改札を出てみたものの、陸は足が前に進まなかった。
右へ行けば大輔の職場で左へ行けばアパートだ。
「どうしよう」
陸は手の中に握っていた早紀に渡された鍵を見た。早紀と別れてからこの鍵を大輔に返すことしか考えていなかった。
これを見たら喜んでくれるかなと思ったけれど、まったくの私用で仕事場に行くのは迷惑かなと急に思えてきた。会えるかどうかも分からない。他人に言付ける のは躊躇われるものだ。
電話で伝えるだけでもと思っても、その電話をいつかけていいのか分からない。
「やっぱり」
陸は足をアパートに向けた。
テーブルの上に置いておいてメモを付けておこうと思った。渡した時の顔が見たかったけれど仕方ない。また以前のようにアパートに行っていいか聞こうと思っ たけれど、それもお預けかなと思う。
自分を見て欲しくて必死だった頃は通いつめたところが今は遠く感じる。
プライベートの方が強くなってしまったのだから、近くをうろうろすることを躊躇う。
距離が近づいたのは嬉しいけれど、それだけ制約もできたみたいだった。

日は既に落ちていた。
道路から見たアパートの大輔の部屋は暗くて、まだ帰っていないのだろうと陸は思った。
アパートには来るなと言われていたけれど、
「……いいよね」
ちゃんと理由がある。
陸は手の中の鍵を確認した。
手に持っていた鍵を鍵穴に挿すとそれはぴったりはまって、回すとカチャリと音がした。嘘だとも思わなかったけれど確認もできた。
中に入ると真っ暗で、けれど風を遮られたからか暖かく感じた。電気をつけて靴を脱いで上がると、自分のたてる物音が部屋に響く。季節が違うからか、以前来 ていた時の比べて部屋の中が暗く寂しい気がした。

とりあえず奥の部屋へ行き、テーブルの前に腰を落とすと、鞄の中からレポート用紙と筆箱を取り出した。
「なんて書こう」
早紀さんから鍵を返してもらった、とか?
「駅で待ち伏せされてて、とか入れた方がいいかな?」
偶然は有り得ない。
早紀は制服で学校が分かったのだろうと思うけれど、陸にしてみれば早紀の情報は何一つ持っていなかった。
「いいや」
『早紀さんが鍵を返してくれました。 陸』
レポート用紙に一気に書いた。
「後は、会った時に話そう」
大輔の反応が見たい。
「こんなことなら、さっさと僕のこと言っちゃえば良かったのに」
愚痴がでる。こんなに簡単に返してもらえるものだと思わなかった。
ただ、大輔が巻き込みたくなかったというのは分かる。関係がばれてしまうことはあまり歓迎できることじゃない。陸自身誰にも言えないと思っていた。

「早く帰ってこないかな」
でも、きっとそれは無理で。
「寝ちゃおうかな」
疲れて寝ちゃったと言えば遅くなっても許してくれそうな気もするし、少しぐらい怒られてもいいや、と思ってくる。
テーブルの腕で腕枕をして、その上に頭を乗せて、陸はテーブルの上の鍵をつまみ上げた。
「こんなもののために……」
この一ヶ月は振り回された。
「これって、大輔さんがあげたのかな」
チェーンの先にシンプルな銀色の指輪が光っていた。
「贅沢だよ。こんなものまで貰っておいて」
陸は何も貰ったものはなかった。
まったく無いとは言わないけれど、すべてお腹に収まってしまっていた。
「どうしよ……」
暇だった。
勉強を始める気にはなれなかった。
「一人でエアコン入れるのもなあ……」
初めは暖かく感じた部屋の中も慣れてくると、冷えて感じた。
「いつ帰ってくるか分からないし」
夜勤もあるらしいが、スケジュールは知らない。
「どうしよ……」
お腹は空いたと訴えかけてくる。
「たこ焼き食べれば良かったな」
今思っても完全に後の祭りだ。部屋に何か食べるものがあるとも思わなかった。
「帰るしかないか」
寂しく思えるのは季節の所為だけとも言えない気がした。一人で待っていることに慣れていたはずなのに、大輔がいないことが不満に思えた。

メモの上に早紀から貰った鍵を置き、陸は電気を消すと自分がもらった鍵でドアの鍵をしめた。
来た時よりも風が冷たくなっているような気がした。季節は冬に向かっていて、陽が落ちた後は容赦なく冷やされる。帰りが遅くなるつもりはなかったからコー トは着ていなかった。
道にでると冷たい風が頬が撫でる。
身体だけでなく胸の奥まで冷やされそうだと思った。
「早く帰ろ……」
そう思いながらも、駅までの道はよく足が止まった。
もしかしたら帰ってくるかもしれない。ほんの少しの行き違いだったと後で分かったらショックだ。
なのに、こんな時は駅が近くて、改札を通ってからも振り返って見たのに、大輔の姿は探せなかった。
結局大輔からの電話待ちになりそうだ、と陸は思った。
ただ約束した日には言い訳ができない状況にはなったわけだから、ひとつの不安は消えた。

電車に乗っている間は暖かくて、駅に着くと風は一段と冷たく感じた。
後はぼんやりしていてもいつの間にか家まで着く通いなれた道だった。会社帰りなのかいつもよりは少し人通りが多いなと感じた道を歩いていくとマンショ ンの入り口が見えて、
――え?
いつもとは違うその景色に陸は足が止まった。

道の端に腕組みをしながら立っている人がいた。
――大輔さん?
街灯だけでははっきり確認できなくて、陸はどきどきしながら近づいた。こんなところに立っているはずはない人だった。
「陸?」
気づいた大輔が声をかけてくる。スーツにコート姿なのは仕事帰りなのだと思った。
「どうしたの?」
こんなことなら、大輔のアパートになんか行かずにまっすぐ帰ってくれば良かったと陸は思った。
「お前に会いたくなったから」
――え?
大輔が口にした言葉は、これは夢かと思うほど意外なものだった。

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