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きっと……。



人を好きになるってどんな気持ちなんだろ。

そう考えていたときに、突然木の陰からひょいと顔を出したやつがいた。
「そんなに驚くことないだろ」
思わず立止まって目を見開いてしまった孝己(こうき)に、裕(ひろし)は戸惑った顔をした。
「ちょっと考え事してたから」
ここで待ち合わせをしているのだから、裕がいるのは当たり前だった。いや、いつもは孝己の方が来るのが早くて待っていることの方が多い。だから、少しは驚 いていいことなんだ、とは思う。

「何、考えてたんだよ」
並んで歩きながら、裕が訊いてくる。
「ん……姉ちゃんが……」
話かけて孝己は言葉を止めた。話してしまうことに少しためらいを感じた。
「何だよ、言えよ」
裕の声に不満が乗っていた。
孝己は裕と家が近所で小さい頃から一緒に遊んでいた。悪戯もした。隠し事はしたことがない。
「ん……姉ちゃんが大学に入った途端、化粧だアクセサリーだって、色々飾り立てるようになって」
孝己が高校二年になったこの四月、姉の七実は大学に入学した。
「で?」
裕が先を促す。
「彼氏ができたみたいで、高校二年にもなって彼女がいないの? なんて言うんだ」
自分だって大学入って初めてできたくせに。
そう言うと、女子高だったからと言い訳をする。孝己も、中学から男子校だ。条件は同じだ。
『好きな人もいないんでしょ?』
バカにしたように七実は言った。女子校では教師相手に擬似恋愛をするらしい。そういえば、何とか先生と言って騒いでいたような気もした。バレンタインデー には、 チョコも作っていた。
「欲しいのか? 彼女」
裕が探るような声で訊いてくる。
「別に」
欲しいと思ったことはない。
「だけど……」
孝己は一度切った言葉を続けた。
「人を好きになる、ってどんな気持ちなのかなって思って」
変わった姉を見ていたら、自分は置いていかれるような気がした。彼女がいるいないはともかく、人を好きになるっていうのがどんな気持ちかも知らないってい うのは、どうなんだろ う。
「それはさ、」
裕は言葉を一旦きって、おどけたように笑いながら、十センチは自分より高い体を折り曲げて、孝己の顔を覗きこんだ。
「お前の俺に対する気持ちだよ」
――――僕が裕に?
「そっか」
言葉が違和感もなく、すんなりでてきた。
自分で言ったくせに裕が呆然とした顔をした。そして、そのまま足を止めた。
二、三歩先に行ったところで、孝己も止まった。振り返ると、裕は立ち止まったまま、動く気配がなかった。
「裕?」
声をかけると、裕が顔を上げ、駆け寄ってくる。
歩き出そうとした孝己を引き止めるように、手を掴んだ。
「お前、自分が言った言葉の意味分かってんの?」
さっきとは違う、真剣な表情は瞳が小さく揺れていた。
「たぶん……」
訊き返されると不安になる。言葉どおりにとったつもりだったけれど、何かひっかけでもあったのだろうか。
「お前、それ、俺とキスしたいってことだぞ」
裕が孝己の手をぎゅっと握る。
「キスなら……したじゃん」
幼稚園の卒園式の後で、親の影に隠れて、思いつめたような裕の顔が近づいてきて、とっさに目を閉じたら、唇に柔らかいものが一瞬触れた。たったそれだけの ことなのに、十年経った今でも、忘れられない。
「覚えてたの? お前」
「ん、結構衝撃的だったから」
キスなんて女とするもんだろうと思っていたし、少なくとも遠い先のことだと思っていた。
「でも、その後、知らん顔だっただろ」
「どうしたらいいか、分からなかったから」
なぜそんなことをしたのか、訊けなかった。もう会えるのも最後だと思っていた。互いの家には走れば五分で行けるのに、小学校の学区は違っていた。学校が 違ったらもう遊べないかと思ったのに、卒園式が終わってしばらく経ってから、裕は毎日のように遊びに来た。塾も同じところへ通って、中学も同じ学校を受 験した。中高一貫の男子校、それを裕は主張した。
「なんだよ……」
酷く不服そうに裕はこぼした。
どう応えたらいいのか、孝己は分からなかった。何が不服なのか、孝己には図りかねた。
「……電車に遅れちゃうよ」
待ち合わせ場所に裕の方が先に来ていたということは、いつもより時間が遅かったということだ。家を出たのはいつもと同じだったけれど、ぼんやり歩いていた か らいつもより遅くなってしまったのだろう。
「いいよ。一本ぐらい」
確かに遅刻にはならない。
けれど、駅が近く人通りもある。手を捕まれたまま立ち止まっているのも妙だ。
「でも」
孝己は裕の手を振り解こうとした。けれど、しっかり握られた手は振っただけでは離してもらえなかった。
「本当に、いいのか?」
裕の真剣な表情は変わらない。
「何が?」
キス――――そう、裕が耳打ちした。
「ここじゃ、いやだよ」
いいよ、と言ったら、そのまましてきそうな感じがした。
「じゃあ、どこならいいんだよ」
「……部屋とか、なら」
答えないと、離してくれないような雰囲気があったから、とりあえず頭に浮かんだ場所を答えた。
「部屋なら、いいんだな」
まるで最終確認のようだった。
ちょっと待てよ、と孝己は思った。
「他に人がいるようなところは、やだよ」
「当たり前だ」
ちょっとほっとした。
「なら……」
いいよ――――そう言うのはなんだかためらわれた。
横を通り過ぎていく人が怪訝そうな顔をしていた。気が付いたのか、裕が手を緩めて、自然と手が離れた。離れていくぬくもりがちょっぴり寂しいと思った。

「いいって言ったのは、お前だからな」
裕が孝己を促すようにして歩き始めた。
いいとは言ってないんだけどな――――そう思いながらも、孝己は胸の奥がほんのり温かくなった。
できなかった問いの答えを、十年後にもらった。それは、望んでいたことだ、きっと……。



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