英語のプリントをやりながら、孝己の足はテーブルの角を挟んで座る裕の足に触れていた。
まるで、日課のように裕は孝己の部屋へ来るようになった。放課後、学校で友達連中と戯れることも、ファーストフードへ寄ることもなくなった。
まっすぐに孝己の部屋へ帰ってきて、時間が許す限り一緒にいる。抱き合って軽いキスをして、その後は話をしたり一緒に漫画本を読んだり時には宿題をした
り。
親同士が通じているから、あまり成績に響くとまずい。出入り禁止なんてされたら困るから、そこいらへんは了解していた。
ただ、どこかが触れていると安心する。それが分かってしまったから、部屋に入ると、その気持ちを抑えきれなかった。目の前にいて何も邪魔するものがないの
だから、それで我慢しろという方が無理だ。
肩が触れ合うほど近い場所で、息遣いを感じながら、足に触れていて、とても気持ちは穏やかだった。
「問三、分かった? 」
裕がプリントを覗き込む。
「あ、うん」
孝己は裕の方へプリントを向けた。
「ふーん」
言いながら手は孝己の頭へ回してきて、頭をこつんと寄せてくる。孝己はされるままになっていた。
「ちょっとだけ」
そう言って裕があごへ手をかける。そのまま上を向かされて、唇をふさがれるまで一秒もない。軽く二、三度唇を啄ばんで、唇を離してぎゅっと抱きしめられ
て、そっと裕が離
れていく。ゆっくり目を開くと、目の前に裕がいた。
「今度のテスト……」
裕の口が開く。
「何? 」
二週間後に中間テストがある。
「全部八十点以上だったら、俺にご褒美くんない? 」
「え? 」
――――ご褒美?
「いいだろ? 」
裕が返事を促す。
「何? ご褒美って」
孝己の頭の中ではひとつしか浮かばないのに、確かめたかった。
「いいんだよ。うんって言えば。そしたら俺がやる気になるんだから」
頭をくしゃっと撫でる。
孝己は返事をすることを少しためらった。
「嫌? 」
返事を待てなかったのか、裕が訊いてくる。顔が少し不安げに曇った。
「違う」
孝己はゆるくかぶりを振った。
「じゃあ、うんって言えばいいだろ」
裕が強く催促する。
「でも」
「でも? 」
孝己の答えをためらった言葉は鸚鵡返しされた。
「何か分からないんだよ? それに、うん、とは言えないよ」
裕が自分に対して悪意のあることをするとは思えないけれど、不安はある。
「分かんないの? 」
裕は呆れたような顔をした。
「……分かんないっていうか」
たぶん、というか、絶対というか、ご褒美というのだから、きっとそうだろうと思うことはある。嫌なわけじゃない。けれど、不安が心のどこかにあって、孝己
は即答
ができなかった。
「じゃあ、なんだよ」
裕が顔を覗きこむようにする。
ご褒美なんて言われなくても、今この場で裕が望めば拒むことなんてできないし、そんな雰囲気になったらそのまま流されてしまうだろうと思うことも、はっき
り承諾を
求められると困ってしまう。
「……分かった。いいよ」
結局、裕の問いには答えられずに孝己は承諾した。
「いいのか? 本当に」
そう言えと言ったくせに、裕は怪訝そうな顔をした。
「いいよ。裕が望むなら」
孝己は覚悟を決めた。
初めてこの部屋でキスをした時、その時は勢いがあったから、下手したら最後までいっちゃったのかもしれないと思ったりする。
あの時は裕がブレーキをかけたから、最後まではいかなくて済んだ。
その後は、お互い少し臆病になってしまったみたいで、先に進むためにはきっかけが必要みたいだった。
何も無理をして先に進む必要もないはずなんだけれど、好奇心は旺盛だったりする。それは、自分だけではなくて裕もそうだったんだ、と孝己は思った。
「よしっ!」
裕は胸の前で拳を握ると、口を一文字に引き結んだ。そして、テーブルに向き直った裕の足は自分から離れていった。
――――あ……
孝己は心の中で呟き、それを口にはしなかった。シャーペンを持った裕の手はもう既に動いていた。
自分の存在が他人にやる気を起こさせる。それが、なぜかとても不思議な気がした。
自分はそれほどの価値があるんだろうかと不安になる。
もし、期待はずれだったら?
男同士なんて元来抱き合う性じゃない。理に違反している。それを無理して合わせようというのだから、それなりの不都合があるわけで、それなりに不安は大き
くなる。
いいのかな? 本当に……。
そんな気持ちが舞い上がる。
クラスの連中が学校へ隠し持ってくる雑誌の中では、露出の多い女の体が舞い踊っている。胸は大きいほど評判が良い。
大きな胸は柔らかそうでさわり心地は良さそうだとは思っても、それだけだ。それより、裕の硬い筋肉質な胸の方がどきりとしたりする。体育の着替えのとき
は、意識して視線を外してしまう。
指向は同じなのだから、裕も柔らかい大きい胸には興味がないのかもしれない。
けれど、筋肉はあるのかと思えるような骨と皮だけみたいな自分の体が魅力的だとは思わないし、触って嬉しいのだろうかと思ってしまう。
かりかりとシャーペンを走らせてプリントに書き込んでいく裕に、そんなに期待しないでくれよと心の中で思った。
友達でいるときには、一生付き合っていけると思った。
思いを確かめて、気持ちは近づいて、それなのに、関係は前より不安定になった気がする。
嫌われたくない――――そんな気持ちが強くなって自分を縛る。
気持ちは見えなくて、確かめることはできなくて、変わらないとは言えない不安定なものだ。
孝己は裕には分からないように小さいため息を零すと、プリントと向かいあった。
裕一人にがんばらせるわけにはいかない。裕はご褒美と言ったけれど、自分だって望んでいることだった。不安はあるけれど、好きだから、肌を重ねたい。
そして、その先は考えても分からない。
きっと……。
未来は希望が叶うようにできているんだ。
孝己はそう思うことにした。