――――なんで僕はここにいるのだろう
忘れるコトなんてできなくて、償いをさせるコトもできなくて、自分が辛くなっていくだけだ。
前期が終わるまでなんて、ここに居ることはない。親元へ帰れば、少なくとも、親が姉がいる。一人ではなくなる。
彬は流しに手をつきながら、そんなことをぼんやり考えていた。

「俺は、お前に触れてしまった」
柴崎の声が聞こえた。それに彬は答えなかった。彬の欲しい言葉ではなかったから。
「全てを拒絶しているお前には俺は触れないよ……彬であって彬じゃないから」
柴崎が続ける。少しだけ柴崎の気持ちが見えた。もう、自分への気持ちは無いんだ、と彬は思った。自分であって、自分じゃない。自分ですらそう感じる。以 前の自分なら決して口にはしなかった言葉を言い、態度を見せる。違和感を感じながらも止めることはできない。
「だけど、お前が以前のお前を見せたら、俺は触れない自信はない。もう、傷つける ことはしない。けれど、きっと、手は伸びてしまう。いや、伸ばしてしまった。触れてしまった。お前は、それを嫌だと言っただろ」
「いつっ?」
彬は叫んだ。柴崎に抱き込まれたとき、そんなコトは言っていないはずだ。
「言っただろ。最初に、触れるなって」
「じゃあ、こう言えばいいの? 触れるだけならいいよ」
彬は奥の部屋へ視線を向けた。
柴崎は、腕をベッドについて上半身を起こす。
彬はゆっくりベッドの縁までいくと、膝を落とした。
「触れるだけならいいよ」
柴崎を見上げて、もう一度言う。
「彬……」
「だから、僕を一人にしないで」
もう一人は嫌だ。冷たいベッドも、空気も。たとえ、今の自分に対する気持ちがなくても良い。ただ、ぬくもりがあれば良い。
「彬」
呼びながら柴崎の腕が伸びてきて、彬を抱く。そのまま、ベッドの上へ引き上げられて抱き込まれた。
腕に抱きこまれて、ほっとしている自分がいる。見上げた柴崎の瞳が切なげで、胸が苦しくなってきて、彬は目を閉じた。
ふっと唇に触れてくるものがあって、それは一旦離れた後、また、唇に触れてくる。柔らかい温かいものは、優しく唇を包んだ。また、離れてしまうのが嫌だと 思ったから、彬は腕を柴崎の首に回した。


気がつくと、周りは明るくなっていた。着替えずにそのまま寝てしまったらしい。電気の明かりではなく、太陽の光が部屋に入ってきている。目の前には、柴崎 の大きな背中があった。腕を回して抱きしめると、額を背中につけた。暖かい、ぬくもりが伝わってくる。キスをして、抱き込まれたまま、昨日は寝てしまっ た。すっといつの間にか意識がなくなっていた。
「彬?」
柴崎が身体を捩って、彬の方を向こうとした。
「いいよ、このまま寝てて。僕は今日出かけるから」
毎週日曜日は祖母の家へ行く。
きゅっと抱くと、腕を離してベッドの下へ降りた。柴崎がベッドの上で上半身を起こす。
「彬」
「何?」
柴崎の瞳が不安げに見えた。
「今日も……帰ってくるのは夜になるのか?」
不安げな声で訊く。
「ん、いつも通りだと思う」
夕食を祖母と一緒に食べて帰ってくるから。
机の上においていた携帯を見ると、着信ありの表示があった。マナーモードのままにしてあって、気がつかなかったようだ。必要ならまたかけてくるだろうと、 履歴も見ずにズボンのポケットに入れて、家を出た。

