家族でTVを見ながら、除夜の鐘を聞いて、年越しそばを食べて、いつもと同じように大晦日は過ぎていった。
すりガラスでもないのに白く曇って外が見えない窓は、外が寒いことを示していて、大輔はこの寒い中外を回っているのかな、と思うと陸はちょっと切なくなっ
た。
環と会って話して、確かに楽になった部分はあった。
人を好きになって悩んでいるのは自分だけじゃない。
そんな基本的なことも見えずにいた。
切ない思いと苦しい思いと、その中で大輔の笑顔を思い出せばふっと弛む気持ちがあって、いつになったらこの沈んだ気持ちから抜け出せるのだろうと陸は思っ
ていた。
別れを切り出された時、何も言わせてはもらえなかった。
もし、何か言えていたら未来は変わったのだろうかと思ったりする。どうせだめなら同じこと、言いたいことをぶちまけた方が気持ちの整理もつくかもしれな
い。
でも――。
何度も大輔に会いに行こうと思ったけれど、勇気をだせるのは改札までで、その先へ足を踏み出すことはできなかった。
年が明け、一ヶ月が過ぎた頃、陸は家に帰ろうと校門を出た時に学校の前で見覚えがある車に気づいた。よくお世話になった大塚さんの車と同じだった。ただそ
れだけで、大塚さんと繋がる大輔の顔が浮かぶ。
時間は確かに薬なのだろうと思う。常に心の中を占めていることはなくなってきていた。けれど、静かな部屋で一人で居るときや何かに触れて思い出す。
スーツ姿の人を見れば思い出し、交番の前を通れば思い出す。ショートケーキやろうそくや焼きうどんやカレー。通り過ぎてきた思い出は全て大輔に繋がった。
「だめだな……」
忘れることなんてできなくて、なのに、足を踏み出すこともできない。だめで元々だと思いながらも、失ったのだと確認することは怖かった。
「陸くん」
そう不意に呼ばれて、声がした方を見ると、さっき目に止まった車の中から大塚さんが手を振っていた。
――え?
まさかこんなところで出会うと思っていなかった。
「何ですか?」
陸は車に近づくと中を覗いた。
「カツ丼奢るから付き合ってくれない?」
大塚さんが口元を緩める。いつも明るい人だった。その明るさにはほっとするものがあった。
土曜日の放課後、隆太郎たちはサッカーをすると学校に残っていた。陸はその気にならずに一人学校を出てきた。だからといって、したいことや行きたいところ
があるわけじゃない。
「いいですけど」
断る理由もない。大塚さんにはお世話にもなっていた。
「じゃあ、乗って乗って」
ドアを内側から開けてくれる。
「お邪魔します」
そこは座りなれた助手席だった。
「家に連絡入れなくて大丈夫?」
陸がシートベルトを締めていると大塚さんが聞いてくる。
「うん、大丈夫です。土曜日は遊んで帰ることもあるって言ってあるから」
夜遅くなるなら連絡も必要かもしれないが、夕飯までに戻れば大丈夫なはずだ。
「そう、じゃあ車出すわよ」
大塚さんに言われて、
「はい」
陸は頷いた。
久しぶりの大塚さんとのドライブだった。
「どこに行くんですか?」
まったく予想がつかない。
陸が聞くと、大塚さんの顔が変わった。
「うちの敏腕刑事が使い物にならないの」
大塚さんがため息をつく。大塚さんのぼやきを聞くのは初めてだった。
「それは大輔さんのこと?」
自分に言ってくるのだからその人しかいないとは思っても一応確認した。
「そうよ。誰も分からないわよっていうようなミスを指摘してくる人が簡単な誤字脱字を見過ごすし、計算ミスしたり」
――大輔さんが?
