『ごめん。会えない』
彬が短い返信を携帯で送り顔をあげると、無表情な視線にぶつかった。
わざと感情を押し殺しているんだろうと思える表情が却って、怖く思う。
「この間会って、断ってきたんだろ?」
声さえも、淡々と抑揚がない。
「うん。今のは友達」
彬が言うと、急に表情が緩む。そして、柴崎は気まずそうに顔をふせ、頭をがしがしとかいた。
夏休みに柴崎と会った後、柴崎が戻るときに彬も一緒に戻った。
新しい部屋を探すまでの間と、前と同じく彬の部屋に同居していた。柴崎の部屋の方がエアコンもあるし学校にも近いし便利だからと彬は言ったけれど、「お前
のトコの方がいいよ」と柴崎は譲らなかった。
その頑固さにちょっと切なくなる。ずっと不安を持ち続けているんだろう、と言った柴崎の言葉が重なる。
合コンで知り合った佳代は週に一度くらいのメールをよこしてきた。試験だ帰省だと会えない理由をあげていたけれど、いつまでもこのままではいけないと、一
度会い、そして断った。
「夏休みに親元へ帰ったとき、前からの知り合いと会って、付き合うことになったんだ」
もう会えないし、メールもしないでくれと言った彬は、佳代にそう理由を告げた。
「前から、好きだったとか?」
「うん。たぶん」
認めることを怖がっていたのかもしれない。思いもよらないところから突然弾けた気持ちは抑える余裕を与えてくれなかった。
「遠距離なんだ」
「まあ、ね」
はっきり周囲には告げられない関係ではあるから、特定されるようなことは言えない。
「わかんないじゃん。ちょっと遊ぶくらい」
「だめなんだ。お目付け役がいるから」
携帯の着信にすごく敏感になっている。言葉で文句を言うわけではなく気配で感じる。
「同居してる先輩って人?」
「うん」
「まさか、相手がその人の妹とか?」
「うん。まあ」
答えは濁した。嘘はできるだけつきたくない。同居している先輩と近い存在であることは確かだ、とても。幸いというのか、柴崎には妹がいるという。兄と妹の
三人兄妹だといっていた。
「だから、もう会えないし、メールもだめなんだ。ごめん」
謝った彬に「真面目なんだね」呟くように佳代は言った。
それでも、佳代から会いたいとメールが来た。
夕
食の後、壁にもたれるように、お互いにもたれるようにしながら話をしていた。目の前のテーブルには氷をのせたコーラのグラスを置いていた。部屋の暑さを示
すように、グラスも汗をかいている。
回る扇風機は生暖かい空気をかき混ぜ
るだけで、身体の周りはむっとした空気がまとわりつく。触れ合うところはじっとり汗ばむ。それでも、時折窓から入ってくる涼しい風に一息ついて、触れ合う
ことに安堵を抱いた。
震える携帯を取って着信を確認した時、彬はベッドの縁へ移動した。だから、柴崎には相手が誰か分かったのだろう。
嘘は言っていない。もう、付き合えないことは伝えた。だから友達だ。
きっと佳代に話したことは宮下あたりにも伝わるだろう。遠距離の彼女がいる。そうなれば、色々と都合はいい。合コンを断る理由にもなる。
あまりに気にするから、自分は女の子を好きになったことはないと柴崎に話した。それでも、先のことは分からないだろ、と柴崎は言う。
縛らないようにしてくれるのは、見て感じ取れる。さっきの無表情もそのひとつ。合コンも断ることはない、と言ってくれた。友達づきあいだろ、と。
気にするくせに。
それが分かるから、よっぽど断れない限りは行けないと彬は思う。
「これから、少しはゆっくりできる? 」
柴崎の隣に腰を下ろして横顔をうかがう。
「そんなわけにはいかないよ。結果は出て。まだまだだって分かったんだから」
今日行われた地方大会の結果は決勝で僅差の二着だった。柴崎の方が早かったと、そう思ったのに相手の方が先着という結果だった。
「足は先だったよ」
そう見えた。
「だから、次は絶対勝てるよ」
本当にそう思う。
「結果は結果だ。一緒に走ってたやつはもっと先に行ってる」
柴崎が天を仰ぐ。
「すごく、きれいだった」
矢野と一緒に予選からずっと見ていた。スタートがかかればすぐに終わってしまう。その一瞬をずっと追っていた。
柴崎の緩んだ口元がこめかみに触れる。
「すごく、かっこよかったよ」
腕が肩に回される。
「あんまり言うなよ。安心しちゃうから」
まるで文句のように口にする。
「納得できる走りができれば、いいじゃん」
