「なんでこんなに遅くなったの?」
居間のソファで向かいあった母が時計を示す。
時計の針は九時をとっくに過ぎていた。
「えっと……色々あって」
まさか正直に話せるわけがない。
「何よ、色々って」
突っ込んできた。
簡単には許してくれそうもなかった。
「陸も年頃なんだからさあ、色々あるわよねえ〜」
ダイニングテーブルに座って携帯を弄っている姉が暢気そうな声を出す。いつもはまだ帰っていない時間なのに、今日は早かったらしい。
「あんたには何も聞いてないわよ!」
母は姉に向かっても尖った声を上げていて、姉が困ったように首を竦めた。
母は向き直ると、
「陸、ご飯は?」
と聞いてきた。
「食べてない」
少し摘んだ程度だった。
「まったくっ!」
母は吐き捨てるように言い睨んでくると、席を立って台所へ行った。
母の背中を視線で追い、
「何かあったの?」
陸は小声で姉に問いかけた。
「さあ?」
姉は相変わらず暢気な声で返事をしてくる。
「あんたが遅いからじゃないの? 駅まで迎えに行った方がいいかしらってうろうろしてたし。警察から電話かかってきてたみたいだし」
「警察?」
そんな電話がかかってくる覚えはない。
「あの、柏っていう刑事さん?」
――あ!
「あんたは二度警察にごやっかいになってる前科があるからね」
姉はあくまで携帯を弄りながら答えてくれた。
「そんな、人聞き悪いこと言うなよ」
まるで悪いことをしたみたいだ。
「心配はかけてるでしょ」
姉がちらっと見てくる。陸は反論ができなかった。
台所から出てきた母はテーブルに夕食の品を並べ、自分にお茶も入れてきていた。
「食べながら、聞かせてもらうわよ」
そう言うと、母はお茶を一口飲んだ。
長期戦の準備は万端という風情だった。
とりあえず陸は頂きますの礼をして箸を取った。
何をどういえばいいのか――下手なことを言って墓穴を掘ることだけは避けたかった。
「何も言わないなら、こっちから聞くわよ」
じれた様子で母が言う。
「ん、うん」
あまり歓迎できないけれど、言い訳も思いつかなかった。
「学校で何かあったの?」
「ううん。普通どおり」
これは下手なことを言って担任に電話されたらマズイ。
「じゃあ、なんで遅くなったの?」
母が不満げに言う。
陸はその時の状況を頭に思い浮かべた。
全ての始まりは改札で早紀に会ったことだ。
「友達が失恋して……」
友達じゃないけど、この際それくらいは誤差範囲で済ませたい。
「それで?」
「すっごい落ち込んでて、みんなで慰めてたんだ」
そういうことにしておきたい。
「それでこんなに遅くなるの?」
母が時計へ視線を送る。
それから?
「誰かがこういう時はストレス発散するのがいいって言って」
「で?」
母の声が険しくなる。
「カラオケでちょっと盛り上がっちゃって」
結局、そういうことだ。
「それで、この時間?」
母が時計を指す。
「みんなストレスたまってるみたいでさ。マイクの取り合いだったよ」
事実は早紀の一人舞台だったけれど、これぐらい着色しないと許してもらえないだろうと思った。
「もうすぐ中間テストも始まるしさ」
だめ押しに一言付け加えた。
「……そうよねえ」
母がため息をつく。
「今回は大丈夫なの?」
「うん!」
返事は元気にした。危ないなんて言ったら行動を制限されるかもしれない。
「前回は危なかったでしょ?」
「ん、あの時はね」
夏休み後の期末テストの結果にはらはらさせられた。
数学理科系と英語は実力ごとにレッスンを分けられるグレード制になっていて、中学から一番上のクラスを維持してきたのに、前回は危なかった。
ぎりぎりの本当のぎりぎりでレッスン落ちは避けられたけれど、今回も同じような結果だと塾に行けと言われるかもしれない。塾に行けば当然自由になる時間も
減る。
「今回は大丈夫だよ」
成績が落ちれば大輔にも何か言われそうだし手は抜けない。
話が触れられたくないところから逸れたみたいだと、陸は味噌汁に口をつけた。
甘味噌の柔らかい味が口の中に広がる。
「で、柏さんは何だって?」
え、っと思ったら陸は味噌汁をごくんと飲み込んでいた。
「……えっと」
会いたかったと大輔は言ってくれた。
「言えないこと? 」
母が不審そうな顔をする。
言えないよ、と言ってしまえればどれだけ楽だろうと陸は思った。親に聞かれたからって素直に全て答えなくてもいいはずだ。
でも、そうしたら母は大輔に直接聞くかもしれない。相手を知っているだけにないとは言えない。
とりあえず、何か言わなきゃいけないと思った。
ただ、一緒に居たいだけだった。
「……僕、大輔さんに憧れてるんだ」
そう、とても。
「それで? 」
母が怪訝そうな顔をする。
それで?
