署内は暗く静まり返っていた。それは平和だということで望ましいこのなのだろうと陸は思った。
いつもは部屋の前で待っていた。入ることが許されなかった部屋のドアを大塚さんが開けた。
「さあ、入って」
大塚さんに促されて陸は頭を軽く下げると中に入った。
広い部屋にはいくつもの机が向かいあわせの島になって並んでいてその上には無造作に書類が積まれていた。部屋の端にひとつ大きな机があって、そこにパソコ
ンに向かう大輔
の姿があって、その姿はいつも見ていた姿より小さく見えた。
――大輔さん
久しぶりの姿に陸は胸が熱くなった。
「大輔」
大塚さんが呼ぶと、顔をこちらへ向けてくる。目があって、大輔は固まったように見えた。
「一人補導してきたの、お願いしていい?」
大塚さんの確認に、大輔は大塚さんに顔向け口を開けかけ、けれど声は出さなかった。
「こっちへいらっしゃい」
大塚さんが手招きをしてくれて、陸が行くと大輔の席の横へパイプ椅子を広げてくれた。
「お昼をまだ食べてないって言うから、出前取るけど大輔も同じものでいい?」
もうひとつ問いかけた大塚さんに大輔は小さく咳払いをすると、
「ああ」
と小さく答えた。
「じゃあ、ちゃんと話を聞いてもらうのよ」
大塚さんは念を押すように言ってくると、
「大丈夫だから」
そう続けて小さく笑った。
部屋を出ていく大塚さんを見送って、陸が大輔の方へ身体を向けると、大輔は前を向いたままノートパソコンの蓋をパタンと閉めた。そのまま、顔を前に向けた
まま、
「なんで、こんなところへ連れてこられたんだ」
そう大輔は言った。
小さく低い声は非難されているように陸は感じた。
「僕は……最初は、大輔さんを身代わりにしたのかもしれない」
そんな意識はなかったけれど、違うとは言えなかった。
大輔の身体がぴくっと反応したように見えた。
「……そんなことを……わざわざ言いにきたのか?」
顔を逸らしたまま答えてくれた大輔の声は震えているように聞こえた。
「大塚さんに、悪いことをしたのなら、それを認めて償わなきゃいけないって言われたんだ。大塚さんはあの時僕が罪を犯したと誤解してるんだと思う。だけ
ど、もし、大輔さんがそう思ったのなら、そのことを僕は償わなきゃいけないと思う」
大輔が許してくれると言うならなんでもする気持ちはある。
「別にお前が悪いわけでもなければ、それは償ってもらうことでもない。香織の誤解だと分かっているなら、誤解だとそういえば良かったんだ。そうすればこん
なとこ
ろに連れてこられたりはしなかっただろ? もう話はいいから、香織が取ってくれた出前でも食って帰れ」
大輔は顔を背けるようにして席を立とうとした。
「また、置いていくの? 」
目蓋が熱くなって、陸は涙が溢れてきた。
あの時も、ろくに話を聞いてくれないまま、大輔は部屋を出て行った。また、あの時と同じになってしまうなら、自分が来た意味はなくなる。
視線を向けてきた大輔は天を仰ぐように息を吐くと、席に座り込んだ。
「もう、話すことはないはずだ」
相変わらず前を向いたままだったけれど、大輔の声は優しくなった。
「大輔さんは、僕に何も言わせてくれなかった」
あの時は、何も言えぬまま背中を見送ることしかできなかった。
「聞いただろ。最初から最後まで。お前が向こうの世界へ行ってから帰ってくるまで」
「その先のことは何も言わせてくれなかった」
大輔が聞きたいと言ったことは話した。でも、自分が言うべきことは言わせてもらえなかった。
「必要ないだろ? 俺も知っていることだ」
それは、実際に起こったことだけだ。
「僕の気持ちまでは分からないでしょう? 」
