空の色は毎日変わる。
雲の形も同じ形をとどめてはいない。
気持ちもまた、ふとしたことで変わる。
両親が帰ってきて、表向き以前の生活に戻った。
雅也も以前のままだった。
卓巳は自分だけが、浮いているように感じた。
この三年、卓巳は雅也の視線を感じても無視してきた。掛けられた言葉にまともな返事をした記憶もあまりない。
なのに、今は気がつくと雅也を見ている。雅也を目で追っている。きっと雅也はそれに気づいていると思うのに、それに対して何も反応はしない。
今までと同じ。
空の色を見て「傘もっていけよ」と声をかけてくれる。
「弁当持ったか?」
「忘れ物ないか?」
「定期もってるか?」
「財布は?」
おせっかいなのは相変わらずなのに、視線だけは無視をする。
そして、今まではそのおせっかいを無視できたのに、それができなくて卓巳は戸惑っていた。
ぷいと顔を背けることもできなければ、「うん」と素直に頷くこともできない。
「忘れるなよ」
そんな言葉で雅也は卓巳の戸惑いを終わらせる。
全て分かって見守っていてくれる。
それを当たり前だと思っていた時もあったけれど、雅也の気持ちを知ってしまった今、卓巳はそれを当たり前だとは思えなかった。
兄弟を超える気持ちには答えられない。それを雅也も分かっているはずだ。
けれど。
答えられないことが時に苦しく感じる。
嫌いなわけじゃない。幸せになって欲しいと思う。
梅雨に入ったとテレビは告げていた。空の色はどんより暗い。
同じように、卓巳の胸の中にも分厚い雲が覆っているようだった。
通う高校は卓巳の方が遠かった。帰宅部の雅也と違って卓巳は誘いを断わりきれなかったソフトボール部に入っていた。
卓巳が家に帰ったとき、いつも雅也は家にいた。文化祭や学校行事で遅くなることもあるけれど、それは酷くまれなことだった。
卓巳は玄関に入って何か違和感を感じた。それが何か分からないまま、居間を覗いていつもいるやつがいないことに気がついた。それが、玄関で感じた違和感の
正体だったことも。
ソファに座って本を読んでいて卓巳が顔を覗かせると、顔をあげて「おかえり」と言ってくれるやつがいない。
まるで日課のように繰り返されることだから、その言葉に返事を返す返さないは別にして、ないと何か落ち着かない。
時計を見上げて、六時半という時間は高校生がこの時間に帰っているとすれば早い部類になるだろうと思う。
卓巳自体、今日は早かったと思う。
掃除も部活もなかった。何だか気が乗らなくてクラスメートとのおしゃべりもそこそこに帰ってきた。
けれど、特別な理由なく雅也が卓巳より帰宅が遅くなることはなかった。
「あら、卓巳早かったのね」
キッチンから顔を覗かせた母が意外な顔をした。
「雅也は?」
何かあったのかと思った。
「さあ、まだ帰ってないみたいだけど」
暢気な言葉に腹がたってくる。
「何か言ってなかったの?」
「なあに。あんただって、いつもこの時間には帰ってないじゃない」
それを言われたらお終いだ。
「でも、雅也は――――」
卓巳が言いかけると、玄関が開く音とともに雅也の声が聞こえた。
雅也が居間へ顔を覗かせる。
「おかえり」
声をかける母と。
「ただいま」
答える雅也の暢気な会話を聞きながら、卓巳は気持ちの行き場を見つけられなかった。
もやもやが胸に溜まる。
何も言わずに、居間を出て階段を駆け上がった。部屋に入ってバタンとドアを閉めて、ドアにもたれてため息をひとつついて、残るのは何も言えない自分への嫌
悪感だった。
階段を上がってくる音が聞こえて、それはドアの前で止まった。
「卓巳?」
ドアをノックする音とともに雅也の声が聞こえた。
「何?」
卓巳はドア越しに声をかけた。今、顔を合わせたくなかった。
「何か用があったのか?」
母から何かを聞いたのだろうと思った。
「別に」
何も用があったわけじゃない。
「そっか……もうすぐ晩飯だって母さんが言ってたぞ」
「分かった」
卓巳が答えると、雅也がドアから離れていく気配を感じた。
なんでだよ、と思う。
仲が良い兄弟でいた時は幸せだったのに、そんな時はもう遠い。
次の日も雅也は遅かった。
部活を終えて、なぜか気になってダッシュで帰ってきた卓巳の方が早かった。
時計を見たら七時半で、昨日より一時間も遅い。
気になって、でも帰ってきた雅也の顔を見たら何も言えなかった。
二日も続けば絶対何かあるはずだ。
けれど、それを聞いてどうする?
聞いたところで「あっそ」で終わることだ。
雅也の気持ちには答えられない。いくら兄弟であれ時間をどう使おうと向こうの勝手だ。
そう理屈で割り切ろうとしても、卓巳の気持ちはくすぶったままだった。