雅也はあの時とは違い部屋の奥まで入ってこないで、ドアの脇で壁にもたれて腕を組んだ。
どう言おう。
そう考えながら、卓巳は雅也を見ていた。
「何?」
雅也が怪訝そうな顔をする。
「あ、今日電車から雅也を見たんだ」
そんなことは初めてだった。
「ああ」
頷いた雅也に、やっぱりあの時気づいていたんだと思う。
「一緒にいたのは……彼女?」
遠まわしに聞く言葉が思いつかなかった。
「え、ああ」
一瞬躊躇うように、けれど肯定するような言葉を返す。
――――え?
卓巳は雅也を見ながら固まった。
そう思っていたのに、心のどこかで違うことを望んでいた。
「そんな顔、することないだろ」
雅也が眉根を寄せる。
「あ、だって……」
好きだと言われたのは、ついこの間のような気がする。
「振られたのにいつまでも拘っていたら嫌だろ?」
「そんな……」
卓巳は視線を伏せた。
「……気になる?」
意味ありげな言い方に卓巳の胸がとくんと跳ねた。
「ああ、気になるよ。たった一人しかいない大事な兄貴なんだから」
視線を伏せたまま言い捨てるように言った。嘘は言っていない。
「それだけ?」
「それだけだよ。当たり前だろ。ただ、見てくれだけで付き合おうとしてるんじゃないかとか、悪い女に子供ができたとか騙されたりするんじゃないかとか、色
々心配だってするだろっ」
「子供?」
雅也がふっと笑った。
「悪いかよっ」
雅也が自分の傍から離れていってしまう。そのことが不安にさえ感じる。いつもいつも見守っていてくれて、いるだけで安心する存在なのは確かだった。
「じゃあ、自分で確かめてみる?」
――――え?
卓巳が顔をあげると、雅也の視線とぶつかった。
「どうやって?」
何をどう確かめろというんだ、と思った。
「今度、会うとき一緒に来るか?」
「え……」
それは、二人きりで会う関係だということだと思った。
「由果に友達を連れてきてもらうよ。合コンみたいな感じで」
雅也が自分じゃない他の誰かを呼び捨てにした。それが卓巳の心の奥に引っかかる。
「それだけ心配してくれるなら、自分の目で確かめればいい」
続けた雅也の言葉に卓巳は自信を感じた。まるで自分の彼女は非難されるところなど一点もないと言わんばかりに卓巳には聞こえた。
「分かったよ」
それほど自信のある彼女なら会って確かめてやるよ、と思った。
「今週の日曜日はどう?」
「いいよ」
卓巳は即答していた。
日曜日の予定など頭に上がってこなかった。けれど、行けないと言ったところで二人は会うのだろうと思ったら、そのまま許したくはなかった。
自分の知らないところで雅也が誰かと会う。
そんなことを今まで意識したことはなかった。
「じゃあ、空けておけよ」
それだけを言うと、雅也は部屋を出て行った。
雅也が出て行ったドアを見つめて、卓巳は何か物足りなさを感じた。
日曜日は良い天気だった。
相変わらず雅也の帰りは遅かった。それでも日曜日に決着をつけられると思うと、卓巳の気持ちも少し和らいだ。
早く日曜日がこないかな。
そう思っていたのに、実際来てみると今度は来なくてよかったのに、という気分になっていた。
会ってどうするつもりなのか。
他人の彼女に向かって「あんなやつやめなよ」なんて余計なおせっかい以外の何でもない。
重い気分を引きずるように起きて居間へ行ったら。
「おはよう」
声をかけてきた雅也が嬉しそうな顔をしていたような気がして、更に気持ちは重くなった。
今更やめるとは言えない。
雅也の彼女は友達を連れてきているはずで、ドタキャンになってしまう。弟がそんなやつだと彼女に思われるのは雅也がかわいそうだ。
それに、雅也が彼女と二人きりで会うのもなんだか落ち着かない。
いったいどうしたくてどうなって欲しいのか、自分でもよく分からない。
「今日、どこへ行くんだよ」
卓巳は雅也に声をかけた。
それさえも聞いていなかった。
「魚を見にいこうか、ってことになってるけど、何か希望ある?」
「別にない」
どこだって同じだ。
「そのふて腐れたような顔、少しどうにかした方がいいんじゃないか?」
雅也が目を細める。
卓巳は余計なお世話だと思った。
「この顔は生まれつきだよ」
雅也みたいな整った顔立ちじゃない。全然似ていなくて双子だとは思えない。生まれつきのものに文句をつけられても自分じゃどうにもできない。
雅也は少し呆れた顔をして、その後でふっと笑った。
いつもいつも余裕がある。いつも一杯一杯の自分とは違う。
同じ時に同じ親から生まれているのに、なんでこんなに違うのだろうと思ったのは一回や二回じゃない。
それでも、幸せなときはあった。確かに――――。
待ち合わせの駅で会って、簡単な自己紹介をした。
前田由果と名乗った雅也の彼女はそれほど美人というわけではなかったけれど、いつもにこにこしているのだろうと思える笑顔が印象的だった。
友達は沙紀と言った。
誰かに似てると思った第一印象の答えはすぐに出た。
笹井に似ているんだと卓巳は思った。