘れられないことだと思う。
「後悔……してるかも」
 彬が呟くように言うと、柴崎は喉をごくりと鳴らした。柴崎が顔を伏せたまま体を強張らせているのが伝わってくる。
 そのまましばらく沈黙が続いた。

「ねえ、僕にはくれないの? 」
 彬が声をかけると、柴崎がはっとしたように顔をあげた。
「ごめん……」
 小さく呟くと、柴崎は手を伸ばしてペットボトルを彬へ差し出す。そのペットボトルを彬は受け取らなかった。
「彬? 」
 柴崎が振り向いて彬を見る。不安そうな顔が無表情を装うとして引きつっていた。それは、さっき見ていた朧月のように寂しそうに見えた。

「そのままじゃやだな」
 彬が言うと、柴崎が怪訝そうな顔をする。
「飲ませてよ」
 彬はベッドに手をつき上半身を起こした。
「これを? 」
 柴崎が怪訝そうに、彬とペットボトルを交互に見る。
「うん」
 彬は頷いた。
「自分で飲んだ方が飲みやすいだろ? 」
 喉が乾いているなら、その通りだけど――――。
「嫌? 」
 彬は柴崎に向かい顔をのぞきこんだ。
「いや、嫌とかじゃなくて……」
 柴崎が彬の視線から逃れるように顔を背ける。
「なら、いいでしょ」
 彬は柴崎の頬へ手をかけると自分の方へ向けた。
「あ、ああ」
 柴崎が視線を伏せて答える。そして、視線をあげて彬を見ると、ペットボトルを彬の口元へ持ってきた。
「違うよ」
 彬は柴崎から離れると首を振った。
 ただ、その寂しげな顔を変えたかった。
「え、でも、お前――――」
「手じゃ、嫌だ」
「じゃあ――――」
「飲ませてって言ったら、決まってるだろ」
 少し拗ねた顔をした。思っていることすべて分かって欲しい。そうしたら、そんな不安な顔にはならないだろうと思う。

 少しためらったように、けれど、柴崎はペットボトルの中身を少し口に含み、ペットボトルを脇にテーブルへ置くと、彬に覆い被さった。
 唇が塞がれて、舌で少しこじ開けられるようにされると、口の中に甘みが広がった。少し零れてしまったものがあごを伝って落ちていくのが分かったけれど、 彬は注がれたものを飲み下すと、柴崎の頭へ腕を回して抱き込んだ。離れていこうとする柴崎を押さえ込んで反対に舌を滑りこませると口内を探るように撫で た。
「ん……あき……」
 それでも、離れようとする柴崎を彬は抱え込んだ。舌を絡めようとするとまた柴崎は逃げて彬に逆らうように顔をあげる。柴崎が本気になったら力では敵わな い。そんなことは知っていた。
「嫌? 」
 彬は柴崎を見上げて訊いた。
「嫌じゃないよ」
 柴崎が視線を逸らす。
「じゃあ、なんで? 」
 彬の問いかけに柴崎の答えはなかった。けれど、ゆっくりと視線を戻した柴崎と彬はしばらく見つめあっていた。

「ねえ、キスして」
 焦れた彬が声をかけた。
「シャワー浴びてこいよ」
 優しい声で言う柴崎の答えは彬が望むものではなかった。
「キスしてくれたら」
 その答えに納得できなくて、彬は柴崎の首へ腕を回した。
「……キスだけじゃすまなくなるだろ」
 柴崎の手が髪を梳く。
「いいよ」
 そんなことは分かって彬は言っていた。
「だめだよ、彬。頼むから……」
 柴崎の顔が歪む。
「触れるだけでいいよ……」
 彬の口からでたのは妥協した言葉だった。柴崎を苦しめたいわけじゃなかった。
 ゆっくり近づいてそっと触れてきた唇はすぐに離れていく。
「好きだよ、本当に」
 呟いた彬に、柴崎は小さく笑った。
「早く、シャワー浴びてこいよ」
 くしゃっと髪を撫でる。
 離れたくないと思ってもそうはいかない。
「ん」
 彬は頷くとベッドを降りた。
「後悔してるのは、シャワーを浴びに行こうって言われた時一緒に行かなかったことだよ」
 背中を向けたまま、彬は口にした。
 まだ余韻に浸っていたかった。だから後にすると言った。けれど、無くなったぬくもりにすぐ後悔していた。見上げた空の寂しげな朧月は自分と重なった。
 辺りの空気が緩んだのを彬は背中で感じた。
「次は、引っ張ってでも連れていってよ」
 捨て台詞のように言うと、彬はベッドを離れた。

Fin.


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