車が温まるまで待っていろと言った遼平の声を無視して、智也は車のキーを手にした遼平に付いていった。
最後まで何か釈然としていないような顔をしている哲平に心の中で謝りながら、智也は「じゃあね、また」と別れの挨拶を口にした。
哲平よりも遼平の傍に居たいと思う。大好きだったはずなのに、その気持ちはどこかで溶けてしまったみたいだった。
外まで出てきてくれた哲平は車に入るのを見届けると、ぶるっと体を一回震わせて家の中へ戻っていった。
手をかけた車のドアは冷たかった。車の中も冷え切っていて、智也は冷たい空気に体をぎゅっと縛られるような気がした。

「で、何? 」
エンジンキーを回した遼平がハンドルを持って前を見たまま言う。
吐く息は白かった。声まで冷たく感じて、智也は声を出すことができなくなってしまった。
哲平の前だから邪険にはしなかったけれど、本当に飽きられていたのかもしれないと思った。なんで今ごろ来るんだと思っているのかもしれない。そう思えば、 自分の気持ちなんて迷惑でしかない。
「早く言いたいこと言って車を降りた方がいい。俺が運転する車なんてどこへ行くか分からないぞ。それを一番知ってるのはお前だろ? 」
あくまでも前を見ながら面倒臭そうに言う。智也の知っている遼平とは別人のようだった。体だけなら抱いてやってもいいけれど、面倒なことはごめんだと言っ ているように感じた。哲平がいた時は優しかったのに、それが演技にさえ思えてくる。
「あ、そうだ」
ぼそっと呟くと、遼平はポケットから携帯電話を取り出して、ちらっと智也を見るとそれを放り投げた。
それは智也が知っているものとは違った。哲平のものでもないから新しいものだと思った。
「お前が消して。その方が諦めがつくから」
遼平がハンドルに顔を伏せる。
「え?」
「アドレス」
――――アドレス?
智也が二つ折りの携帯の蓋を開けて、アドレス帳を開くと一番上に自分の番号を見つけた。
「まさか、あれ本当だったの? 」
哲平の携帯を借りていたということは、前の携帯からコピーしたわけじゃない。面倒だから手を切ろうとしたやつの携帯番号をわざわざ入れるとは思えなかっ た。哲平に見られたらいい訳もできないだろう。
「ああ、弟に手を切れって言われるほど最低なやつだよ。俺は」
遼平がハンドルをぎゅっと握り締める。
「そうだね、最低のやつだよ」
ホントに。
遼平が大きくため息をついた。
「そんなやつに会いにくるなよ。危険を冒してまで来ることなんてないだろ? 俺はやっとで抑えてるんだ。さっさと言いたいことがあるなら言えよ。最低だっ て言いにきたわけじゃないんだろ? 」
遼平の声は苦しげに感じた。
「うん」
邪険にしてるわけじゃないんだ、と思った。
「じゃあ、何? 」
「言えない……」
胸が一杯で言葉がでない。
「はあ? 」
遼平が顔を上げて智也を見て、息を大きく吐き出すとかぶりを振った。
「お前、自分の状況が分かってるか? 」
「状況って? 」
「このまま車に乗ってたら、どこへ連れ込まれるか分からないぞ」
眉を寄せ険しい顔をする。
「きれいなところがいいな」
智也が答えると、遼平は目を細め怪訝そうな視線を向けてきた。
「そんなこと言ってると、本当に行くぞ」
「うん」
二人きりになりたいと智也は思った。閉ざされた空間でも車の中はどこか頼りなくて、自分の気持ちに素直になれない。

「お前、俺のことストーカーだって言ったんだろ」
「言ってないよ」
智也はかぶりを振った。
「そう哲平が言ったのをお前も聞いていただろ? 」
それは事実だ。でも。
「僕は塾の後で待ち伏せする人がいるって言っただけだよ」
ストーカーだと言ったわけじゃなかった。
「でも、否定しなかっただろ? 」
「そう言うのかもしれないと思ったから」
「嫌だったんだろ? 俺と付き合うの」
「初めは」
「初め……だけ? 」
「もうちょっとかも」
いつから気持ちが変わったのかなんて分からない。いつの間にかそれは普通に予定に入っていた。
「俺、早まった? 」
「分からない……」
あのまま関係を続けていたら、こんな気持ちになったかどうかは分からない。
「でも、会いたいって思ったんだ」
言葉がすらっとでた。
「俺に? 」
「ん」
会ってどうしようとか何を言おうとかは何もなかった。ただ、会いたかった。
「泣き出すくらい? 」
「ん」
思い出して少し恥ずかしくなった。あんなになるなんて自分でも思いもしなかった。
「……覚悟はできてる? 」
遼平の声が変わった。いつもの優しいものになっていた。
「え? 」
何の?
「優しくできないかもしれない」
「それは嫌だ」
いつも、いつも優しかった。
「わがままだな」
「ん」
優しくない遼平を知らない。
初めはうるさいほどだったエンジン音が落ち着いてきていて、車内も少し暖まってきていた。
「どこがいい? 」
それはいつも聞かれることだった。
「どこでもいい」
今は、ただ二人だけになれる空間があればいいと思う。
「土曜の夜なんてどこも満室だからいいところなんてないぞ」
「うん。その覚悟はする」
遼平はふっと笑うと頭を撫でてくれた。

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