卓巳と沙紀は少し遠回りして駅前のファーストフード店に入った。
店は込んでいて、隅に空いている席を見るけると、沙紀を席に座らせて、卓巳はカウンターで飲み物を二人分買い席に戻った。
「何?」
向かいあっての第一声が少しきつい口調になってしまって、卓巳は気持ちを落ち着けようとゆっくり息を吐いた。自分のいらいらは別に沙紀が悪いわけじゃな
い。
「ごめんなさい。迷惑かけちゃったかな」
沙紀がすまなそうに言う。
「ちょっとね」
明日が怖い、というのは確かにあった。
「ごめんなさい」
沙紀がしょげたように首を項垂れる。
「もういいよ。で、何?」
もうしてしまったことを今更言っても始まらない。きっと懲りただろうと、卓巳は沙紀の顔を見て思った。
「そんなに、急かさないで」
沙紀は飲み物に口をつけるとゆっくりと一口すすった。
「挫けちゃったかも」
小さく呟いてため息を漏らす。
「何かあるから来たんだろ?」
一人で男子校に訪ねてきたのだから、それなりの理由はあるのだと思う。
「……神谷くんに言ってくれてないでしょう? 私たち付き合ってることになってる」
「あ!」
そうだったと思った。あれから、雅也と話す機会はなくて、言いそびれていたことだった。
「ごめん。忘れてた」
正直すっかり忘れていた。それどころじゃなかったというのが本音だった。
沙紀がふっと悲しそうな顔をした。
「そうだよね。あの時、その気がないって言ってたもんね」
「ごめん、今日ちゃんと言うよ」
言いながら言えるのか、と卓巳は思った。顔を合わせることさえ少なくて、避けられているのが分かるから声をかけづらい。
「ううん。もういいよ。ちょっと期待しちゃっただけだから」
「あ……」
卓巳は答えに困った。
付き合っていることになっているだけなら、自分で訂正すれば済むことだ。わざわざ会いに来たのだから確認したいことがあったのだと思う。
はっきり断わったつもりでも、沙紀にはあいまいに感じたのかもしれなかった。
沙紀はもう一度飲み物に口をつけると、小さくため息をついた。
「それだけ?」
それだけなら、電話でも用は足りる気がした。家の電話番号は知っているはずだ。
「ん?……ん」
沙紀が口を濁す。
「何? せっかく来たんだから言いなよ」
「でも……」
今度は口を噤む。
「秘密は守るよ。雅也に言うなって言うなら言わないから」
躊躇う原因はそこしか考えられなかった。今の状況的に言うなら、言わないというより言う方が難しい。
「ん、でも、実際問題私たちは無関係なんだなあと思ったら、卓巳くんまで巻き込むこともないんだよなあって思えてきて」
「どういうこと?」
話がさっぱり見えない。
「由果とのこと聞いてる?」
「え、何?」
「あ、ううん。何でもない」
沙紀は飲み物を手に取ると、口をつけた。
「何? どういうこと? 教えてよ」
もしかしたら、雅也が朝早いことも帰りが遅いことも関係あるのかもしれないと思った。
沙紀は言っていいものかどうか少し迷っていたようだった。
「秘密は絶対守るよ」
卓巳は催促するように続けた。
聞いてしまったら凹むことかもしれない。けれど、聞かなかったところで妄想だけが広がって落ち込むのは同じだ。ならば、はっきり知ってしまった方が良いよ
うにも思えた。
「由果、神谷くんとダメになっちゃって……」
「えっ?!」
卓巳が上げた声に沙紀がびくっと体を震わせた。
「あ、ごめん」
卓巳は手で自分の口を押さえた。
「いつ? どうして?」
今度は声を潜めた。気持ちが高ぶっていくのが分かった。どきどきと心臓は鼓動を早める。
「あの日、私たちが会った日」
「え、なんで?」
「もともとちゃんと付き合ってたわけじゃないけど、弟に紹介してくれるって言ったら期待もするじゃない」
――――付き合ってたわけじゃない?
