またはない、と思った。なのに、目の前に圭輔が座っている。
祐樹が圭輔と初めて言葉を交わしてから一年が過ぎていた。

教室には、祐樹と圭輔の他に二、三人がいるくらいだった。部活へ行くやつは、部活へ行き、家へ帰るやつはもう帰った後だ。
机の上には圭輔が週末の撮影会で撮ったという写真が山になっていた。祐樹は一枚づつ見ていって、ある一枚で手が止まった。
紅葉を写したものは、楓の紅が鮮やかだった。
「やっぱ、それがいいと思う?」
「ん」
問いかけに即答していた。楓の葉が一枚だけは鮮やかなのに、後は紗がかかったように霞んでいた。太陽の光を巻き込んだコントラストがきれいだと思った。
かしゃっと聞こえた小さな音に、ああ、またかとため息を心の中で零した。
「じゃあ、それを出すわ」
「え、どれをどこに?」
「その、お前が手に持ってる写真を雑誌へ投稿しようかなって思うんだ」
安堵が背筋を降りていく。
まさか、自分を撮った写真をどうにかするわけじゃないだろうと思っても、もう何枚撮られたか枚数さえ分からない。
「今、撮ったやつは?」
祐樹の問いかけに、圭輔が怪訝そうな顔をした。
「撮っただろ」
気づいてないとでも思うのだろうか。小さな音なのに、あの機械音にはやけに敏感になった気がする。
「ばれた?」
圭輔がにやっと笑った。笑うと途端に優しい顔になる。その顔を見ると、もう文句が言えなくなった。胸がとくんと跳ねて、切なくなる。
「気にすんなよ。癖なんだから」
あっけらかんとした顔で圭輔は続けた。
どんな顔をしていたのかも分からない瞬間が、圭輔の手の中に残っている。そのことに、嬉しい気持ちもあった。少なくとも嫌なものは撮らないだろう。加えて 圭輔は人をあまり撮らない。
モデルを連れていった撮影会の写真なのに、山になっている写真の中でそのモデルが写っているものは数枚だった。前もそうだった。義理で撮るんだとそのとき は言っていたような記憶がある。その圭輔が自分を撮ってくれる。そのことに仄かな期待を持ってしまう自分がいた。けれど、その写真はメモリーが無くなれば 削除されてしまうそれだけの存在で、微妙な気持ちが揺れ動く。

祐樹は圭輔に友達以上の感情を持っていた。それは、いつからだったのかは分からない。文化祭の後、気軽に声をかけてくれるようになって、それに応えている うちに仲良くなった。最初は嫌な顔をしていた三浦や他の外進のやつと圭輔が衝突することもあった。けれど、今は、学年の中でクラスの連帯が一番良い。
見えない敷居に阻まれていたように思っていたのは、ただ思っていただけで実際には無かった。今はもうクラスの中で、内進だの外進だの言うことはない。それ は圭輔の力だ。この一年、惹かれていくことばかりだった。
優しい笑顔に、毅然とした態度に。
殴り合いになりそうになった時でさえ臆するところが無かった。
『あれは参ったよ』
後でそっとそう耳打ちされたとき、胸がきゅっと締め付けられた。何も言えなくて、背中へそっと手を回した。何もできない、気の利いた言葉のひとつもかけら れない自分が歯がゆい。でも、何かあった時、圭輔の味方になると、それだけは決めていた。

そして。
最近では生殺しにされているような気がする。
なんで、自分の写真なんかを撮りたがるんだろう。
どうして、そんな優しい笑顔を見せてくれるんだろう。
面倒なクラスのいざこざまで起こして、声をかけてくれようとしたのだろう。
時々、圭輔が笑いながら、好きだと言ってくれる夢を見て飛び起きる。けれど、実際にはそんな言葉は欠片もかけてくれない。
自分の気持ちばかりが膨れ上がっていくような気がしていた。

「じゃあな」
掛けられた声に顔を向けると、教室に残っていたやつらが鞄を手にしていた。
「ああ」
圭輔の声に手で応えると、教室を出ていく。
がらんとした教室に二人だけになってしまった。そのことに、祐樹は胸の鼓動が速くなっていった。
「でも、これも捨てがたいんだよな」
広げた写真の中から圭輔が一枚を取り上げた。
「どう思う?」
目の前に写真を差し出す。
「――――好きだよ」
出した声は掠れていた。
「だろ?」
差し出された写真と圭輔が頭の中で重なる。
「圭輔が……」
零れてしまった言葉に自分が驚いた。
「え?」
圭輔が怪訝そうな顔をしたまま、時が少し止まったようだった。圭輔は何か言葉を待っていたのかもしれない。けれど、祐樹は何も言うことができなかった。
ずっと言いたかった言葉だった。言おうと思っていたわけではないけれど、いい訳や誤魔化しはしたくなかった。
少しして、圭輔は手を頭へ持っていき、がしがしとかく。
廊下を話し声が通り過ぎて行った。
そして、また少し沈黙が流れた。
「冗談、だろ?」
うかがうように圭輔が顔を覗きこむ。嘘はつけなかった。
「冗談なんかじゃない。僕は圭輔が好きなんだ」
胸が熱くなって、圭輔が霞んでいく。
たぶん、しばらく、見詰め合っていた。霞む圭輔の視線はどこを向いているのか、はっきり分からなかったけれど、まっすぐ向かいあっていた。
「悪い、俺、その趣味はないんだ」
がたんと音をたてて圭輔は立ち上がると、机の上に広げられた写真を集めた。
「先に帰るわ」
束ねた写真を掴むと、圭輔は自分の席へ戻り、横にかけてあった鞄を掴むとそのまま教室を出て行った。
足音が遠くなっていく。
目の前には、今まで圭輔が座っていた椅子がそのまま背を横にして置かれていた。

何も言うことはなかったんだ。
そう頭の隅で非難する声がある。そうすれば、ずっと友達でいられた。
「ずっと黙ってなんかいられなかったよ」
祐樹はぼそっと呟いた。
振られたくせに、どこかほっとしている自分がいた。
もしかしたら――――そう思っているのは胸の中がざわざわとして落ち着かなかった。今は体に力が入らなくて立てないほど辛いけれど、気持ちは落ち着いてい る。
やっぱ、そうだよな。そう思える気持ちがあった。
男子校だからといっても、マイノリティには変わりない。
机にひじをつき、手の甲で目蓋を押さえるようにして目を閉じた。結果はでたのだから忘れなきゃいけないと思う。
「でも、本当に好きだったんだ」
口の中で呟いた。
大好きだった圭輔の笑顔が脳裏を過ぎっていった。


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