「ん――――」
陸はベッドの上で、大きく伸びをした。
暇だった。
実験室では、いつもノインが何かをしている。いつ寝ているのだろうと思えるほどで、陸が夜中目が覚めて廊下へ出ると、少し開いた扉から光りが漏れていたり
した。
陸は時々ノインに呼ばれて質問されてそれに答えれば、お役ごめんだった。
とにかくノインの研究が進まなければ帰れないのだから、邪魔をするわけにはいかない。
同じようだと思える世界にひとつだけ大きな違いがあった。
太陽は西から昇って東へ沈む。
東という定義を南へ向かって左とすればそうだ。けれど、太陽が昇る方向を東と決めれば、南へ向かって右側が東になる。
鏡にようなものに映されたような世界かもしれないとノインが言った。そのためなのか、左利きの人が多いらしい。
ここに来て、目覚めてから三週間ほどが経っていた。日付の感覚があるわけはなく、実験室に張られているカレンダーが変わったから聞いて分かっただけだ。
食事はきっちり朝、昼、晩と食べさせてくれて、それは見た目には日本のものとあまり変わらない。
ステーキと思しきものがでてきたときに、味はおいしかったけれど、何の肉か聞いて後悔して、もう材料は聞かないことにした。
ノインも言っていた。その世界でのやり方がある。
狭い空間はそれなりに過ごしやすい。
二日に一度、スタッフの一人だという年のころはきっと自分の母親と同じくらいだと思うマリーが掃除や洗濯をしてくれる。もちろん言葉はわからないから、お
互い愛想笑いをかわすしかできない。
食事は時間になると小さなエレベータのようなもので運ばれてくる。その時陸はノインと向かい合って話をしながら食べる。
それも、彼にとっては研究の一部なのだろうと陸は思った。
「はあ……」
出るのはため息ばかりだ。
ただ、ノインが作ってくれた翻訳機の性能はあがって、デールとは普通っぽい会話ができるようになった。声もデールの声になって、違和感は少なくなった。
さすがだなと思った。
でも。
「いつ、帰れるんだろう……」
時間は歩みを休めることなく動いている。
突然、ノックの音がした。
「はい」
ノインだろうと思って陸がドアを開けると、デールが立っていた。
「外へ出かけないか?」
デールが笑いかけてくる。
「え? あ、いいの? 」
ただ暇を持て余していても気はめいるばかりだった。
「ああ。たまには気晴らしも必要だ。陸さえよければ」
「行く行く!」
陸は即答した。デールの気が変わらないうちにと思った。窓から見てあまり変わらないと思える世界だけれど興味はある。
「あ、でも、ノインは? 」
実験室にこもっているノインを置いて遊びに行っていいのか、と思う。そりゃ、ノインの研究に自分は関係なくて、どちらかと言えば被害者で、恨み言のひとつ
でも言ってやりたいのは山々だけれど、ノインが必死だということだけは伝わってくる。
物言いは暢気で、言っていることも暢気そうで、陸は一度デールにぼやいたことがあった。急かされているって割には暢気だよねと。
その問いに、あなたに合わせているのですよ、というのがデールの答えだった。
話をしながら他のことを考えている。それはもう、桁外れの情報処理能力があるらしい。
「今は、実験室には行かないほうがいい」
デールがかぶりを振った。
「何か、あった? 」
大きな発見とか何か、研究が大幅に進むものなら大歓迎だ。
デールが視線を実験室へ向けて。
「何も」
そう否定した。
明らかに何かあるだろうとは思っても、それが良い方向だとは思わなくても、問い詰めたところで陸に何もできることはない。全てはノインにかかっていた。
「大丈夫、なの? 」
ノインに何かがあれば、元の世界へ帰れなくなるかもしれない。
「大丈夫」
デールが笑いかけてくる。
不思議とデールの笑顔には不安をかき消されてしまう。あまり話したこともないのに頼もしく思える存在だった。
「でも、ノインを一人にしていいの」
デールが実験室へ視線を向けたことが気になった。
「一人になった方がいいこともあるよ」
デールが言うと、その気になる自分が陸は不思議だった。
「そう?」
ちょっと不安だったけれど。
「じゃあ、用意……」
といってすることはない。
「外って寒いのかな? 」
外気に触れるのは初めてだった。
「大丈夫だよ、そのままで。今が一番良い季節だ」
「じゃあ」
それこそ、何も用意をすることはない。
「行ける?」
「うん」
陸は頷いた。
少し後ろ髪を引かれるけれど少しぐらいいいよね、と自分を納得させた。
本当なら、今ごろ学校で面白くもない授業を聞いている時間だ。何もできずにぼっとしていることに焦りもある。隆太郎に先に行かれてしまう。けれど、何もで
きなくて、いらいらしていたことは事実だった。
実験室へ視線を向けると何も変化はなかった。デールに促され、銀色の扉と言われるものに向かった。この扉がどんな開き方をするのかも、見たことは無かっ
た。
胸がとくんとはねてくる。
見たことのない世界がこの先に広がっているはずだった。