「本当に、そんなに食べるのか? 」
オーダーが終わった後で、メニューを脇のメニューたてに置きながら哲平は呆れた顔をした。
パスタ一皿が満足に食べられないくせに、智也はスープやサラダ、アラカルト、デザートまで注文していた。
「なんか、やけ食いしたい気分……」
人に何かを奢ってもらうことはあまり好きではなかったはずなのに、これは遼平のところから出るのだと思うと智也は後ろめたさを感じなかった。
最初は嫌だと思っていたはずなのに、いつの間にか馴染んでいたんだらしい。
初めは嫌で、嫌で、嫌で。でも、哲平に知られることはもっと嫌だったから我慢した。どうしても嫌だということを強要してこなかったから、我慢できた。
ずっと我慢して付き合っているんだと思っていたのに、存在がなくなって初めて違ったのだと思う。
哲平が向かいに座っている。それはよくあることなのに、今は違和感がある。塾の後で向かい合っているのは、あの人だった。
「いいことだけどな。もっと食べて体がしっかりすれば、男も言い寄ってこなくなるよ」
オシボリで手を拭きながら哲平が笑う。
「そうかな? 」
喜ぶべきことなのに、智也の胸の中はすっきりしなかった。



結局食べきれずはずもなく、珍しく哲平も手を出してこなかった。
「食べる? 」
智也が訊いたら、
「腹いっぱいで眠っちゃうとマズイからさ」
と残念そうに哲平は言った。
これから塾へ行くことを思えば、ああ、そうかと思う答えだった。
「どうする? 」
哲平が時計を見る。時間が迫っていることは智也も知っていた。
「いいよ。哲平は行って。僕は時間あるしのんびり食べるよ」
実際もうお腹が一杯どころか二杯は軽く入っている感じで動くことさえ辛い。
がんばったと思う。
パスタとスープは平らげた。あとは、サラダが少しと、アラカルトでとったソーセージが半分とデザートの洋ナシタルトだけだった。
注文しすぎだとは思ったけれど、慰謝料だと思えばパスタ一皿なんて安すぎて、そんなものでいいのかと遼平に思われたくなかった。

「じゃあさ、これ」
哲平が財布から紙幣を出して智也の前に差し出す。
福沢諭吉さんは何が気に入らないのか、不満げな顔をしていた。
「うん」
睨まれている気がして智也は諭吉の顔の上にそっと手を置いた。
「ごめんな。いてやれなくて」
哲平が忙しく席をたつ。智也はあわててかぶりを振った。食べられないほど注文したのは自分だった。
「ありがとう……あの、お兄さんにも」
智也が哲平を見上げると、哲平は口元を緩めて手を上げた。そのまま、背中を向けて、でも、もう一回振り向いて手を振ると店を出ていった。
哲平を見送って、智也は紙幣を二つに折るとポケットの中へ忍ばせた。

ちょうど通りかかった店員が空いた皿を下げていいか訊いてきたから、智也は頷いた。片付けられた後には、自分が食べきれずにいるものだけが残った。
水を一口飲んで、サラダを一口頬張った。
普通ならこんな量を頼むことはしない。それでも残すのがいつものことだった。お腹が満足すると早々に諦めた。
なのに、今口に運んでいる自分がいる。
それはきっと遼平が食べ物を残すことをすごく嫌がったからだ。
「もう、いらないのか? 」
最初、遼平は責めるわけではなく不思議そうに聞いてきた。
智也は即頷いた。食が細いのは今に始まったことじゃない。
「すぐに腹がすくぞ」と言われて「大丈夫だよ」と答えた。残したのはほんの一口二口だった。それくらい食べてしまえばいいと自分でも思うけれど、手は進ま なかった。
「もう、食べないのか? 」
そう重ねて訊かれてまた頷いた。
「じゃあ、俺がもらうよ」
皿を自分の方へ寄せた遼平を見て、哲平の兄さんだけあってよく食べるな、と智也は思った。よく知らない他人が食べたものに手をつけられることも不思議だっ た。
その最初の印象が会うごとに少しづつ変わっていった。

「これ、俺あんまり得意じゃないんだ」
そんなことを言いながら、グリンピースをフォークに刺す。自分で頼んだものじゃない智也が食べきれなかったものを苦手なのに口にすることはないと思った。 その時、残すのが嫌いなんだ、となんとなく思った。

「もう、一口食べてみろよ」
そんなことを言うようにもなった。余計なお世話だと思って無視していると、遼平が智也のフォークを手にして皿から少しとって口に入れようとする。
「食べるよ」
そう言ってフォークを遼平から取り上げた。いい年にもなって食べさせられるなんて見た目いいもんじゃない。
一口、口に入れなくてはいけなくなって、少しだけ皿から取リ直して口に入れた。
「おいしいだろ? 」
顔を覗き込むようにされて、周りに人はいるから不味いとは言えなくて、実際不味いわけでもないから仕方なく小さく頷いた。
「もう一口で終わりだから、がんばってみろよ」
まるでチャレンジもののラストみたいなことを言う。

子供の頃、体が弱かった覚えはないのに外食するとよく吐いてしまった。だから、家族と外食に行くことは今でもあまりない。中学生になると友達との付き合い があるから外食しないわけにもいかなくて、でも嫌な記憶があるから無理はしなかった。具合が悪くなったら困るのは自分だけじゃない。
――――具合が悪くなったらあんたのせいだよ
心の中で噛み付きながら、智也は最後の一口を飲み込んだ。
「食べられるじゃないか」
ただ一皿食べきっただけなのに、遼平は喜んでくれた。
きれいになった皿に達成感もあった。
食べきれたのは、初めてだった。けれど、その時はそれを素直には喜べなかった。

パスタ一皿なんてもんじゃない。
これだけ食べたことを遼平が知ったらきっとびっくりするだろうと思う。
よくがんばったな、と、きっと頭を撫でてくれる。
――――なんでだよ
サラダを口に運びながら、智也は心の中で愚痴った。
忘れてしまえばいいやつが、こんなときにしゃしゃり出てくる。ついさっきまで、哲平がいたのだから、哲平のことを考えればいいのに。その方がずっと幸せな 気分になれるのに――――。

のんびり食べると言った言葉そのままに、智也は休みながら少しづつ口に運んでいた。
ふと目の前に人が立っていることに気がついて、顔を上げると呆れ顔の哲平がいた。
「あれ? 」
さっき塾へ行ったばかりだと思っていた。
「お前、まだ食べてたの? 」
哲平が心底呆れたような顔をして向かいに座る。智也が時計を見ると哲平が行ってから二時間以上が経っていた。それでもまだ目の前にはケーキが半分ほど残っ ていた。
「あ、うん」
戸惑いながらも頷いた。
こんなに時間が経っていたとは思わなかった。
「じゃあ、俺もおやつにしようかな」
きっと昼は物足りなかっただろう、哲平がメニューへ手を伸ばす。
「あ、じゃあ」
智也はスプーンを皿に置いて鞄から財布を出し、中の一万円札を哲平に差し出した。

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