ガタンゴトンと揺れる電車の窓からは、ぽつりぽつりとある一軒家と広がる畑が見えた。
「これ、食う?」
裕が鶏肉の照り焼きらしいものを箸で摘む。
「うん」
孝己に断わる理由は無かった。差し出される箸に口をあけると、裕は中へ放り込んでくれた。
「ん、おいしい」
この年で食べさせてもらうなんて恥ずかしい気もするが、味が違う気がする。
幸い周りには誰もいない。
卒業旅行なんていう制度に孝己は感謝した。
冬の寒さが緩んできた頃の平日、男だけの旅行でも不思議がられない。
そのためには、受験という過酷な試練が待っていたわけだけれど、幸い、二人とも第一志望に合格した。
「これ、あげる」
孝己がシュウマイを箸で掴んで差し出すと、「おう」と裕が大口を開けた。
なんか、ちょっと惜しい気がした。
躊躇っていると、裕が怪訝そうに口を閉じる。
「どうした?」
「え?」
「くれんじゃないの、それ」
箸でつままれたシューマイを指す。
「うん」
そうなんだけど。
「惜しくなったとか?」
「ううん」
激しくかぶりを振った。
「じゃあ、なんで?」
自分を食べて欲しくなった、なんて言えなかった。周りに誰もいないけれど、一応、誰もが入れるスペースだったりする。ないとは思うけれど、お客さんが通っ
ていったりとか、車掌さんが乗り越しの方は〜なんて来るかもしれない。
「ううん。なんでもない」
孝己はシュウマイを裕の口へ押し込んだ。急をつかれた裕が顔を引きつらせていたけれど、それも、なんかかわいいと思った。
孝己は裕と恋人として付き合い始めて二年近くになる。当然周りには内緒で、肩身が狭い思いをしている。これだけ羽根を伸ばせるなんて、この次はいつになる
か分からないという二泊三日の卒業旅行だった。
行き先は当然人がいなそうなところ。
古びた温泉ということで意見があった。
許可をもらうべく孝己はカタログを家族に見せたら、年寄り臭いと両親の評判は悪かったけれど、姉の七海は興味があったようで、よく見てきて後で話聞かせて
ね、なんて言っていた。彼氏と行くつもりなんだろう、と後でつついたら、ふふん、と笑っていたから、たぶん図星なんだろう。
やっと待ちかねた日がきて、ローカル線独特の対面式の座席に座り、駅弁を開いていた。のんびり各駅停車の旅だった。
メインイベントは観光じゃなくて、夜だったりする。
二年も待たせてしまっていた。
「良かったな、晴れて」
裕が窓から空を見上げる。
「うん」
窓の外には雲ひとつない青い空が広がっていた。
さすが各駅停車だけあって、目的の駅に着いたときは太陽が山に隠れて空は夕焼け色に染まっていた。
駅を出てバスに一時間近く乗って、やっと着いた寂れた温泉宿は本当に寂れていた。
湖のほとり、並木道とは思えないけれどそう言うのだろうか、うっそうとした木が並んでいるだけの道を行くと、向かいあって二件の宿があった。
「こっちだよな」
裕が片方を指差す。
「う、ん」
看板の名前はそうだ。しまったかも、と思ってももう遅い。
見た感じりっぱそうな向かいの宿に未練を残しつつ、予約を取ってある宿へと二人は足を向けた。ガラス戸を引いて中へ入って、脇にカウンターはあるけれど、
誰もいなかった。
「すいませーん」
裕が叫んだけれど誰もこなくて。
「すいませーん」
ともう一度叫んだけれど、音沙汰は無かった。
裕が不服そうな顔を向けてきて、孝己はどうしたらいいか分からず首を傾げた。
「はーい」
とつぜん返事が返ってきて、宿の人らしい女の人がカウンターの奥ののれんから顔を出した。
「あ、いらっしゃいませ」
母くらいの年に見えたから孝己は女将さんかと思った。着物姿の女の人はカウンターから出てきてスリッパを並べてくれた。
「松原さんですよね」
顔を上げて訊く。
「あ、はい」
名乗ってもいないのに、なんで分かったんだろうと思った。
「男性二人のお客さんは松原さんだけだったので」
不思議そうに思った顔を読み取ったのか、女将さんらしき人は答えてくれた。
通してくれた部屋は一階で、一間だけのこじんまりとしたものだった。部屋の奥の窓は薄暗い明りの中黒い湖が浮き上がっているように見えた。
「食事は六時から八時の間で、二階の広間にご用意します。もうご用意できているのでいつでもどうぞ」
お茶を入れながら、女将さんらしき人が説明する。
「朝食は七時から九時まで、大広間の方でお願いします。大浴場は二階に露天風呂は一階の奥からどうぞ。では、ごゆっくり」
最後ににこっと笑って、女将さんらしき人は部屋を出ていった。
ぱたんと襖が閉まって、その先のガラス戸もかたんと閉まった音がした。二人きりになりたくて待っていたはずなのに、最初にしたのはお茶をすすることだっ
た。それも、二人同じタイミングで。
お互いに顔を見合わせ、笑ってしまった。
「先に飯行こうか」
裕が提案する。
「うん」
食いっぱぐれは勘弁だもんな、と孝己は思った。
二階の広間は座卓に座布団が並べられていてテーブルの上に部屋の名前が書いてある。先客に男女のカップルが一組いるだけだった。お互いに食べさせあったり
して、周りを気にしている様子は一向にない。男と女ならそれもありなんだよな、と孝己は思った。好きだから仕方ないけれど、いろいろ我慢はある。
とんかつと魚の煮付けときんぴらに昆布にじゅんさいの酢の物に菜の花の和え物に漬物に……。
あと温かい御飯とみそ汁が夕食のメニューだった。
いちゃいちゃしているカップルを横目で見ながら、孝己は大人しく箸を進めた。裕も言葉なく箸を進めていた。時々目があうとふっと笑う。それだけで幸せな気
分になってしまう。
ずいぶん簡単なやつだな、と孝己は自分のことを思った。
食事を終えて、部屋に帰って戸を閉めて。
「嫌になっちゃうよな、人の前でいちゃいちゃして」
孝己はつい文句がでた。
「したかった?」
裕がにやっとする。
孝己は答えにぐっと詰まった。
したかったとも、したくなかったとも言えなかった。
近づいてきた裕が掠めるように唇に触れる。
「早く、風呂入りに行こうぜ」
腰へ手をかけてくる。
「うん」
望むところだった。
部屋には既に布団が敷かれていた。