陸が聞くと、大輔は顔を伏せてけれどすぐ天を仰ぐように顔をあげ、息を吐く。
「それを、聞けばいいんだな」
大輔は確認するように言うと、背もたれに寄りかかり椅子に深く身体を沈めた。
陸は少し躊躇った。
――分かってもらえなかったらどうしよう
だけど、今の状況を変えたいなら話すしかなかった。
「……大輔さんの笑った顔が好き、困った顔が好き、怒った顔も、切なそうな顔も全部。声も好き、仕草も、匂いも、大きな手も胸も、優しく抱きしめてくれる
腕
も……あと何を好きになったら大輔さんを好きだって認めてくれる?」
何を言われても好きだと言える自信はあった。
「それはお前の好きなやつに似てるからだろ? 瓜二つなほど」
大輔がため息交じりに答える。
「違うって思ったときもあったよ」
あの時はがっかりした。
ゆっくりと大輔が見てきて、視線があった。
「違うと思ったことがあったのか?」
訝しげな顔をする。
「うん」
陸は頷いた。
「いつ?」
「遊園地に行って、ジェットコースターに乗った時」
忘れようと思ったのに、しっかり覚えていることだった。
大輔は何かを思い出すように目を細めた。
「お前の機嫌が悪くなった時か」
「ごめんなさい。そうかもしれない」
確かに楽しくなくなった。その時、大輔に自分がどう写ったかは分からない。
「でも、違うって分かってもそんなことどうでも良かった」
陸は続けた。
分かっても傍にいたいと思った。
「どうでも良かったのか?」
大輔が聞き返してくる。
「うん、だって」
陸は大輔の膝の上から大輔の手を取って両手で包んだ。
「だって。こうやって触れているとすごく温かい気持ちになってくる。傍にいるとほっとする。こんな気持ちになれるのは大輔さんだけだから……」
久しぶりに触れた手のぬくもりは温かかった。離したくなかった、ずっと握っていたかった。優しい言葉も温かい視線がなくても、ぬくもりだ
けは以前のまま変わらなかった。
振り払われたら嫌だと陸はぎゅっと握り締めていた。大輔は何も言わず、ただされるがままでいてくれて、しばらく沈黙が流れた。
「……年明けて少し経ったころかな、環から電話があった」
ぼそっと言った大輔に、陸は顔を上げた。
「呼び出してきて、あいつは何て言ったと思う?」
大輔の問いかけに陸は頭を振った。そんな話は聞いていない。
「店の隅に連れていって、陸が振られたってここで泣きじゃくってた、って言うんだ」
言いながら大輔は指で涙を拭ってくれた。
「俺はしばらくその場から動けなかったよ。俺が辛いのは構わない。でもお前には辛い思いをさせたくはなかった。お前を傷つける前にと思ったことがお前を泣
かせたと思ったら、苦しかった」
大輔が顔を歪める。
「好きな人から忘れろって言われて……辛くないわけないじゃん」
そんな簡単な気持ちじゃなかった。
「すぐに忘れると思ったよ」
「そんなわけっ……ないじゃん」
涙が頬を伝う。
「もう、泣くな」
大輔が悲しそうな顔をした。
「だって」
あふれ出したものの、とめ方を知らなかった。
「あんな酷い目にあわされても、お前はべそひとつかかなかっただろ?」
「そんなのっ……知らないよ」
涙なんて、出したいわけじゃない。
「どうしたら、その涙は止まる?」
大輔が顔を覗きこんでくる。
「キスしてくれたら」
そんなこと分かるわけがないから、好きなことを言った。
「ここでか?」
大輔が困った顔をする。
陸が頷くと
「泣き止んだら、後でしてやるよ」
そう言って、大輔は頭を撫でてくれた。
「ホント?」
陸が顔を上げると、
「てきめんなんだな」
と言って大輔が笑った。
頬を伝うものはあったけれど、溢れてくるものは不思議と止まっていた。