「それで、将来、大輔さんと一緒に……仕事ができればなあって」
役に立つことができればいいなあ、とは思う。
「刑事になりたいって言うの? 陸に務まるわけがないじゃない!」
母は眉を顰め、断言した。
刑事になるなんてことは考えていない。
「えっと……だから……」
言葉はしどろもどろになった。
「鑑識とか科学班とか? 」
確かそんな部署があったように思った。
「そういう表に出ないところでも色々あって、だから、そういう話を色々聞いていて……」
「それで?」
それで?
「今度見学されてくれるっていう話があって」
以前大輔を待っていた時に、署内の見学なら勝手にやっていた。
「それで?」
「いつなら大丈夫かその日を聞きたいって……」
「こんな時間に?」
母が時計を指す。
「でも、大輔さんが電話してきたのはもっと早かったんでしょ?」
大輔の冷たかった手はそれなりの時間待っていてくれたのだと思う。
「それはそうだけど、駅で待っていたわけ? こんな時間まで? あんたの為に?」
矢継ぎ早に聞かれて、陸は答えに困った。
「大輔さんは真面目だから、きっと気にしててくれて、だから……何かついでがあったのかもしれないし」
「ついで?」
「うん。誰かの家に様子を見に行ったとか、それで、そういえばうちがこの近くだって思いあたったとか……忙しい人だから僕だけの為だったわけじゃないと思
うよ。見回るのも仕事のうちだし」
夜未成年がうろうろしていたら家に帰らせるのも仕事だ。
「そうなの?」
母はまだ納得していないようだった。
「大輔さんに聞いたわけじゃないから分からないけど、何かあったんだよ、きっと」
陸はここで話を終わらせたかった。
「いいじゃない。一緒にいたのは野郎ばっかみたいなんだしさ」
姉がなぜか庇ってくれた。
「だけど」
母は不服そうだった。
「どうするのよ、陸が18歳の父になったら。そんなこと考えたら、いいじゃないのカラオケぐらい、将来何になりたいか考えるなんて健康的じゃない」
姉が携帯の蓋をパタンと閉める。
「なによ、突然。やめてよ、18歳の父なんて」
母は眉を顰めた。
「分からないよ。陸の同級生の茜ちゃん、母になるらしいよ」
「ええっ?」
母は大声を上げ、
陸は反対に声がでなかった。
一呼吸して。
「ホントに?」
陸は姉に向かって聞いた。
ちらほらそんな話を聞かないわけじゃないけれど、名前と顔を知っている程度の子の話は聞いたが同級生は初めてだった。
「ホントよ」
姉が得意げに言う。
「で、どうしてるの? 茜ちゃん」
母は席を立って姉の方へ行った。
興味は完全に持っていかれたようで、ダイニングテーブルに顔をつき合わせて、母と姉があーだのこーだの言っていた。
陸はほっとして、一口味噌汁をすすった。
母が納得したのかどうか分からないけれど、今日はこれで無罪放免らしい。
もう味噌汁は冷えていたけれど、それよりも深く追求されなくて良かったと思った。
恋人だと紹介できればいいことだけれど、それはできないからそれなりの問題は起きてくる、これからも、きっと。
――しょうがないよね
心の中で愚痴る。
それでも大輔の一番近いところにいたいのだから。