「祐樹」
突然声をかけられて、祐樹は顔をあげた。昼休みもあとわずかで終わるからか、今まで静かだった教室がざわざわしてきていた。
顔をあげた先には三浦が立っていた。
「何?」
祐樹は読んでいた本に栞をはさんで閉じた。
「お前、圭輔と喧嘩でもしたの?」
「別に、そんなことないけど……」
振られたなんて言えるわけがない。
「なんで?」
三浦に訊きかえした。
一週間が過ぎた。確かにあれから圭輔と話をしていない。だからといって、それを不自然だとは思わなかった。席も遠ければ、班分けでも同じグループのところ
はない。昼休みは校庭へバスケをしにいく圭輔とはもともと別行動だ。
放課後話をしたり、部活がない時には一緒に帰ったり、休みに会ったり、それは学校生活にはあまり支障はなかった。
「いや、なんとなく、一緒にいないな、と思って」
「そんなに一緒にいたっけ」
いたよな気もする。けれど、考えるとそれほどでもなかった。
「うーん」
三浦を宙を見上げた。
結局、そんなものだ。それほど、深い付き合いじゃなかった。
寂しさは感じる。胸の中にぽっかりと穴が空いてしまったような気もする。だからといって、どうしようという気にもならなかった、なれなかった。何もする気
にならなかった。現に開いていた本でさえ、無意味な文字の羅列に思えて頭に入ってこない。ここ数日で一ページも進んでいなかった。それを誰にも知られてい
ないのは幸いだと祐樹は思う。
「なんか、いつも一緒にいるような気がしてたんだけどな」
「そう? 朝も昼も別行動だし、放課後の部活がない時ぐらいだよ」
それすら今は一緒にいないけれど、理由なんていくらでも作れる。
「そうか、気のせいか」
納得できないような顔をして、それでも、三浦は自分の席へ戻っていった。ちょうど、授業開始のベルが鳴った。
あ、そうか、と祐樹は思った。
授業の合間のほんの短い休憩の時、いつも圭輔が来た。ほんの一言、二言会話をして、それはすぐに忘れてしまうような他愛もないことだったけれど、向かい
合っているだけで、良かった。
もう、あの頃には戻れない。壊したのは自分だった。
ガラス張りのドアから中を見ると、図書室に人は見えなかった。中へ入ると、カウンターに一人と、書庫の隠れて一人いた。そんなものだ。試験前になると大盛
況になる図書室の普段の姿だ。
窓側の一番端に座る。そこが、祐樹の定位置だった。すぐに家に帰る気にはなれなくて、自分の部屋では何もする気になれなくて、せめて宿題くらいは、学校で
やって帰ろうと思って放課後図書館へ来るようになった。誰もいないわけじゃない。けれど、気を使うほどじゃない。少しの緊張感を持てるちょうど良い場所
だった。
窓からは、校門へ続く道と、体育館が見えた。バスケ部に所属する圭輔は、あそこにいるんだと思うと、それだけで胸が熱くなる。忘れなきゃいけないと思って
も、そう簡単に忘れることはできなかった。
それでも、忘れなきゃいけない。
祐樹は鞄からプリントとレポート用紙を出して、机の上に広げた。
ふと前に人が立っているのが見えて、顔をあげると同じクラスの原島俊だった。
「最近、熱心だね」
軽く笑いながら、机を回ると俊は祐樹の隣に腰を下ろした。
「あ、そんなことはないけど」
クラス委員を務める俊は内進生で、涼しげな整った顔立ちを持ち成績は学年で三本の指に入った。
「圭輔と何かあったんだろ? 」
耳元で囁くように言う、その聞き方は三浦とは違っていた。すべてを見透かされているような気がした。
「何かって?」
下手なことが言えなくて、訊きかえした。それに応えるように、俊は笑った。笑う顔まできれいだと思った。
「圭輔のこと、好きだったんだろ?」
直球で訊かれて、祐樹は言葉を失った。言葉はなくても、顔で分かったのだろう。
「誰にも言わないよ」
俊は人差し指を口元へ持っていった。
自分の顔が情けなく崩れていくのが分かった。誰にも知られてはいけないと思っていた。なのに、すっと核心をつかれて体も心もくにゃっと崩れていきそうだっ
た。
「あいつ、男はだめだから」
「……うん」
はっきり、そんな趣味はないと言われた。
「もともとノーマルだったけど、あそこまで毛嫌いするのには、ちょっと責任感じるし」
「え?」
そんな風に言われるほど、嫌いだとは知らなかった。
「知らなかった? 俺のこともだけど、南のことも避けるだろ、あいつ」
「え、あ、知らなかった」
考えもしなかった。圭輔のことを誰とでも垣根をつくらないやつだと思っていた。
「うまいから、気づいているやつは少ないのかもな」
「そうなんだ」
と、言うことは、俊も南も同じ指向だということだ。
「意外だった?」
「え?」
「俺がゲイだってこと」
はっきり言われてどきっとした。
「ん……正直に言えば」
自分も同じだ。
「だから、分かったんだよ。祐樹は圭輔が好きなんだって」
そういうものなのだろうか、と思った。自分には他人のことを感じる余裕なんてなかった。自分のことだけで精一杯だった。圭輔のことしか考え
ていなかった。
祐樹は小さくため息をついた。
知られてしまったのに、ほっとしている自分がいる。仲間がいるのだと、初めて知った。相手が俊だからというのもあると思う。教師にはもとより、誰からでも
信頼されていた。入学当時、内進と外進でクラスが別れていた頃から、外進生からも一目置かれていた。誰にも言わないと言った言葉はきっと守ってくれるだろ
う。一
人で抱え込んでいたものが、ふっと少し軽くなったような気がした。
「良かった。知られたのが俊で」
それは本心だった。他の誰かだったら、今と同じ気持ちはもてないと思った、たとえ、南でも。
「俺、今はフリーだから、相手できるよ」
「え?」
俊の言葉の意味が祐樹には分からなかった。