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プラス・マイナス3%未満



電話の呼び出し音が鳴リ始めた。
それは、遼平がインスタントラーメンの麺をなべに投入したのとまったく同じタイミングだった。

「マジかよ……」
遼平は眉をひそめぼやいた。
ラーメンは麺の茹で加減ですべてが決まると言っても過言じゃない。インスタントラーメンは麺がまだ縮れている、見た目まだ硬さが残っている時に、火を止め なければいけな い。袋の裏に書いてある説明なんて信じていたら美味しいものなんて食べられない。
だいたい、そんなことを気にしないなら、カップラーメンで十分だ。
だから、これから遼平の腕の真価が問われる場面に突入したところだった。
麺はなべの中でぐつぐつ言っていた。
電話のベルはうるさく鳴る。
今、火を止めたらまだ早い。

だいたい、今時家の電話なんかにかけてくるのは、セールスか、田舎のじーちゃんばーちゃんか、あったとしても、学校の連絡網ぐらいだ。
今、家には自分以外誰もいない。だから、昨日のこの時間だったら、家には誰もいなかったはずで、電話は虚しく鳴り響いて、そのうち諦めて勝手に切れたはず だ。だから、別に自分がでなくても支障はないだろうと思う。今日は、たまたま。それも、すっげえたまたまだっただけだ。
ほっときゃいいんだよ。少なくとも、麺が茹で上がるまでは――――。
居留守よろしく、耳の中でうるさく響く電話のベルを聞き流そうとした。
けれど。
「ちっ!」
舌打ちをすると、遼平はなべの傍を離れた。自分でも嫌になるほどの律儀な性格は大事な麺にも勝ってしまったらしい。
もしかすると、凄く大切な知らせかもしれない。セールスだったら、怒鳴り飛ばして切ってやる。そう思いながら、遼平はダイニングを抜け、リビングへ行って 受話器を持った。
「もしもし? 」
声に力が入っているのが、自分でも分かった。
「あ、哲平? 」
飛び込んできたのは、弟の名前だった。
「何? 」
遼平は条件反射のように答えて、しまったと思った。声が似ているとよく言われた。田舎のばーちゃんにいたっては、必ず名前を間違える。面倒だから、訂正な んてしなかった。
つい、そのくせが出た。
「今、一人? 」
「そうだけど……」
こいつ、誰だ? そう思いながら答えている自分がいた。友達なら携帯にかけるだろう。
「ごめん、言い忘れたことがあって」
「何? 」
遼平は受話器を肩で押さえると電話台の引き出しからメモとボールペンを取り出した。
早くしてくれよ、と心の中で思う。もうそろそろ麺も良い頃だ。

「あのさ……」
「何? 」
じりじりする。茹ですぎた麺ほどまずいものはない。
「僕、哲平のこと……好きなんだ」
――――は?
遼平の思考回路は停止した。
今、こいつ、何て言った?
確かに聞いたはずの言葉は、霞みのようにぼやけていた。夢でも見ていたのかとまで思ってしまう。

「ごめん。びっくりしたよね」
不安げな声が聞こえた。
びっくりじゃすまねえぞ、と心の中で突っ込みを入れながら、「ああ」と言葉少なく答えた。
僕って言ってんだから男だよな、と思う。明らかに男だと分かる低い声ではないにしても、男の声に聞こえた。告白ってだけで、何と答えたらいいのか分からな いのに、相手が男なんていうのは、どうしたらいいのか、さっぱり分からない。
「やっぱ、哲平が斉木のこといいやつとか惚れちゃうって言っていたのは、友達としてってことだったんだね」
「あ、ああ」
そんなこと分かるかよ!と思いながら、今更兄でしたとも言えなかった。
「……もう、友達だと思ってくれない、よね」
聞こえる声は震えていた。
「そんなことないよ」
哲平は知らないんだから。
「ほんと? 」
途端に声は弾んだ。
「ほんとだよ」
「良かった」
緩んだ声に気持ちが伝わってきて、遼平の良心がちくっと痛んだ。
遠くでカチャカチャという鍵を回す音が聞こえて、「じゃあ、また明日な」というと、遼平は受話器を置いた。
「誰かいんの? 」
バタンと開いたドアの音の後、暢気な声が玄関から聞こえてくる。
「なんだ、兄貴、早いじゃん」
リビングのドアを開けて、哲平が顔を出した。
声はよく似てると言われるが、顔は違う。哲平のいわゆる二枚目俳優めいた端正な顔立ちは父親譲りだ。母親はめちゃくちゃ哲平を溺愛している。
お父さんに似ればかっこよかったのに、と生まれた時言われたらしい自分は母親系の顔立ちらしい。北方系のすっとした顔立ちといえば聞こえがいいが、地味 で花がない。近所のおばさま達には哲平くんのお兄ちゃんと呼ばれる。絶対変だろ、と思いながら疲れるから反論をしたことはなかった。
それでも、彼女はいたし、困ることは何もなかった。
「何? なんか作ってんの? 」
哲平がキッチンの方を見たから、遼平ははっとしてコンロまで走った。
「……麺がおぼれてるじゃん」
後ろにきて、顔を覗かせた哲平が言う。
なべの中では、麺が助けてと悲鳴をあげていた。
「これ、お前にやるよ」
言いながら、遼平はやかんを持ち上げた。幸い中に水が入っていて、それをなべに入れて水を足す。
「え、いらないよ。そんなの」
哲平は眉をひそめ、不満げな声を出した。
「食べ物を粗末にすると、もったいないおばけがでるぞ」
田舎のばーちゃんの口癖だ。
「なんで、俺なんだよ。兄貴が自分で食べるために作ってたんだろ」
哲平はあからさまに嫌な顔をした。未だに、もったいないおばけが怖いらしい。
哲平の声には耳を貸さず、遼平はスープをなべへ入れてかき混ぜるとどんぶりへ盛り、スパイスを振ると哲平の前へ突き出した。
「ほれ」
「いらねえよ」
哲平は身を翻してリビングへ戻って行った。
「今日、かあさん遅いのかなあ」
ちょっと後ろを振り返りぼやくように言う。
「知らないよ」
だいたい、いつもは帰っていない時間だ。パートに行っている母親がいつ帰ってくるかなんて興味はない。
「俺もなんか食おうかな」
哲平はリビングのソファに腰を下ろすとテレビのスイッチを入れた。ニュースを読むアナウンサーの声が響いてくる。
一人キッチンに残されて、遼平は手の中にあるどんぶりがかわいそうに思えた。
好きなんだ――――さっき聞いた声が響く。
哲平は絶対にノーマルだ。
何だかという名前は忘れたモデルがテレビに出てくると、かぶりつきになる。
あいつに電話の内容を伝えたら、きっとこのラーメンみたいに扱われるんだろうと遼平は思った。まあ、もうちょっと言葉は優しいんじゃないかとは思うが。
お互い知らないことが幸せってこともある。

今日の電話は忘れるのが吉なんだろうな、と遼平は思った。


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