タイムなんかより、結果なんかより。
「そんなコトを言ってくれるのはやっぱりお前だけだ」
回された腕に引き寄せられる。
残念だったと思う気持ちが欠片もなかったと言えば嘘になる。もう少しだったのに、と結果を知ったときに思ったのは確かだ。
『上出来だよ』
そう言ったコーチの顔に、声に、
『まあまあいい結果だったんじゃない』
そう言った仲間の顔に、声に、
はっきり残念だったと書いてあった。
矢野でさえ、『もうちょっとだったのにな』と悔しそうな顔を見せた。
控え室に戻ってから、視線を上げることがなかった柴崎はそれをどう思っていたのだろう、と思った。
プレッシャーを与える人は沢山いる。だから、
『すごいね』
彬はそう言った。本当にそう思った。一年以上ブランクがあって、その後、二ヶ月ほどの練習をつんだだけだ。それで、以前のベストまで戻したんだから。
走る姿はきれいで、見入ってしまった。
「好きだよ」
柴崎が耳元で囁く。
身体がふるっと震えた。ほんの少し息がかかっただけでも、張り巡らされた神経は見逃さない。言葉は身体を余計に敏感にさせる。
「疲れてるでしょ?」
先回りしたつもりだった。
「早く休んだ方がいいよ」
促すように言葉を続けた。
「一緒にな」
言葉を繋げたように言うと、柴崎は立ち上がって彬の手を引いた。
「あ、グラス片付けてくるよ」
手を振り解こうとしたのに、余計に強く握られた。振った腕がテーブルにあたって、かたっと小さく震えたテーブルがグラスの中の氷を揺らした。カチャリ、と
擦れ合うような小さな音をたてる。
「いいよ、後で飲むから」
目尻にキスを落とされる。それじゃあ、休むんじゃないじゃないか、と文句は心の中で呟いた。抵抗しても結局は流される。ただの時間の無駄になってしまう。
早く休ませてあげたいと思うなら、素直に受け入れてしまうのが良いんだ。
扇風機の向きだけ変えて、ベッドへ押し倒された。
「ま、窓……」
「いいよ、俺が全部もらってやる」
そう言って、柴崎は唇を塞いでくる。
「ん……」
彬は腕を柴崎の首へ回した。重なりあってかかる重さを愛しく思う。感じる高ぶりに、愛しさは増す。
「好き」
ふと唇が離れたすきに彬は言葉にした。
「俺も」
ちゃんと返してくれた言葉が嬉しかった。
少しづつ心が重なりあってくる。ためらいがちに、柴崎は彬の心に重ねてくる。
ゆっくりでいいよ――――言葉にはしないけれど、彬は心の中でそう呟く。『俺は』が『俺も』になった。そうやって、少しづつ変わっていくんだ、きっと。
そのうち、『合コンなんか行くなよ』って言うかもしれない。
強制されるのは嫌だけれど、思うことなら言って欲しい。
探るだけじゃ分からないこともあるだろうから。
強がって見えるのも、気にしているのが分かるのも、切なくなるから。
言わないことには答えられない。ちゃんと言葉にして自分の気持ちを伝えたい。
かちゃり。
氷が音をたてる。暑さで溶けた氷は互いをささえられなくなって、グラスの底へ落ちていく。
グラスの中身はなかった。柴崎は言った通り、全てを飲み干して、そして、横になった途端、眠りに落ちていた。
「やっぱり、疲れてるんじゃん」
寝顔を見ながら彬は呟いた。
額から汗が噴き出していて、それが顔の輪郭を伝うように落ちていく。身体も、背筋から浮いた汗が筋を作って流れていく。よく寝られるな、と思う。それだけ
疲れは溜まっているのだろう。
ここ一週間はさすがに、抱くことがなかった。だからと思ったのだろう。まるで、抱いてやらないと逃げていってしまうとでも思っているように感じる。そんな
ことないのに。
彬はそっとベッドから降りると、お湯を沸かしてタオルにお湯をしみ込ませた。
シャワーを浴びるのが良いけど、安らかな寝顔に起こすのはかわいそうだと思う。彬に柴崎を抱き上げるのは無理だ。明日は部活は無いと言っていたから、本人
次第で、寝たいだけ寝れば良い。
そっと額から汗を拭った。柴崎は全然気がつかずに、安らかな寝息をたてている。タオルを替えながら、丁寧に身体を拭っていった。そして、ふわっとタオル
ケットをかける。拭う前、汗で張り付いていた髪が、扇風機の風にあたってなびいていた。
さっきよりも、柴崎が心持気持ちよさそうな顔をしているような気がして、ほっと息をつく。彬は空いたグラスを持って流しへ置くと、そのままシャワーを浴び
に風呂場へ行った。手早く身体を流すとベッドへ戻る。早く柴崎の傍へ戻りたかった。
