目標ができると日常まで楽しくなる。
陸はカレンダーの中間テストの最終日にでっかい★印を書き、母には大輔がご褒美をくれるから泊まってくると、まだ一ヶ月近く先のことを承諾させた。
後は自然に流れていく時間を待つだけだった。

その半分が過ぎた頃、陸は学校の最寄り駅の改札で知った顔を見た。
その人は陸を見ると厳しい顔をして近づいてきた。
「久しぶりね」
早紀の声は震えていた。
「こんにちは」
陸は小さく頭を下げた。
「少し話がしたいのだけれど……」
早紀に言われて、陸は来たか、と思った。
正直、大輔といつどこで会っているのか不安に思うより自分のところへ来てくれた方がいいとさえ思う。
話をつけると言ったその言葉通り、大輔はさっそく話をつけてくれようとしたらしい。
「いいですよ」
陸は顔を上げると早紀を見た。今まで見た柔らかい表情とは違って、瞳にはっきり敵意が見えた。

で、結局行くところに選んだのはカラオケボックスだった。
喫茶店やファミレスでは周りに話が筒抜けになってしまう。防音設備が整っているわけだから、他人聞かれたくない話をするには確かに丁度いいのだろうと思っ た。

「まさか、あなただったなんて、ね」
部屋に入るなり早紀はぼやくように言った。早紀がソファに座るのを見て、陸も少し離れたところに座った。
「そうね、言われてみれば大輔が何より大切って顔してたわよね」
早紀が吐き捨てるように言う。
何を言われても、気持ちは変わらないのに、と思った。
何を言われてもただそれを聞いていればいいのなら我慢する。それで、大輔が自分のものになるのならお安いことだと思っていた。
「本気なの?」
「……はい」
頷くしかなかった。
「大輔のどこがいいの?」
は?
それは、元彼女だったあなたには言われたくないとは思ったけれど。
「優しいし、かっこいいし、真面目で信頼できるところ?」
言いながら、疑問符がついた。好きな理由なんて考えたことが無かった。
「だからって、恋人にしたら最低のやつよ。仕事にかまけてのドタキャンがいくつあったか、休みの時は忙しくてイベントなんて全然できないし、旅行すら行け な くて」
早紀が捲くし立てる。
以前は、と大輔が言っていたことを思い出した。
それほど環のことを気にかけていたんだと思えば嫉妬も感じるけれど、今は自分のことを見てくれる。
「いいんです。それでも」
仕事なのだから仕方ない。
「男同士なんて、将来の約束も何もないじゃない」
「いいんです。それでも」
好きな人には傍にいてほしい。今はそれしか考えられない。
少し沈黙があって、いらいらしたように早紀は大きく息を吐いた。
「いつから付き合ってるの?」
「えっと、七月の終わりくらいから、かな」
夏休みにちょうど入る時だった。
「デートは何回したの?」
「えっと、二回かな」
最初は遊園地で次は水族館だった。
「三ヶ月ちょっとあったのよ?」
早紀が呆れたような声を出す。
「うん、大輔さんが忙しくて。でも、大輔さんのアパートには毎日のように行っていたから、大輔さんが時間見てちょくちょく来てくれたりはして、だから、そ んなに会えなかったとは思わなかったけど」
あなたさえ現われなければ――そう言いたいのを陸は我慢した。十五分とか三十分という時間は直ぐに過ぎてしまって、それでも楽しかった。
「電話やメールは?」
「えっと……約束の時間を決めるときくらいかな」
陸は自分から電話をかけることはなかった。大輔がしてくるのは用事がある時だけだった。
「そういえば、あいつの携帯はメール使えないのよね」
「うん」
暢気にメールという使い方はしていないらしい。
「使えないわよね」
早紀が愚痴るように言う。
「でも、僕もあんまりメールはしないから」
携帯は学校で禁止されているから持っていないし、パソコンは家族で共有だからあまりやらない。そういえば、環と良太にはメールアドレスを教えたんだっけと 今更ながら思い出した。
「使えないわね、二人して」
「……ごめんなさい」
そう謝って、自分はなんで謝っているんだろうと陸は思った。
早紀には関係ないことだ。
「遠距離恋愛だって、もっとマシよ」
なぜか早紀に怒られている気分になった。
「でも、いいんです。それでも」
誰に分かってもらえなくてもいい。居てくれて、自分を見てくれて、それだけで満たされるものがある。
「クリスマスもお正月もないわよ」
「分かってます」
まともな休みは取れないと聞いたのはついこの間のことだ。
「なんでそう思えるの?」
早紀が訝しげに見てくる。
「……好き、だから?」
なぜと言われても分からない。
「好きなら会いたいでしょ?」
「会いたいですよ。それはいつだって」
今だって会えるなら会いたい。
「じゃあ、なんで会えないことを不満に思わないの?」
「だって、仕事だし……」
不満に思っていないわけじゃない。仕方ないと諦めているだけだ
「三ヶ月で二回よ? 一ヶ月に一回もないのよ」
「でもそれは仕方ないことだし……」
返事に困った。
そんなことを言われても早紀には関係ないことだと思う。自分がそれでもいいと思っているのだから放っておいて欲しい。
「……私の方がマシだったわ」
早紀が声を落とした。
え?
ちょっと意外だった。
散々ドタキャンが云々と言っていたから、自分より会えていないのだろうと思っていた。
「大輔が言うのよ。あんな子はいないって。会うたびに惹かれていくって。男同士で何言ってんのよって思ったけど、分かった気がする」
早紀は眉を顰めると顔を伏せた。
会うたびに惹かれる?
そう大輔が言ったのかと思うと、陸は胸は熱くなってきた。大輔の言うことを信用しないわけじゃない。けれど、早紀から聞くことは違う意味を感じた。その時 の雰囲気だけじゃなくて本心でそう思ってくれているんだと思えた。
早紀はバッグを自分に引き寄せると中から何かを出し、テーブルの上に置いた。
「あなたにあげるわ」
テーブルの上にはチェーンに指輪が付いている鍵が置かれていた。
「ちょっと、ストレス発散しよ。付き合いなさいね」
早紀は陸はちらっと見ると、曲名が書いてあるファイルを手に取った。