「あ、だって、僕は彼女だって聞いたよ」
そう言っていたはずだ。
「はっきり付き合おうっていうことではなかったみたい。なんとなく近づいたっていうか。由果は学校では変わりなくしてるけど、一歩出ると空気が抜けた風船
みたいになっちゃって。大丈夫とか言ってるけど、なんとかならないのかなあって。でも、神谷くんも図書室に篭っちゃって近づけない雰囲気だし」
「それで、僕に橋渡ししてくれってこと?」
正直、したいとは思わなかった。
「ちょっと違う」
沙紀がストローを手に取り、かき回すように弄る。
「じゃあ、何?」
他には思いつかなかった。
「私は由果と神谷くんがうまくいけばいいと思う。でも、由果は神谷くんのことを心配してる」
「雅也のこと? 何を?」
自分の知らない何かがあるのだろうか。
「ん――――卓巳くん知らないの?」
沙紀は言いづらそうだった。
「どんなことか言ってくれなきゃ、知ってるか知らないかなんて分からないよ」
学校のことはまったく知らない。友人の名前すら分からない。
「神谷くん、好きな人がいたでしょう」
「あ……」
それは、きっと自分のことだと思った。卓巳の反応を見て、沙紀は知っていると判断したらしい。顔が少し緩んだ。
「由果は神谷くんがその人とうまくいって欲しいって言ってた。そうなってくれないと、自分も諦められないって」
諦める?
ずっと好きだったと沙紀は言っていたのに?
「雅也が言ったの? 自分に、好きな人がいるって」
そんなことを雅也が言うとは思えなかった。誰なのかと詮索されたら困るはずだ。
「ん――――私は気づかなかったけど、由果が神谷くんの元気ないって言ってて、それで、色々話しているうちに分かったみたい。それがきっかけでもあったん
だけど、弱みに付け込んだみたい、って気にしてて。どんな人なんだろうって、気にしてたけど、神谷くんは教えてくれなかったみたい」
そりゃそうだろう、と卓巳は思った。知っていたら、沙紀が来るはずもないだろう。
「卓巳くん、どんな人か知ってる?」
そう沙紀に聞かれて知らないとは言えなかった。
「別に、普通の子だよ」
「すっごくかわいいとか」
「そんなことないよ」
「すっごく頭いいとか」
「それはない」
断言できた。
「でも、神谷くんが惹かれるものを持ってたってことだよね」
「ん―――― 一緒にいると安らぐって言ってた、かな」
それは自分と同じだと思った。傍にいればそれだけで安心する。
「神谷くんを振ったってことは、その子も他に好きな人がいたわけでしょう?」
「たぶんね」
はっきりは答えられなかった。自分だと分かってしまうのはマズイ。
「そうやってずっと回っていくんだね。思いが重なるってすごいことなのかも」
沙紀が小さくため息を零す。
「そうかも、ね」
自分の思いはどこへ行こうとしているのだろう、と思った。先が見えない。
「卓巳くんは好きな人いるの?」
沙紀が躊躇いがちに聞いてきた。
「今はいないよ」
出会いもなければ、その気もなかった。
「でも、誰とも付き合おうって気もないんでしょう?」
「ん。今はね」
「なぜ?」
なぜ?
そんなことを考えたこともなかった。
「そんな余裕ないから、かな?」
周りを見ようとする余裕すらない。
「何にそんなに思い入れているの?」
「え?」
「だって、今が一番いい時だよ。来年になったら嫌でも受験生になっちゃうし、部活に燃えてるとか?」
部活?
それはお世辞にも言えない。
心の中を占めることといえばひとつだった。
「好きってどういうことなんだろう」
もしかすると、自分は分かっていないかもしれないと思った。
「何? 今更」
「どう思う?」
自分は間違っていたのかもしれないと思う。
「いつも傍にいて欲しいと思う人、かな」
沙紀が考えるように遠くを見る。
卓巳にとっていつも傍にいて欲しいと思うのは一人だった。