「意味が分からない?」
俊が悪戯っぽい目をして、顔を覗き込んでくる。
「え……あ……」
応えに困ってしまった。もしかしたら、と思うことはある。けれど、それを口に出してしまうのはためらわれた。
ふいに俊が顔を上げて、入り口の方を見た。つられて、祐樹も視線向けた。
図書室へ入ってきた人がいて、中ほどまで来て書庫の中へ消えた。俊を見ると、ぼんやりとその人が消えたところを見ている。
「俊?」
呼びかけると、俊は祐樹に視線を戻した。
「いつでも、慰めてあげるよ」
口元を緩めて言うと、俊は席を立った。そして、そのまま俊は図書室を出て行った。
祐樹の心臓はいつもより速く鼓動していた。どくんどくんと体の中で響く。その音を聞きながら、俊の言葉が繰り返されていた。

――――慰めてあげるよ

どうやって?
思い浮かぶことは、優等生の俊には似つかわしくないことだった。



「そこはさあ、こうやった方が簡単に解けるよ」
俊がノートの端に走り書きをする。
「え、あ、ほんとだ」
自分が解いたものと比べてはるかに簡単に俊は問題を解いていく。
「こういうのは、知ってると知らないってだけで、差がでるんだよね」
確かに授業では教わっていない。
「塾とか? 」
他に思いつかなかった。
「先輩がね、教えてくれた。だけど、先輩が誰から教えてもらったのかは知らない」
「部活の?」
俊が何の部に入っているかは知らなかった。
「そう、地学部」
「地学?」
そんな部あったっけ、と祐樹は記憶を探った。
「文化祭ではプラネタリウムをやったり、化石を掘りに行ったり、まあ、派手なところじゃないね」
「そうなんだ」
文化祭でプラネタリウムは見に行った。天文部とかそういう名前だと思っていた。
「きれいだった、とても」
今、現実の空は真っ暗で星なんて見えない。だけど、小さなテントの中は星がたくさん輝いていた。
「まあ、使いまわしだけどね」
俊が笑う。
図書室で二人並んで今日出された数学の課題を解いていた。
慰めてやるよと言われた日から、よく図書室で会うようになった。今まで言葉を交わしたことさえ数えるほどだったのに、秘密を知られているということに親し みを感じた。
二人で課題を解いたり、本を読んだり、時には小声で話をしたり。
時々俊ははっとしたように入り口へ視線を向け、がっかりしたように視線を落とす。誰かを待っているのだとなんとなく思った。
ふっと視線を入り口へ向けた俊が、いつもとは違いかたっと椅子を鳴らすと席を立った。
「先輩」
そしてかけた声に、この人を待っていたんだと思った。
「珍しいな、友達と一緒なのは」
その人は優しそうな笑みを零し、俊の前に鞄を置くと椅子に腰掛けた。
「あ、そうかな……祐樹っていうんだ」
突然紹介されて、祐樹は軽く頭を下げた。
「今日は? 少し時間ある? あったら、この間の続きを教えて欲しい」
いつもの俊とは違う。声に甘えを感じた。
「ごめん、これから塾だから。この間の模試が意外に伸びなくて」
俊に答えたその人は小さなため息を零す。
「受験終わったら、みっちり教えてやるよ」
続けた言葉の後、口元を緩めた。
「あ、うん」
答えた俊の声に落胆を感じた。
「今日は、本を返しに来ただけ」
そう言うと、俊の先輩は鞄から本を二冊出してカウンターへ視線をやると、席を立って背を向けた。
見送る俊の顔が寂しげだと思った。
俊はこの人を好きなんだと訊かなくても分かった。
戻ってきた先輩が鞄を肩にかけ、「またな」と手をあげると、俊は笑顔を見せて頷いた。
背を向けた先輩が図書室を出て行くと、俊の表情が変わっていく、切なげに、悲しげに。
祐樹は声をかけることができなかった。
「先輩はノーマルなんだ」
図書室の入り口へ視線を向けたまま俊がぽつんと言った。
「そっか」
自分と同じなんだ、と祐樹は思った。好みの前に指向の壁がある。あれほど好意を見せてくれた圭輔でさえ、もう言葉を交わすことさえない。
友達でいることはできたはずだ。けれど、もう、それも今となっては叶わないことだ。
「だから」
俊が祐樹へ視線を向けた。
「お互い、悪いことじゃないだろ? 」
首を傾げる。
祐樹は答えられずに、顔を伏せた。
「そんなに、大げさに考えることないよ。ただ」
俊が耳元に顔を寄せる。
気持ちよくなるだけだよ――――そう囁いた。
温かい息が耳にかかって、祐樹はぴくっと体が跳ねた。

――――ただ気持ちよくなるだけ?
何のために? 苦しいから?
好きな人は自分の方を向いてはくれない。それは確かに苦しくて、逃げられるなら逃げたいと思うときはある。
同じ教室にいるとき、ふっと捕らえてしまった視線に目頭が熱くなる。
なぜなんだろう。なぜ、自分が男なのに同じ男である圭輔を好きになってしまったのだろう。なぜ、それを打ち明けてしまったのだろう。頭に浮かぶのは疑問と 後悔ばかりだ。
「でも」
好奇心がないわけじゃない。だけど、ためらう気持ちはある。
「ためらうのは最初だけだよ。それを越えてしまったら、あとは体が欲しがる」
体が?
「でも、俊は先輩が好きなんだろ? 」
祐樹は小さな声で呟いた。
好きな人は他にいて体だけを慰めあうなんて、虚しくないのだろうかと思う。
「言っただろ、先輩はノーマルだって。ちゃんと彼女だっている。望みなんて欠片もない」
最後はため息をつくように俊は言った。
誰だって体を重ねるならば好きな人と、そう思うはずだ。
「でも」
ためらいしかでてこない。
「別に、無理強いはしないさ」
俊は頭へ手を回し額をこつんとあわせると、
「その気になったら、いつでも言えよ」
そう言って祐樹を放した。
胸がとくんと弾む。
俊のことを嫌だとは思わなかった。自分にそんな声をかけてくれることさえ不思議に思う。
けれど、受け入れてしまうことを拒む気持ちを消すことはできなかった。


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