携帯からは無機質な音が流れていた。
『ごめんな、今まで』
そう言った遼平の声が、智也の頭の中で回っていた。
「謝るくらいならしなきゃいいだろ……」
智也は携帯に向かって、届かないと分かっている言葉を呟いた。

ここ数ヶ月悩んでいたのがばからしいような、あまりにもあっけない最後だった。
「元気ないな? どうした? 」
昼休み、哲平に心配そうな目で顔を覗き込まれて、心の中で張っていた糸がぷつんと切れた。思ってもいなかったけれど、その言葉を待っていたのかもしれな い。
でも。
「何でもない」
智也はそう答えた。哲平に言えることじゃない。
繰り返し聞かれて、二度は同じ答えができた。
けれど、三度目は答える前に涙が零れて、溢れ出した涙は止まらなかった。
結局、午後の授業は哲平と一緒にサボった。
人の目が気になるなら誰もいないから家に行こうと言われ断ることができずに、引きずられるように哲平の家へ連れて行かれた。
明日学校は休みだ。哲平は話すまで離してくれそうもなかった。
「塾の帰りに待ち伏せしている人がいて……」
言ったのはそれだけだった。
「何、それストーカー? 」
哲平にそう言われて違うと思った。けれど、そう言うのかもしれないとも思った。
「女って積極的だな」
呆れたように哲平が言う。
「違う……」
女じゃない。
「違うって何が? 」
「女じゃない」
女だったら、悩むことなんてない。
「って――――男? 」
素っ頓狂な声を出した哲平に、智也は小さく頷いた。
哲平は一瞬言葉を詰らせて。
「……お前、見た目可愛いからそんなのも有りかもしんないけどさあ」
ため息交じりにぼやいた。
哲平にとっては、男は対象外だから、それは普通の反応だと思う。まさか、その相手が自分の兄だなんてことは露にも思わないだろう。
どうしてこんなことになってしまったのか分からなかった。
そして、どうしたらいいのかも分からなかった。

初めて二人で出かけたときに目の前にでかいベッドを見て、これは現実なのかと思った。少しの不安はあった。付き合うというのはいったいどういうこと なのかと思う気持ちはあった。けれど、弟の友達に対して酷いことはしないだろうと思っていた。それは甘いことだったのだと知らされた。
やりたいだけなら勝手にやればいいと思った。それでも口からでるのは、拒絶の言葉だった。哲平に知られるのだけは絶対に嫌だったから、それに比べれば自分 の体を差し出した方がいいと思った。
嫌だと思うのに、体は感じていた。
酷いやつのはずなのに、触れる手は優しかった。
さっさと終わらせてくれよと思ったのに、体をいたわってくれた。
乱暴に抱いてくれれば恨むだけで済むのに、優しく撫でてなんてくれたりする。手は優しくて温かくて、声は哲平に似ていた。
元はといえば、声を哲平と間違えてしまったからだ。
なんで分からなかったのだろうと思う。
けれど、あの時は電話に出たら哲平だと思っていた。いつも家に帰っても誰もいないと、哲平は言っていた。
携帯にかければよかったのかもしれない。
けれど、あれは賭けだった。
携帯なら繋がることは当たり前で、どこにいるかさえ分からない。
もし、哲平が家に帰っていたら、と思った。
はやる気持ちは伝えなければ収まりがつかないほど胸に溢れていて、なのに、怖がる気持ちもあって、最後の選択を電話に賭けた。
鳴る呼び出し音が切れたことに、神様が背中を押してくれているのだと、思った。
けれど、その相手は哲平じゃなかった。
次の日、あまりに普通な哲平に、疑問を感じたけれど、まさか違う人だとは思わなかったし、その人間が脅しをかけてくるとは思わなかった。
人の弱みをつく卑怯なやつだ。切れて清々するはずだった。
なのに。
智也は胸に痛みを感じた。
――――なぜ?
もう悩まなくてすむのに。
ただひとつ心残りがあるとすれば、最後に会ったときに言ってしまった言葉だ。今にして思えばなんであんなことを言ってしまったのだろうと思う。
欲しい――――その言葉にやつはすごく嬉しそうな顔をした。そして、しばらくの間体の奥が痺れて動けないような快感をもたらしてくれた。
体を占領していた快感が消えた後、溢れてきたのは情けなさと悔しさだった。
あいつが自分勝手に抱いているだけだと思っていれば、負の感情は全てあいつへ向けられた。けれど、自分も欲しがってしまうなら、自分もあいつと同じ位置に 立っ てしまっているのだと思った。
あんな卑怯なやつと同じ位置にいる。
それが悔しかった。

でも、それも終わりだ。
もう悩まなくていい。
こんなにあっけなく――――。
智也は携帯を握り締めた。

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