手でちぎった一欠けらを残して残りを口へ押し込んだ後、手に残ったものを袋の中へ戻すと、陸はその袋をノインに渡した。
「食べてみてもいい? 」
ノインが訊いてくる。
陸は小さく頷いた。
訊く必要はないのに、と思う。この部屋のことは全てノインが決めていいのだろうと思った。
あんぱんごときと言ってしまえばそれまでだけど、誰の許可も得ず二つ返事でOKを出してくれた。それだけの権限があるのだろうと思う。
一欠けらのあんぱんを少しちぎり口に入れて、途端にノインは顔を歪めた。
「これ、甘すぎないか? 」
それは普通の意見だと思った。
「うん。甘いものの代表だよ」
甘いと一口に言っても、苦味が残るチョコや溶けるようなクリームとは違う。餡はしっかり口の中で甘味を主張する。
「陸の世界では、みんなこんなに甘いものが好きなのか? 」
「そういうわけじゃないよ」
すぐに否定した。好みは人それぞれだ。
「じゃあ、半分ぐらい? 」
訊かれて首を捻った。
「さあ……そんなこと知らないよ」
甘いものが好きな人の統計なんて取ったことはない。
「なんだ、陸は何にも知らないんだな……」
ノインが顔を曇らせた。
どっかの大学教授でもあるまいしそんなこと知るかよ。
そう喉まであがってきた言葉を陸は呑み込んだ。
「ねえ」
ノインに声をかけた。
「ん? 」
ノインは少し不機嫌そうな顔そのままを陸へ向ける。
「僕の世界の情報を集めたいんだよね?」
陸はノインの顔色をうかがうように下から見上げた。
「そうだよ」
そう言っていたはずだった。
「僕じゃ役に立たないよ。誰か別の人を連れてきた方がいいよ」
言いながら、ちくっと胸が疼いた。
嫌な役回りを誰かに、押し付けようとしている?
でも、何億もいる人間の中にはぜひやりたいなんてやつもいるんじゃないかと思う。英雄になれるとかいうし、狭い自由だけれど空調は万全そうだ。
「そうかもしれないけど」
ノインがため息をつく。
自分は許せても人に言われると頭にくる言葉がある。まさにそんな言葉に陸がむっと顔を歪めると、
「物言わぬ物をいくら集めても分からないし、話ができるってだけで我慢するよ」
ぱっと見がらくらばかりが入っているように見える箱へ視線を向けながらノインは言った。
「きっと、波長を変えれば他の人を呼び寄せることはできるだろうけど」
ノインが手を口元へ持っていき、難しい顔をする。
「何が来るか分からないから、あんまり冒険もしたくないんだよね」
言いながら、ノインは今度は視線をデールへ向けた。
――――何が来るか分からない?
そう思うと、陸の頭にふっと動物園で檻の中に入れられているライオンが浮かんだ。
もしあんなものが突然現れたら、嫌だどころでは済まないだろう。
「だから、それは、陸から情報を取り出して、分析して、それからだね」
ノインの言葉の後、突然後ろからデールの声が聞こえた。
相変わらず、訳のわからない言葉に、ノインが何か答えていた。そして、立ち上がると、机の脇にある小さな箱からヘッドホーンのようなものを取り出して、そ
れを、何かを言いながらデールに渡した。
その後、陸の方を向いて、
「まだ不完全だけど、これで少しはデールと話せるよ」
そう言うと、デールに視線で何かを促した。陸がデールの方を見ると、デールはヘッドホーンについているマイクを調節していた。
振り向いた陸に気がついてデールが口を開く。
「こんにちは? 」
聞こえた声は硬い作られたような音だったけれど、聞き取ることはできた。
「あ……」
返す言葉がなかった。
「分かりませんか? 」
デールが不安そうな顔をする。
陸はぶんぶんとかぶりを振った。
「僕が作ったんだよ。分からないわけがないだろ? 」
ノインが不満そうな顔をする。
「あなたが優秀だということは分かっています」
そう言いながら、デールが口元を緩め目を細める。
まるで駅のアナウンスのような言葉が堅苦しく感じたけれど、何か分からない言葉が飛び交っていることに比べたら、雲泥の差だと陸は思った。
「これを……一晩で作ったの? 」
少し科学が進んでいるどころの騒ぎじゃないと思う。
「いくら僕でも、それは無理だよ」
「あ、でも」
目覚めたら朝だった。
「今日で、五日目かな? 」
ノインがデールを見る。
「そうです」
デールの答えに頷いて、
「少し、薬で寝てもらっていたから陸は寝ていたけどね」
当たり前のように言った。
――――五日?
同じ時間軸上を動く世界だとノインは言っていた。だから、もうテストは返ってきていて――――五日も姿を見せなかったら親とか姉ちゃんとかはどうしている
のだろう。
こんなときに浮かぶのは三人の笑顔だった。
「ねえ、向こうの世界と連絡とか取れないの? 」
せめて無事でいることを知らせなきゃいけない。憎まれ口ばかりたたく姉は別としても、母さんは絶対心配していると思った。まだ中学生だった頃、帰りの電車
の中で寝
ちゃって、気が付いたら終着駅で折り返し反対方向の電車に乗ったのはいいけれどまた寝ちゃって、結局どこまで行ったのかは覚えていない、また反対方向の電
車に乗って、今度は寝ちゃいけないと思ったのに寝てて、でも、ちょうど降りる駅で気が付いて、電車を飛び降りてなんとか家に帰り着いたとき、母さんは目を
真赤にして抱きつ
いてきた。いつもは遅くても七時すぎに帰るのに、その時は十時を過ぎていた。晩御飯を食べずに待っていてくれて、警察に電話をすると受話器を持ってうろう
ろ
していたと姉に言われた。こんなことで警察沙汰はごめんだと散々姉に文句を言われて、それからは、電車で寝過ごしてしまったり、遅くなりそうなときは必ず
電話はしていた。もう、今では高校生だといっても、五日もいなかったら、どうなっているんだろうと思った。
「どうやって? 」
ノインが不思議そうな顔をした。
そんなこと分かったらノインに言わずに自分でやる。
連絡手段と言ったら、電話とか手紙とか電報とか無線とかモールス信号とか……。
「あ、手紙なら……」
物体を移動できるなら、できそうだと思った。
「まだ、やったことはないから、送れるかどうか分からないし、今までキーになっていた陸を呼び込んでしまったから、今度は呼び出すにしても、送るにして
も、どこがターゲットになるか分からない。つまり、どこへ届くか分からないよ」
「それって、どういうこと? 」
――――キーになっていた?
「それは、おいおい説明するよ。どこにどんな形で届くか分からない。それでも、陸の気が済むのならやってみるけど、なんて連絡するつもり? 」
無事でいますから、心配しないで。
そう文面を思い浮かべて――――そんな手紙で安心できるわけないじゃんと陸は思った。