銀色のドアの端に立って、どんな開き方をするのだろうと陸が見ていたら、デールはただ立っていただけなのに、自動ドアのようにすっと壁が両脇に開いた。
「え? 」
モーターの音も、何か引きずるような音も何もしなかった。突然、目の前が開けて、その向こうは窓でその先に向かい合う建物が見えていた。
「行こう」
デールに促されて陸は一歩踏み出した。部屋から出て周りを見回すと、廊下には他に人の姿はなかった。
窓の向こうの建物には歩く人の姿が見えた。他にも人がいるらしいことになぜか少しほっとした。
「こっちだ」
言われて、陸はデールの後ろについて行った。
「あまり食欲がないんだって?」
デールが訊いてくる。
「ん……」
ただ暇を持て余しているだけだから、お腹もすかない。
「まあ、あんなところに閉じ込められていたら、それも仕方ないよな」
「ん……」
答えながら、ノインやデールがもっと嫌なやつだったらよかったのにと思う。
「でも、ノインも同じだよ」
同じではないな、と言ってから陸は思った。自分よりもっと長い時間、ノインはあの中に居て、スタッフが居れば外へ出られるとは言っても、言うほどの自由は
ないんじゃないかと思う。
「あいつも、少しは外へ出ることが必要だと思うよ。休むことも。でも、俺の言うことなんて聞きやしない」
それは陸がなんとなく雰囲気から感じていたことだった。
デールに対して表情は穏やかなのに厳しい口調で言うときがあった。それが、きっとデールの言う言うことを訊かないときなのだろうと思う。
「まあ、いいさ。どこか行きたいところとか、何かしたいことがある? 」
訊かれて、陸は困った。
「……特には」
同じような世界なんだろうと想像はできる。だからといって、行きたいところといわれて浮かぶところはなかった。
「服でも見に行く? 結局ノインのを使っているんだろ? 」
「あ、うん。でも、別に困ってないし」
サイズはぴったり合う。どうせ、すぐ帰るのだと思えば自分のものはいらないような気がした。
「こっちは困るよ。同じものを着ていたら時々見分けがつかない。まあ、話し掛けてみればすぐ分かるけどね」
たまに、ごくたまに、デールがヘッドホーンをしていないのに話かけてくるときがあるから、その時なのだろうと陸は思った。自分でも鏡を見ているようだと思
う。だから、他人が間違えるのも当たり前だと思う。
けれど、ノインはそれを気に入らないようだった。
ノインが物の影にいて、ちょうどデールの視界には入らなかったのだろうと思ったときに間違えられたことがあった。その時ノインがあからさまに顔を曇
らせた。そして、その後、デールに何かを厳しい口調で言っていた。
何を言っていたのかは分からないから、はっきりとは分からないし訊けないけれど、デールが間違えたことを非難したのだとしか思えなかった。
「でも、すぐ帰るし……」
自分のために何かを用意することは、ここでの滞在が長くなることを認めるような気がした。きっと変わりはしない。そうは思っていても、躊躇いはあった。
デールは眉を少し動かせて、けれど、何も言わなかった。
静かな廊下を歩いていくと突き当たりにまた銀色の壁があって、その前で立ち止まった。
突き当たり?
そう思いながらもデールの後ろで待っていると、しばらくして銀色の壁は、またすっと開いた。
「これで、下に下りるんだ」
デールが説明してくれる。
先は箱型になっていた。下に下りるということはエレベータなのだろうと陸は思った。
壁にはボタンのようなものは無かったし、デールは何もしなかったから、しくみは部屋のドアと同じなのだろうと思う。決して一人では抜け出ることのできない
二重三重の檻の中にノインはいるのだと
思った。
エレベータを降りると、そこは広いロビーだった。何人か人はいたけれど、少し視線を向けられただけで、それ以上のことはなかった。
ガラスばりで明るいロビーの先は普通の自動扉だった。
建物の外へ出ると、空気の匂いを感じた。
緑と花とほこりっぽいような乾いた匂いだった。自分がいた世界と変わらないようでいて、少し違う気がした。
「構内を出るのに歩くと一時間くらいかかる。バスで行くか? 」
デールが振り返って、訊いてくる。
「あ、うん」
一時間は普通に歩く時間じゃない。
窓からは建物に遮られて、周りの景色はよく見えなかった。具体的に時間を聞くと、この大学だと言われる敷地がどれくらいの広さを持っているかが実感でき
た。
バスのターミナルに着くと数人が並んでいた。それは、異世界とは思えないほど普通の光景だった。並んでいる人も普通の日本人と変わらない風体で、デール
