雅也がドアを閉めると向かいあうかたちになった。
「そういうことだ」
雅也はそう言うと卓巳の脇をすり抜け机に向かった。
「それで、雅也はいいの?」
背中へ問いかけた。そんなに簡単に諦められるほどのものだった?
「いいとか悪いとかの問題じゃない。しなきゃいけないんだよ」
鞄から教科書やノートを出す。
「僕は嫌だよ」
この一ヶ月我慢したのは、仲の良い兄弟に戻りたかったわけじゃない。
「お前が望むのは、小学校の頃の関係なんだろ? あの頃の卓巳が一番笑っていた。あの頃と同じになればいいんだろ? 」
雅也が後ろを向いたまま答える。
「それじゃもう満足できないよ」
キスも抱かれる心地よさも教えたのは雅也だ。
しばらく沈黙が流れた。
「俺にどうしろ、と言うんだ」
雅也が諦めたような声を出す。
卓巳は後ろから雅也の体に腕を回した。
「縛り付けられるのも、必要以上に干渉されるのも、関係がばれるのも嫌だけど、だけど、それ以上に雅也が欲しい」
反発する気持ちがある時もいつもどこかで求めていた。
「雅也が一番だって言ったよね」
ぎゅっと抱きしめるように首筋に顔を埋めると雅也の匂いがした。安心するずっと感じていたい匂いだった。
「俺を置いてキャンプに行くのに?」
雅也が訝しげな声を出す。
「断る理由がなかったんだよ。それを分かってくれない雅也にちょっと当たっちゃったけど。実際行ってみたら雅也がいなくて寂しかった」
だから、祥子を拒み切れなかったのかもしれない。
「俺が待ってるのに、友達と話をしてるんだろ?」
それは。
「変な勘ぐりをされたくないから。知られて白い目で見られるのは僕だけじゃない」
一人で生きているわけじゃないから。
「卓巳らしいな」
雅也がため息をつく。
「でも、それが、俺が好きな卓巳なんだよな」
雅也が手を握ってくる。
「雅也……」
卓巳も手を握り返した。
「今日……遊んでみたところで全然面白くなかった。卓巳の顔がちらついて、どうしてるか気になって、何を食べても飲んでも味なんて分からなかったし、話も
歌も右から左へ通りすぎて行った。俺にはお前しかいないんだなと思ったら、すごく情けなくなったよ」
雅也が大きく息をつく。
「なんで? 雅也は情けなくなんかないよ」
頼りになる。雅也に任せれば何でも大丈夫だと思う。
「諦めるのはいつでもできるんだよな……」
「諦めないでよ」
そんなのは嫌だ。
「傍にいてよ」
心も体も一番近いところに。
振り向いてきた雅也に卓巳は唇を重ねた。
知らなければそれで済んだのかも知れない。けれど、知ってしまったから欲しくなる。離したくはなかった。
暗い空にぼやけた半月が光っていた。キャンプ場で見た空と同じものかと思うほど目は星を探せない。
ベッドの上で何度もキスをした。体を絡めて抱き合って笑って、体は繋いでいないのに心は近い気がした。
「明日も誘われているんだ。」
雅也が言う。
「ん」
卓巳は頷いた。分かっていれば不安もない。
「今度は二人で行こうか」
そう言われて、
「うん。そうしようよ」
卓巳は一もニもなく頷いた。
「……キャンプで、吉野達が悪かったって、謝ってたよ……」
言えずにいたことがすっと口から出てきた。
雅也は真剣な顔になって、
「悪かったのは俺の方だよ。楽しんで来いとか言いながら、結局、壊しちゃったな」
手が優しく頭を撫でる。
「でも、それなりに楽しかったよ。空気は美味しかったし、空もきれいで、星もきれいで」
空に無数の星が輝いていた。
「そんなものより、俺は卓巳の顔を見ていた方がいいよ」
雅也が真剣な顔は変わらない。
向かいあって真面目な顔でそんなことを言われて、卓巳はどんな反応を返していいのか分からなかった。
「そんな気持ちは変わらないけど、お前を追い詰めることになりそうだな……これからは少し空も見るさ」
雅也は笑って空を見上げた。
真っ暗な中に、ぼやけた月と、星がひとつ、ふたつ。
「空が優しく見える……」
雅也が呟くように言う。
空はいつも違う色をしている。
「それは、きっと、雅也の心の中が優しいからだよ」
つまらない時は不服そうに映り、悲しい時は暗い。
「そうかもしれないな」
言いながら、見てきた雅也が笑った。
「こんなに穏やかな気持ちになるのは久しぶりだ」
耳元で囁きながら、耳たぶにちゅっと唇で触れてくる。
「前はいつだった?」
少し気になった。
「忘れるぐらい昔のことだよ。いつも二人でいて、卓巳はいつも笑ってた」
――いつも?
卓巳は記憶を手繰ってみたけれどそれがいつかは分からなかった。
「また、あの頃の気持ちに戻れたらいいな」
「ん」
それはきっと、卓巳にとっても優しい空のはずだった。
Fin
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