ことん、と乾いたような音が聞こえた。
はっと浮上した意識に自分は寝ていたのだと陸は思った。
「大輔さん?」
抱いてくれていたはずの人がいなかった。
顔を上げると大輔はベッドの縁に座っていた。

「大輔さん?」
もう一度呼ぶと、びくっとしたように大輔は後ろを向いた。
「どうしたの?」
そのまま朝まで抱いていてくれると思っていた。
話が終わった後で、大輔は「陸」と小さく名前を呼ぶとぎゅっと抱きしめてくれて、気持ちは変わらないと言ってくれたのは本当だったと安心した。
心地よい腕の中で眠ってしまうのは勿体ないと思いながらも、浮遊しているような意識はたぶんそれほどの時間保っていなかったのだろうと思う。
今が何時かはわからなかった。ただ、カーテンが開いたままで見える空は暗くて日の出はまだまだ先に思えた。

「陸……」
大輔が呟くように言う。その声は寂しげに聞こえた。
「どうかしたの?」
陸は少し身体を起こした。意識が落ちる前自分を抱いてくれていた時とは何かが変わった気がした。
「お前が話してくれたから、全部疑問は解けたよ。初めて会った時の切なそうな顔も、鑑識の結果も……」
「鑑識の結果?」
パジャマについていた血?
それしか思いつかない。
「調べたやつは頭を捻っていた。誤差範囲といえば済むかも知れないが、どうしても気になるとね」
「誤差範囲?」
初めて聞いた話だった。
「そうだ。10年前だったら同一人物で済んだだろうが、今の精度ではほんの少しのずれが見えると言っていた。どう見るかと聞いたら、同一人物だと言うやつ はいるだろうがそれは断定できないと言っていた。天文学的数字の中で一つあるかないかの奇跡かもしれない、とな」
大輔がため息をつく。
「それに」
また息をついて。
「お前が好きなのは俺じゃなかったんだな」
そう言った大輔の突然の言葉に陸は身体が固まった。
「……そんなことないよ。僕が好きなのは大輔さんだよ!」
目の前の人を躊躇いもなく好きだと言えた。
「同一人物と判断できるほどなら瓜二つなほど似ているんだろう。 お前は俺を見ながらそいつを見てるんだよ」
「違う!」
陸は布団を握り締めて頭を振った。
確かに最初惹かれたのは似ていたからだった。けれど、今の心の中には大輔しかいなかった。
「そう思いたいのかもしれないが、俺はお前が好きになったやつじゃない。お前が辛く寂しい時に支えてやったのは俺じゃない」
「だけど――」
どう言ったら分かってもらえるのだろうと思う。頭をめぐらしても何も浮かばなかった。
「大丈夫だよ、陸。お前にはちゃんとお前に相応しい人が現われるよ。もともと俺達は会うべきじゃなかったんだ」
「嫌だ、そんなの」
大輔の言葉はまるで別れの言葉に聞こえた。
「お前の行った世界はどうだったか知らないが、ここでは男同士がパートナーになるのは厳しいことも多い。俺とお前は別の道を行くのがいいんだ」
大輔がゆっくりと諭すように言う。
「それ、どういうこと?」
言葉通りにはとりたくなかった。
「陸、お前の幸せを願えるうちに終わりにしたいんだ」
「嫌だよ! そんなの!」
終わりにしたくて話したわけじゃない。
「傷は浅い方がいい。お前の為にも俺の為にも」
「嫌だよ、そんなの……」
陸は心臓が締め付けられるように痛くなってきた。幸せだと思っていたのは、たった数時間前で、その時はこんなことになるとは思わなかった。
「彼のことは思い出にするといい。人をそれだけ好きになったことはどこかで陸を助けてくれる」
「やだ……」
大輔の言うことを素直に聞きたくなかった。
「俺のことは……忘れろ。俺もお前のことは忘れる」
「嫌だ!」
陸は叫んでいた。
「お前は若いからすぐに忘れられるよ」
そんな言葉は慰めになんかならない。
「……気持ちは変わらないって言ったじゃないか」
そう言われたから話したことだった。
「だから……だから陸。お前に幸せになって欲しいんだ」
「僕が……僕が幸せだと思うのは大輔さんと居る時だよ?」
傍に居たいと一番願う人だった。
「お前が居たいのは俺じゃない。お前は俺で代用しようとしているだけだ。偽者は本物にはなり得ない。お前もそのうちそのことに気づく」
「ちがっ……」
否定したかったのに、陸は言葉が止まった。口は震えていた。代用しようとしたつもりは無かった。だけど、それを違うとはっきり否定することはできなかっ た。
目の前に居る人はそれほど似ていた。
突然、テーブルの上の携帯が鳴った。
大輔がすぐに取ると、応える。
「はい」
短い返事。
その後少し沈黙があって。
「分かった」
そう大輔は言うと、ラインを切った。
「俺は署に戻る」
すっと大輔はベッドから立ち上がった。
「何かあったの?」
連休を取ったと言っていた。
「お前には関係ないだろ」
背中を向けたまま答えた大輔の声は冷たく感じた。
「大輔さん」
呼んでも返事はしてくれなくて、シャツをはおるとネクタイを締めスーツに身体を通す。
行ってしまうと思っても、陸は何も言えなかった。
署に戻るということは仕事で、それを自分に止める権利はない。
「大輔さん?」
このまま別れたくはなかった。部屋を出て行こうとする大輔に、何か言って欲しかった。
立ち止まった大輔は背中を向けたままで、そのまま行ってしまうと思ったのに、振り返り戻ってきてくれて、覆いかぶさるように抱きしめてくれた。
「大輔さん……」
陸は背中へ腕を回した。許されないことかもしれないけれど、離したくなかった。
「雑炊の残りはコンロの上にある。冷蔵庫の中のものは好きに食べていい。明日は適当な時間に帰れ」
耳元で囁いた声はいつもどおり優しかった。
「うん」
陸は素直に頷いた。
けれど。
「俺はしばらく家には帰らない。お前が帰るとき……鍵はポストの中に入れておけ」
次に告げられたのは、頷けない言葉で、
「陸、お前の幸せを願ってるよ」
続けられた言葉にも陸は答えられなかった。
この手を離したらもう会えなくなってしまうかもしれないと思うと離したくなかったのに、大輔の力には敵わなかった。
「嫌だ……」
このまま終わりにはしたくなかった。
けれど、何も言わず離れていった大輔は視線を避けるように後ろを向くと部屋を出 て行き、
「大輔さん!」
叫んでも答えてはくれなかった。
しばらくして玄関のドアの音がして、遠さかっていく足音はかんかんと甲高い音をさせながら階段を下りていった。
「大輔さん……」
呼んでも薄暗い部屋に答えてくれる人はいなかった。

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