祖母の家には父が来ていた。そういえば、近いうちに来ると言っていたっけ、と思いだす。携帯に連絡を入れたら、出なかったと言われ、今朝見た着信は父から だったのか、と思った。
「話合おう」と言ったくせに、でてくるのは説得めいた言葉ばかりだった。せっかく受かったんだろ、諦めるのは早すぎるんじゃないか、受かったんだからやる 気になればできるだろ、今やめたら履歴書にも残るんだぞ、と。
彬が何か言おうとしても、言葉半ばに遮られ、返ってくるのは、押さえ込もうとする言葉だった。
「帰ってきてどうするんだ。今よりいいところへ受かる自信でもあるのか?」と訊かれ彬は言葉を失った。
確かに将来のことを考えれば、学校名は大事だろう。
途中で、見るに見かねたらしい祖母がかばってくれた。それでも、「どうしても、だめなのかい?」と訊いてくる。
子供の希望より、体面が大事なんだと思った。入学したら卒業するもの、ランクを落とすなど言語同断、ということらしい。
道を閉ざされた気がした。
最後まで分かったとは言わなかった彬に「もう一度よく考えてみろ」と父は言った。
けれど、反抗したとして、同じ結果が待っている気がする。
また説得される。父が言った言葉が覆るとは思えなかった。
父と最初話をした時と、今は少し状況が違う。一人でいることが嫌な自分がいる。
今は柴崎がいてくれる。けれど、それを強制はできなくて、既に気持ちがないというなら、いつまで付き合うつもりなのか分からない。去っていくならば、それ を追う気持ちはない。追いたくはない。
不安の種がまたひとつ増える。

玄関を開けてあれっ?と思った。いつもと靴が違う。
「ただいま」
声をかけて中へ入ると、部屋の入り口で足が止まった。
「あ、おかえり」
壁にもたれるようにして、本を読んでいるやつがいた。そいつの顔を見て、彬は言葉がでなかった。
「柴崎は、ちょっと具合が悪くって、今日は俺が代理」
暢気そうな声で言う。知ってるやつではある。矢野だ。
「代理?」
代理って何だよ。
「ホームシックだって? そんなの友達ができればすぐに治るよ。知った先輩だからって柴崎ばかりに頼らないで、同じ講義のやつとかと遊んだほうがいいぜ」
何も知らないくせに、知ったような口をきく。
「出て行ってよ」
彬は叫んでいた。
「おい、なんだよ、急に」
矢野は驚いた顔をする。
彬は矢野の傍まで行って、手を掴みあげた。
「ここは僕の家なんだから、出ていってくれよ」
手を引っ張りあげると、玄関の方へ引いた。
「え、何すんだよ。ちょっと待てよ」
「ここは僕の部屋だよ。誰もあんたに来てくれなんて言ってない」
近くにあった鞄も掴むと矢野を引っ張る。最初は引きずりだすなんて無理かもしれないと思ったけれど、不意をつかれたからなのか、矢野は引っ張られるように 後についてくる。
「え、待てって」
なだめるような矢野の言葉を彬は無視した。
玄関までくると、彬は振り返って鞄を押し付けるようにして、矢野を玄関側へ突き出した。
「おい、俺は柴崎に頼ま――――」
「僕は頼んでなんかいないし、ホームシックなんかじゃない。さっさと帰ってくれよ」
矢野の言葉を遮るように言うと、彬は矢野を睨みつけた。矢野はあっけにとられたような顔をしていた。そして、ため息をつくと「分かったよ」と呟いた。
「お前、そんなことじゃいつまで経っても馴染めないぞ」
不満げに続ける。
「余計なお世話だよ」
彬は言い捨てた。自分で望んでいることじゃない。けれど、口が身体が動いてしまう。今の状態が良いと思っているわけじゃない。けれど、何も知らないやつに 言われたくない。
矢野はもう一度ため息をつくと、部屋を出ていった。ドアがパタンと閉まる音とともに、部屋を静けさが包む。

「なんだよ」
彬はぼそっと呟いた。
欲しいのだろうと思ったから、欲望と遂げる手伝いをした。触れてしまうと言ったから、触れていいと言った。その結果はこれだ。
「なんだよ。具合が悪いって」
今朝までピンピンしてた。それほど具合が悪いというなら動けないはずだろう。どこかへ行けるはずはない。
「なにが、代理だよ」
いくら一人になりたくないと言ったからって、誰でも良いわけじゃない。

彬は鍵をしめて、電気を消すとベッドの上に転がった。何もする気がしなかった。
身体が冷えていくのを感じる。末端から中心に向かって、ゆっくりと。誰も味方はいなくて、ひとりぼっちで取り残された気がした。このまま冷えて固まってし まえばいいと、まで思う。生きていることさえ、無意味に思えてくる。

ぼんやりしていると、ズボンのポケットに入れたままだった携帯が震えた。
手に取って電源を消すと、床に落とした。父かもしれない、柴崎かもしれない。けれど、今、話す気にはなれない。
所詮、自分の気持ちなど分かってくれる人はいない。親でさえも。
まどろんでいると眠りに落ちそうになるところで、ふっと意識が戻る。眠ってしまいたい。そうすれば、少しの時間は全てを忘れられる。なのに、頭のどこかが 眠りに落ちることを拒否しているようだった。大きな背中が目の前にあれば、眠りに落ちることができるのに。欲しいときには自分の手から逃げていく。