早紀はのりのりでビールまで頼み大声を張り上げていた。
テーブルには早紀がオーダーしてくれたポテトやたこやきがのっていたけれど、陸はそれに手をつける気に はならなくて、アップルジュースを飲みながらそんな早紀をぼんやりとしていた。
何曲歌ったのかはもう分からなかった。
歌はまだ途中だったのに、早紀は急にソファに沈み込んだ。
「あーあ」
早紀が疲れたようなため息をつく。
「後悔先に立たずっていうけど、一年時間を逆戻りできればなあ」
天井を見上げながら呟いて。
「でも、同じかなあ」
今度は顔を伏せた。
「早紀さんは、好きな人が突然目の前から消えちゃったこと、あります?」
陸は早紀から問いかけられた質問の答えのつもりで言った。
そう、好きになった人とは住んでいる世界が違った。
「そんなのマジックみたいじゃない」
早紀があははと笑う。
「きっと、そんなことがあると、好きな人は居てくれるだけでいいと思っちゃいますよ」
同じ世界にいる。会いたければ会いに行ける。
早紀は、え? という顔をした。
「次、僕が入れてもいいですか?」
陸が聞くと、早紀は頷いてマイクを渡してくれた。
居てくれるだけじゃない。
自分を見てくれる。撫でてくれる。キスしてくれる。
抱いて欲しいと願ったことを大輔は約束してくれた。
――これさえあれば
陸はポケットの中に入れた鍵を確かめるように触れた。これでもう大輔との間を阻むものはなかった。

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