あんぱんと消しゴム
あれ?
陸が手を伸ばした先に消しゴムが無かった。
顔をあげて見ても見当たらない。ついさっき、そこへ置いたはずだった。
「あと、五分だぞ」
教壇から声が飛んでくる。
――ちょっと待てよっ!
文句は心の中でしか言えなかった。
テスト中、あまりきょろきょろすることもできなくて、おそるおそる視線を机の下へ向けてみたけれど見当たらない。
隣のやつに貸してくれとも言えない。下手をすれば、カンニング扱いされてしまう。
――あああぁっ、もうっ
心の中で叫びながら、陸は頭をかきむしった。
たったひとつだけ直したいところがあった。『午』の上が飛び出している。
国語の担当である川西はやたら漢字にうるさいやつで、はねるところをはねないだけで×にしたりするから完璧でなければいけない。答えは分かっているから、
たったこれだけで、五点を落とすのは惜しい。
これで、連続首位の記録が破られるかもしれない。
中学時代からライバルの隆太郎とはいつも一問、二問の争いだった。こんな絶対に隆太郎が落とさないだろう問題を落とすのは絶対にマズイ。
シャーペンの先についている消しゴムごときじゃきれいには消えないし、答案を汚してマイナスなんてもらった日にゃ、泣くに泣けない。
――このさきっぽをきれいに消す方法
陸がそう頭を巡らせていたときに、頭上から高い鐘の音が聞こえてきた。
「はい、後ろから集めて」
二年生になって初めての中間テストの最終時間は最悪な終わり方だった。
「ただいま〜」
マンションの六階にある家に帰って居間に向かって声をかけると、陸は自分の部屋へ行こうとした。
「陸、ちょっとぉ」
いつもはおかえりで済むのに、珍しく居間から声をかけられた。
鞄を部屋に放り込んで、陸は着替える前に居間を覗いた。
「何? 」
「あんた、ここに置いておいたあんぱん食べた? 」
「へ? 」
今、帰ってきたばかりのやつに何聞くんだと思う。
「知らねえよ。あんぱんなんて食べるの母ちゃんだけだろ」
あんぱんよりクリームパンやチョコパンの方がいいし、それより、カップラーメンの方がもっといい。
「そうよねえ。でも、昼に食べようとしたらないんだもの。心当たりがあるとしたら、あんたしかいないじゃない」
父ちゃんとか姉ちゃんはあんたには見えないのかと言いたくなる。
「いつ、僕が食ったっていうんだよ」
今朝は、御飯にみそ汁だったし、だいたい、朝にそんな甘いものを食べたいとは思わない。
「じゃあ、誰よ」
「知らないよ、泥棒でも入ったとか? 」
あんぱんを取っていく泥棒なんて珍しそうだ。まあ、それくらいしか取るもんがなかったのかもしれない。
「そんなの、来なかったわよ」
いや、来たのが分かっていたらこんな暢気な会話なんかしていられない。
「気のせいじゃないの? もう食べちゃったとか」
それしかないと思う。
「そんなにボケてないわよ!」
途端に不機嫌になって、眉を潜めながら睨んでくる。
「でも、ないもんは仕方ないじゃん。忘れた頃に見つかるよ」
生ものだから、それじゃ遅いかもしれないが。
「もう、まったくっ!……変よねえ」
納得したようなしてないような、あいまいな返事を最後に会話は終わった。
「よかったじゃん。ダイエットになって」
言い捨てると、陸はすぐその場を去った。
「陸っ!」
険しい声が飛んできたけれど、それには無視をした。
いいじゃんあんぱんぐらい、と思う。
こっちはもっと死活問題だ。
結局消しゴムは見つからなかった。
隆太郎と答えを付け合せた結果、三点差で負けたことが分かった。まあ、担当の川西の採点次第っていうのもあるから、最終結果ではないにしても、陸は高らか
に笑った隆太郎の声が耳から離れなかった。
「くそっ」
消しゴムさえなくならなきゃ勝てた勝負だった。
陸は自分の部屋に入ると、ドアを閉めベッドの上に大の字になって転がった。
明日一日試験休みで、次の日には答案が返ってくる。あの胸糞悪い高笑いをまた聞くのかと思うと気分が悪くなってくる。
川西が気がつかなきゃいいのに、と思った。
でも、きっと、隆太郎が告げ口するだろう。こんな好機を逃すはずがない。
「どこにいったんだよぉ」
消しゴムは机の辺りをくまなく探し、ゴミ箱まであさったのに出てこなかった。
実は気に入っていた消しゴムだっりする。巨大サイズでどこにでも売っているものじゃない。でかいから消すときに超気持ちよかったりした。きれいに消える
し、ごみもすぐまとまるし、手にちょうど収まるサイズで文句がなかった。
でも、こんな一番大事なときに役にたってくれなきゃ意味がない。
気分の優れないまま陽は暮れて、そのためか陸は変な夢を見た。
大きなマスクをつけたやつに襲われて、手足をがんじがらめに縛られて、体中に変なものをつけられて、じたばたもがいてみるけれど、感覚はすごくたよりなく
て、まあ夢だから仕方ないか、そう思った。
目が覚めたとき、視界には白い天井が広がっていた。
それはいつもと同じはずなのに、何か違和感を感じた。
「あれ、目覚ましは? 」
頭ははっきりしない。部屋の明るさから陽はもう高いだろうと思うのに、目覚ましの音を聞いた記憶も止めた記憶もない。
「ああ、そうか……」
今日は休みだから目覚ましをかけなかったかもしれない。自己解決して、また眠りに落ちようとした。
「お目覚めかな? 」
聞きなれない声がして、体を起こすと視線の先には自分がいた。
「え? 」
陸は思わず自分の体を確かめてしまった。
両手で触りまくると、手も体も足もちゃんと感覚がある。
「ようこそ、パラレルワールドへ」
目の前の自分がにっこりと笑った。