インターホンが鳴った。もう夜も遅い。出るのも面倒だったから彬は無視した。ベッドから身体を起こすことさえ、嫌だと思う。動くことを身体が拒否する。
しばらく時間をおいて、もう一度インターホンが鳴った。
もしかすると、と思う。でも、また無視した。自分から出ていったやつだ。
今度はこつこつとドアをノックする音がした。
「彬、俺だよ。いるんだろ」
ドアの向こうから聞こえた声に、ああ、やっぱりと彬は思った。具合が悪いんじゃなかったけ、と意地悪な言葉を返したくなる。重りをつけたような気持ちが ふっと少しだけ軽くなった。ドアの向こうに柴崎がいる。それだけで、動いてしまう自分の気持ちが恨めしく思える。自分を置いて出ていったやつなのに。こん な自分にした原因をつくったやつなのに。
心の中は色々な気持ちが絡みあって、素直にドアを開けに行きたいとは思わなかった。
「開けるよ」
そう柴崎が言うと、かちゃかちゃという金属音が聞こえてきた。かちっという鍵が開かれた音がして、ノブがまわされる音がする。けれど、ドアはチェーンが伸 びた硬い音で止められた。
「彬? ――――彬?」
ドアの隙間から柴崎が呼ぶ。のんびりと小さかった声はせかせかした大きなものに変わっていく。
自分から出ていったくせに。見捨てたくせに。気持ちなんてもうないくせに。そう思うと彬の身体は動かなかった。
柴崎は何度か彬を呼んだ後、ドアを乱暴に閉めた。
怒っちゃったかな、と思う。それとも呆れたのかな。せっかく来てやったのに、無視するならもういいってトコか。
今のお前に気持ちはないと言われたようなものだから、見捨てられたとしても素直に受け入れられる。
完全に切れた、と思った。
どうするのかなこれから、と自分のコトを思う。本当に一人になってしまった。

眠りに落ちきれないまどろみの中で、外のざわつきが耳に入ってきた。時計をみると十時を過ぎている。
「いいんですか?」
突然声が飛び込んできた。ドアが開けられたらしい。
「俺が責任持つから」
柴崎の声がする。
怒って帰ったわけじゃないんだ、と思った。
「後で、文句言われたら嫌ですよ」
「分かってるよ。だから、早く」
「でもねえ」
躊躇っているような声が聞こえた。誰の声かは分からない。矢野、じゃない。
「責任は取るって言ってるだろ」
「じゃあ、切りますよ、チェーン。いいんですね」
――――え?
「だから、早くって言ってるだろ」
柴崎のいらいらしたような声が聞こえた。
「ちょっと待ってよ」
彬は叫んだ。
こんな夜遅くに何をするつもりなのか。仕方ない、と起き上がって部屋の入り口まで行く。ドアの隙間から柴崎と知らないやつが重なるように見えた。
「ほら、ただ寝てただけなんじゃないですか?」
勝ち誇ったように、知らないやつが言う。
「じゃあ、いいですね」
続けられた言葉に
「ああ」
柴崎は短く答えた。
「出張代はもらいますよ」
「いくら?」
「五千円になります」
告げられた金額に、高いんじゃないの? と彬は思った。
けれど、柴崎は文句も言わずに、財布から千円札を数枚出して差し出す。それを受け取ったやつは、「まいどっ」と言うと軽く頭を下げ工具が入っているらしい 鞄を持つと後ろを向いた。

彬の方を見た柴崎はほっとしたような顔をした。そして、そのままベッドに戻ろうと後ろを向いた彬に「彬、開けてくれよ」と言った。
自分から出て行ったくせに。そう思ったけれど、またこんな騒ぎをおこされたら面倒だから、ドアを一旦閉めるとチェーンを外した。そしてそのまま奥の部屋へ 戻り、ベッドに腰掛けた。電気が灯されていない部屋は、カーテンを通して入ってくる街頭の明かりがぼんやり照らしているだけに過ぎない。大きな家具が影の ように見えるだけだ。
かちゃっとドアが開く音がして、すぐにドアの閉まる音がした。


back | top | next

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!