も、目鼻立ちははっきりしているけれど、普通に街を歩いているちょっとかっこいいお兄さんという感じで、違う世界だと言われて納得したつもりでも、頭の片
隅では、まだどこか疑っている。
「遊園地にでも行くか? 」
そう言われて、子供扱いしてるなと思ったけれど。
「うん」
陸は素直に頷いた。
おもいっきり体を伸ばしたい。たった一ヶ月ほどなのに閉鎖された空間で体を縛られているように感じた。
建物の間を縫うように走るバスで構内を出て、外にはモノレールのような乗り物があり、それに乗って一時間くらいで目的地に着いた。モノレールから見えた風
景は陸の知っているものとあまり変わらなかった。ただ、一軒家のような小さな家は少なくて、コンクリートの四角い建物が多く思えた。そして、その屋上に
は
緑が見えた。地上にも少し緑はあるけれど、空に近い屋上の方が多いように感じた。
「何に乗りたい? 」
入り口を入ってすぐ案内掲示板の前でデールが聞く。横には大きな噴水と花畑があって、普通の遊園地と変わりない。
「うーん、別にないけど、あんまり過激なのは嫌だな」
ジェットコースターの類は乗れないわけじゃないが、好きなわけでもなかった。
「じゃあ、あれにするか」
とデールが指差した先には、大きな輪が縦に回るいわゆる観覧車があって、「あ、うん」
即答した。
地図を見せてもらったら世界地図は変わらなくて、ノインのいる大学はいわゆる東京の外れに位置するところにあった。
観覧車に乗れば、きっと遠くまで見渡せるだろう。もしかしたら、海が見えるかもしれない。
そう思った。
けれど。
自分が乗る乗り物を目の前に見て、誤解していたことを陸は悟った。
「これ、乗るの? 」
不安げに聞いた陸に
「え、ああ、そう言ったろ? 」
デールはきょとんとした顔をした。
デールに押されるように乗り込んで、シートベルトをすると肩を抑えるようにバーが降りてきた。
「ねえ」
デールに声をかけると、
「ん? 」
暢気な声が返ってくる。
「これって、過激じゃないんだよね? 」
一応訊いてみた。
「ああ、落下は建物の五階ぐらいからだし、さかさまのまま走るところも短いし、回転も一回だし、放り出されることもないし、頭から水をかぶることも……」
そうデールが説明している間に、ブザーが鳴って走り始めた。
「ちょ――――」
待ってよ、と言いたかったのに向かってくる風が強くて陸は声が出せなくなった。
「大丈夫か? 」
デールが顔を覗きこんでくる。
「ん……」
陸は力なく答えながら、大丈夫に見えるか? と心の中で毒づいた。
何があったのかよく覚えていなかった。すごいスピードで振り回されたという感じだった。戻ってきて降りるときは立ち上がれなくて、デールに抱きかかえられ
ながらなんとか降りて、でも歩けなくて、脇のベンチに抱えられるように連れていかれて座って、ぼんやりしていて、それから五回は犠牲者達は出発して戻って
きた。
陸にしたら犠牲者なのに、人気があるアトラクションらしく、みんな元気にきゃあきゃあ悲鳴をあげて喜んでいる。
「ノインは喜んだんだけどな」
デールがぼそっと言う。
すいませんね、と心の中で謝っておいた。声をだすのさえ辛い。
「陸には過激だったんだね、ごめん」
言いながらデールが心配そうな顔をするから、陸の胸がちくっと痛んだ。
喜ばせてくれようとしたのに、答えられない自分が情けなく思えた。
もう二度と乗りたくないと思うしろものだけど、振り回されたかいがあったのか、気分は変わった気がした。
結局乗り物に乗ったのはそれだけで、フードコートでアイスを食べて、少し園内を歩いたら太陽が傾いて山にかかっていた。
「気晴らしにはならなかったかな」
帰りのモノレールの中でデールが残念そうに言った。
「そんなことないよ。楽しかったよ」
陸はかぶりを振った。
それなりに気は晴れたと思う。
「陸はいい子だね」
デールが口元を緩めて頭をくしゃっと撫でた。子供扱いがちょっと癪にさわったけれど、触れられた手は温かくて、心の中も温かくなってくる。
「そんなことないよ」
特に意味もなく謙遜してしまうのは、相槌みたいなものだった。
「ノインを恨まないでやって欲しい」
そう言ったデールの表情は真剣なものになっていた。うんとは言えなくて、陸は顔を背けていた。今の感情は恨んでいるというものとは違うと思う。けれど、こ
の先もノイ
ン
にマイナスな感情を持たない自信はない。
答えなかった陸に、その後、デールは何も言わなかった。