ベッドの縁へ腰かけ、柴崎の投げ出されたような手にそっと触れたら、まるで待っていたように握りこまれた。
起きたのかな、と思って顔をうかがうと、ゆっくりと目が開く。
「シャワー浴びる?」
やっぱり、その方が気持ちよいだろうと思う。
「いいよ。身体拭いてくれただろ?」
もう片方の手が頬に伸びてくる。
「気がついてたの?」
よく寝てると思っていたのに。
不服そうに彬が言うと、柴崎は目を細め、うれしそうに笑いながら「気持ちよかったから」と答えた。
両腕が伸びてきて、首に回される。
「正直、今は動きたくない」
腕の中に彬を抱き込み、耳元で囁く。
「いいよ。気がすむまで休めばいいよ」
「お前も」
「でも、くっつくと暑いよ」
すぐに身体は汗ばんでくる。肌をよせあっていたら、尚更。
「いいよ」
気だるそうに答えながらも、柴崎は身体を離してくれそうも無かった。
「ねえ、先輩の部屋へ行こう」
エアコンだってあるんだから、こんなに汗だくになることもない。
「そうだな。そうしようか」
まるで、初めてそんな案がでたように柴崎は答えた。散々言ったのに、そんなことは無いことにしたいらしい。
それでもいいや。文句は言わない。
「じゃあ、明日から」
気が変わらないうちに。
「いいよ。お前と一緒なら、どこでも」
「どこでも?」
「ああ、どこでも」
躊躇ない答えが返ってくる。
「じゃあ、新しい部屋、さっさと決めちゃうよ」
色々文句をつけたのは柴崎だった。ひとつの部屋に二人の荷物は入らなくて、不経済だし便利も悪いからと早く新しい部屋を決めてしまいたかったのに、日当た
りだの、駅からの距離だの、間取りだの、彬が探してきた広告にいちいち文句をつけた。
「ああ、いいよ」
即答だった。
今までの文句はいったい何だったんだ。
「何か、あったの?」
彬は急に心配になった。こんなに聞き分けがよくなったのはなぜなんだろう。
「特には。お前だって今日は一日一緒にいたろ。何かがあってもお前が知ってることだよ」
柴崎は穏やかな顔をしていた。それは、大会が終わって一安心したからかなとも思う。けれど。
「だって、急に、何でも良いなんて、おかしいよ。今まで散々文句言ってたのに」
「知りたい?」
柴崎は口元に薄い笑いを浮かべた。
「知りたい」
彬はまっすぐに柴崎を見た。
何か理由があるのなら、知りたい。自分の知らないところで変わってしまうのは嫌だ。不安になる。突然嫌われてしまうこともあるかもしれない。そんな不安を
今までは抱いたことは無かったのに、重なりあってくる気持ちがいつの間にか通りすぎてしまっていたら嫌だ、と思った。
「俺は、怖かった。この大会でトップを取れなかったら、お前に愛想つかされちゃうんじゃないかって」
「なんで、そんなコト」
考えもしなかった。
「だって、お前言ったろ。俺の成績に拘らないのは興味がなかったからだって」
「そう、だけど」
確かにそう言った。そうだと思っていた。
「なら、今のお前はどうなんだろうって不安になった。地方の大会でトップ取れないなんて、大したことないやつだって、離れていってしまうかもしれないと、
そう思ったら怖かった」
「そんなことないよ」
柴崎の言葉が苦しくて、顔を伏せた彬の額に柴崎は唇で触れる。
「ああ、お前は変わらなくて、以前のお前と同じで、俺の欲しい言葉をくれて、傍にいると安らぐ。それが分かったから、だから、もういいんだ」
抱き込む腕に力が加えられて、更に強く抱きしめられた。
「苦しい、よ」
胸が締め付けられる。
ふっと緩んだ腕は、それでも、身体を離してくれなかった。
「ずっと、傍にいてくれよ」
彬の額に頬を摺り寄せる。触れられたところから柴崎の思いが流れこんでくるような気がして、胸の奥にある心が包み込まれていくように感じた。
「うん」
気持ちを込めて言葉を返す。
必要とされていると感じる。そして、自分も同じことを感じてる。傍にいて欲しいと思っている。
明日も明後日も明々後日も明々々後日も、同じ思いを持っていたい。そして、持っていて欲しい。
――――そして、その先も。
Fin
最後までお付き合いありがとうございました。
『それは偶然だった』で書き始めたら、無理やりものになってしまい、話はどんどん転がっていって、こいつらどこへ行くんだ、と思いながらも、エンドマーク
をつけることができて良かったです。