「自分の席には必要最低限しか座っていなかった人が一日中席に座ってぼんやりしていたり……それで何してると思う?」
大塚さんがちらっと見てくる。
大輔が何をしているか、と聞かれても陸には何も想像できなかった。
「何をしてるの?」
陸が聞き返すと、
「あなたの名前だけ入った調書をぼんやり眺めてるの」
――え?
それは意外だった。
「それで、することといえばため息をつくばかり」
「大輔さんが?」
信じられなかった。
「このところの大輔の不調はあなたに係わりがあると思うんだけど、心当たりある?」
問いかけられて、陸は顔を伏せた。まさか自分のために、なんて有り得ないと思う。
でも――。
「あなたは大輔に放っておかれてると思ったかもしれないけど、大輔なりにあなたのことは凄く気にかけてたのよ。何か話したいことがあるんだろうって、私に
私の方が話しやすいかもしれないから聞いてやってくれと言われていたし、でも、あなたには大輔にしか話す気はなかったみたいだけどね」
「……ごめんなさい」
謝罪の言葉が口から出る。
大塚さんには色々世話になったし、気にかけてくれていたのも分かっていた。
「で、大輔には話したの?」
直球で聞かれて陸は答えられなかった。
「図星みたいね」
大塚さんが当然のように言う。最初からそう思っていたのだと陸は思った。
「大輔があれだけ悩んでるってことは何かあったってことよね?」
確認するように言われて、陸はまた答えられなかった。
話して信じてもらえるとも思わないし、話したくもなかった。
土曜日の昼時は車もすいていて、町並みが窓を流れていく。
陸が口を開かずにいると、しばらく沈黙が流れた。
「ねえ、陸くん」
大塚さんの声の調子が柔らかくなった。
「あなたが今の生活を捨てられないと思う気持ちは分かるし、大輔もだから悩んでいるのだと思う。あなたはいい子だと思うし、この先問題を起こすこともない
と思うわ。でもね」
大塚さんは一旦言葉を切ると、ちらっと見てくる。
陸は思わず視線を逸らした。
大塚さんは誤解しているんだと思った。何も言えないことに自信を深めたのかもしれなかった。けれど、その誤解はどう解いたらいいのか、全てを話さなければ
いけないのなら、それは嫌だと思った。
「悪いことをしたのなら償わなきゃいけない。誰も分からなかったとしても、あなたは分かっているのでしょう? けじめをつけなきゃ、いつまでも胸の中に
残ってきっとあなた自身苦しむことになるわよ」
大塚さんがゆっくりと言葉にしていく。その言葉は今の自分にも重なってひとつひとつ胸の中で解けていった。
そんなつもりは無かったけれど、結局身代わりにしてしまったことは大輔を傷つけたに違いなかった。
「大輔はね、信頼できるやつよ」
大塚さんが膝をぽんと叩いてくる。
「あなたの件だって、学校が休みの日のまっ昼間に高校生の子供がいなくなったって言われたって、親の目を盗んで遊びに行っただけだって思うじゃない。電話
を取ったやつはそう言って陸くんのお母さんにもう少し様子を見てくださいって言ってたの。でも、なかなか陸君のお母さんは納得してくれなくて、そんな時
会議から帰ってきた大輔が俺が話だけでも聞いてくるよって……わざわざ行くことないんじゃないの? って私も言ったんだけど、結局あなたはすぐ帰ってきた
ん
だし。でもね、大輔は話を聞きにいけばそれだけで安心するだろうって。そんなに暇な人じゃないのにね」
大塚さんがくすっと笑う。
前の交差点の信号が赤になって車は止まった。
「だからね。あなたが償いたいって言ったら、きっと、大輔はあなたにとって一番いいと思われる方法を取ってくれると思うの。悩んでる大輔の背中を押せるの
はあなたしかいないのよ。あなたは本当に今のままでいいと思う?」
大塚さんが顔を覗きこむようにしてきて、いいの? と目でも問いかけてくる。
――本当に今のままでいいと思う?
陸はそう言った大塚さんの問いかけが耳に響いていた。