「雅也っ!」
卓巳は雅也の声が聞こえた方に向かって叫んだ。
「卓巳?」
雅也の声と共に、ぱきんと枝が割れる音がした。
「動かないでっ! 今行くから!」
卓巳は道の脇の木に手を付いた。声の方向からして、木々の合間をぬって奥に入ったらしい。
「卓巳、いるのか?」
枝の割れる音と草が掠れる音と共に、雅也の声が近づいているのを感じた。
「そこで待っていて!」
叫んで、懐中電灯を照らすと、黒い影が見えた。
「卓巳? そこか?」
「うん。だから、すぐ行くよ」
卓巳は足を前に出した。
「大丈夫か?」
そう後ろから声をかけられたけれど、返事を返す余裕は卓巳には無かった。
林の中に入ると、下は草がクッションになっているのかスポンジじゃないかと思うほど、ふわふわして頼りなかった。
「待ってて、雅也」
木に手を付きながら、一歩づつ進むと、片手に持った懐中電灯が邪魔に思えた。けれど、これがなくては何も見えない。
―― ばかだよ
文句がでる。
懐中電灯も持たず、どこにいるのか見当もつかないのに、なんで林の中へなんか入っていくんだよ、と思った。
待っていてと言ったのに、やっぱりというか、雅也が大人しく待っていてくれるはずがなくて、足元なんかを気にせずに近づいてくるからばきばき聞こえる音に
胸が痛かった。
「卓巳!」
合うなり抱きしめてきた雅也からは、土と血の匂いがした。
コテージの中は静かだった。
時々聞こえてくる鳥や虫の鳴き声以外に音はなかった。
戻ってきてから雅也は何一つ言葉を言わなかった。吉野達が謝ったけれど、それを無視した。自分の友達がかけてきた声すら無視した。気を使ってくれた雅也の
友達はコテージを二人に譲ってくれた。卓巳たちが借りたコテージの方が広かったし、どうせ寝られないだろうからと、彼らはそちらへ移った。
目を閉じたままの雅也はもう寝たのかなと卓巳は思った。
けれど、卓巳が洗面器を持って立ち上がろうとすると、腕を握ってきた。
「卓巳」
目を開けて、切なそうな顔をする。
「タオルを洗ってくるだけだよ」
傷ついた雅也の体を拭いたタオルは血で土で汚れていた。
無言のまま、雅也が緩く頭をふる。
「すぐ戻ってくるよ」
卓巳はそう言って、
「僕も体を拭いてきたいんだ」
付け加えたら、雅也の手が弛んだ。
「すぐか?」
雅也が呟くように聞いてくる。
「うん。すぐ、戻ってくるよ」
卓巳は雅也の唇に軽く触れた。雅也は小さく頷くと目を閉じた。
ゆっくり立ち上がってコテージを出ると、卓巳は静かにドアを閉めた。
流し場に行こうとすると、木に寄りかかるように立っている人が目の入った。
「雅也、大丈夫か?」
卓巳に気づいて、声をかけてくる。雅也の友達の一人で、確か澤田と言った。
「はい。大丈夫だと思います。お騒がせしてすみません」
卓巳は軽く頭を下げた。
「いや……」
澤田はそう言い、卓巳が横を通り過ぎると後ろに付いてきた。
「あれだけ取り乱した雅也を見れたのは、目的以上の収穫だったよ」
澤田が後ろから声をかけてくる。
「目的?」
そんなものがあったとは知らなかった。
「知りたい?」
澤田が意味深な声を出す。
「少し、気になります」
雅也が先導したわけじゃないのかと、少し意外だった。
「雅也の彼女が見たかったんだよ」
――え?
卓巳は思わず足が止まった。
後ろを振り返ると澤田が慌てたように、手を振った。
「あ、いや、今まで一度も誘いに乗らなかった雅也が突然キャンプに行かないかなんて言ってきたら絶対何かあると思うだろ? それは謎の彼女がらみじゃない
かってことになって、希望者は多かったんだけど、いかんせん日程まで決まっていたから、泣く泣く諦めたやつもいたよ」
―― そうなんだ
なるほど、雅也の話と辻褄があった。パンフレットを持っていって、空いてる日程だけ示して、あとはみんなやってくれたわけだ。
「謎の彼女……」
それが示すのは自分のことなんだろうと思う。間違ってはいないし、目的も果たしてはいるわけだ。
「知ってる?」
聞かれて、
「あ、一応……」
卓巳は言葉を濁した。
「へー、ホントにいるんだ」
澤田が意外そうな声を出す。
「鬱陶しいからそういうことにしてるんじゃないか、とも言われていたんだけどね」
澤田が続けた言葉に、
「そうなんですか」
相槌を打つと、卓巳は足を前に出した。雅也にはすぐ帰ると言ってきた。
「あんまり興味なさそうだね。兄さんの彼女なのに」
そう聞いてくる澤田は、何か情報を聞き出そうとしているのかなと思った。
「雅也は雅也だから」
あまり突っ込んだ話はしたくなかった。
「実は、きみだったりして」
ふざけた調子で言われた言葉に、卓巳は一瞬足が止まった。